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世界一詳しい東海道歩き方ガイド5 保土ケ谷宿~戸塚宿編

スマートフォンで確認しながら、東京日本橋から京都三条大橋までの江戸時代の東海道を歩けることを目的に作りました。東海道を歩くことからは学ぶところがたくさんあります。きっと皆さんのお仕事や人生に影響を及ぼすはずです。是非この記事を見ながら東海道を歩いてください。

注意:歩きながらスマートフォンを注視するのは危険ですのでおやめください

京都までは50回以上、すべての公開にはだいたい2~3年はかかると思います。しかし東海道の歩き旅を楽しむ人たちを応援するために、がんばって続きを作成します。

この記事は有料です。全文購読には250円かかります。この「保土ケ谷宿~戸塚宿編」は、日本橋から戸塚宿までの5本の記事で構成されるマガジンに含まれます。マガジンで5本を一括購読ならば1000円となります。

歩き始める前に

出発地 保土ケ谷駅(JR横須賀線・新宿湘南ライン)
終了場所 戸塚駅(JR東海道本線・横浜市営地下鉄ブルーライン)
距離数 約10km(旧東海道に沿って歩いた距離。東海道から離れた場所へ立ち寄れば、実際に歩く距離はこれより多くなる)

コースの特徴
 横浜市内を歩くのは前回と同じだが、途中で武蔵・相模の国境を越える。幹線道路を離れた道には、初めての本格的な坂となる権太坂、両側に現存する一里塚、護良親王の伝説などがある。ただし道がわかりにくいところが多いので、道を確かめながら慎重に進む必要がある。また、自由に使えるトイレが少ないので要注意。

進み方
 保土ケ谷駅から保土ケ谷宿本陣跡へ移動し出発 → 本陣跡から国道1号を進む → 保土ケ谷二丁目の交差点で右前方の道へ → 元町ガード交差点を左折 → 次の右へ出る道(国道1号に出る手前)が権太坂、この坂を上る → 小学校・中学校の前に出たら右へ → 境木地蔵尊前の交差点(五叉路)を左から2番目の道へ → 歩道橋で環状2号を渡る → 東戸塚駅入口交差点を直進 → 国道1号と合流し赤関橋交差点に出たら左前方の道へ → 国道1号と合流 → 不動坂交差点で左前方にある細い道へ → 信号に出たら右へ → 舞岡入口交差点を左へ → 矢部団地入口交差点で一番左の道へ → 大踏切デッキを渡る → バスセンター前交差点まで歩き、目の前にある戸塚駅へ

凡例

地図は国土地理院webサイトのものを、浮世絵などは国立国会図書館デジタルコレクションのものを規約に従って使用。

【前回終了した本陣跡までの進み方】
①国道を通る場合
 保土ヶ谷駅の東口を出る。歩道橋があるが、福聚寺の五返舎半九の墓に立ち寄る場合にはこの歩道橋を渡る。まっすぐ本陣に向かう場合には国道を渡る手前で歩道橋から降りる。歩道橋を降りたら右手へと進み、保土ヶ谷橋の交差点を右折すると本陣跡に出る。。
②旧街道を通る場合
 保土ヶ谷駅の西口を出たら、ファミリーレストラン「ガスト」の看板の見える方向へ進む。そのままガストの前を通り過ぎ、薬局の「ココカラファイン」の前の道を左へ進む。直進すると踏切があるので、これを渡って正面が本陣跡である。

本陣への進み方


半分の男

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1 五返舎半九の墓
 福聚寺に「五返舎楽半九居士」と書かれた墓碑がある。五返舎半九は十返舎一九の弟子だといわれている。「舎楽」とあることから浮世絵師の東洲斎写楽ではないかと推察する人もいる。師である一九の死後、一九の名跡を他の弟子と争い敗れた半九は、娘が嫁いでいた保土ケ谷にやってきて余生を過ごしたとも考えられている。

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2 御台所の井戸
 北条政子が金沢に行く途中で使用した井戸とも北条政子の化粧料として与えられた土地にあった井戸とも伝えられている。道をはさんだ対面には「御台所地蔵」と呼ばれる石仏・石塔群がある。

3 金沢横町
 円海山(磯子区)、金沢・鎌倉(金沢区・鎌倉市)、杉田(磯子区)、芋大明神社(金沢区)へと通じる4本の道標が置かれている。いずれも江戸時代に造られたもので、もっとも古いものは天和2年(1682)のもの。

4 保土ヶ谷宿
 慶長6年(1601)成立。ただし、開設当初の宿場は現在JRが通っている場所の北側の高台上にあり、江戸時代前期である寛永から慶安(1624~1652)ころに現在地に移転したと考えられている。かつての宿場を古町、移転後の宿場を新町という呼び方もする。江戸時代後期である天保時代(1830~44)の記録「東海道宿村大概帳」によると本陣1件、脇本陣3件、旅籠67軒、問屋場1ヶ所であった。

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