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本投稿のGOAL:
自身の「繋がり」に加え、それが現在にどのような影響を与えているか、考えるきっかけになる。

アルカスユース熊谷、ヘッドコーチの菅原です。

昨日紛失したデータは、私のHDの中から無事発見されました。
肝を冷やすとはこのことかと実感しました。
何にせよ安心しました。

昨日、私の中で大変重要なテーマを物凄く短い文章で終えてしまったので、「繋がり」について本日も考えてみます。

社会生活において、「繋がり」とか「縁」とか、そう言った類のものを感じる経験をされた方は多い気がします。
私は、ラグビーの「繋がり」に本当に救われました。
他の競技をやっていたとしても、何かしらの「繋がり」はあったのでしょうが。
ただ、私は「繋がり」というものを、ラグビーを始めてから感じることが多いです。
私の「繋がり」を、少し振り返って見たいと思います。
よろしければお付き合いください。

私は高校1年生でラグビーを始めました。
そのきっかけは、ラガーマンであった父が、ある日テレビで観ていたNHKの人気番組「プロジェクトX」。
その番組で特集されていたのが、ラグビー関係者なら知らない人はいないでしょう、京都府立伏見工業高校のラグビー部監督だった、山口良治先生のストーリーです。
それまで私はサッカーに熱中していました。
現在の職業である教員を志すきっかけとなった中学校時代の恩師、竹本周平先生の元、朝から晩までサッカーに明け暮れていました。
中学2年生の時、サッカー少年だった私はその山口良治先生の伝説を観て、その瞬間に「高校ではラグビー部に入ろう」と決心しました。
嘘のような本当の話で、それくらいインパクトがありましたし、その瞬間の感情、家の雰囲気、寝転びならがテレビを観る父の姿など、今でもありありと覚えています。

その後、高校、大学とラグビー部に所属する訳ですが、大学4年生の時、地元の社会人クラブと練習試合をしました。
そのクラブのWTBの選手が「パスとかキックとか、そんなもんどうでもいいから、俺に走らせろ、タックルさせろ!」みたいな、やけに野性味溢れるプレーヤーだったんです笑
この人こそ、後に私の人生を大きく変えることになる、磯谷竜也先生です。

私はというと、大学卒業後はラグビーを辞めようと考えていました。
全く強いチームではなかったですが、最終学年はキャプテンもやらせてもらったし、これまで一度も勝てなかった相手に最終戦で勝つこともできました。
個人的には「やり切った」と感じていました。

大学卒業後は心機一転、極真空手の道場に入門しました。
これがまた楽しかった。
いまだに、いつかまたやりたいと考えている競技です。

そんな中、こんな私をしつこくラグビーに引き留めようとしてくれた方がいました。
学生時代からお世話になっていた島根県のクラブ「松江クラブ」の、井上英喜さんです。
もうとにかくしつこかった笑
しかも引き留めるというか、電話で「○月○日○時から○○で試合があるから、来い。」と言われて電話を切られる。
私の言い分など一切聞いてくださいません笑
仕方なく会場に行って嫌々試合に出て、ということが何回かありました。

ある試合の時、井上さんがある人を紹介してくれました。
前述の野性味溢れるプレーヤー、磯谷先生です。
当時から石見智翠館高校勤務だった磯谷先生に、当時公立学校での採用を目指していた私が、石見智翠館高校の採用試験を受けられないか、交渉してくださったのです。
磯谷先生の返答は「校長に聞いてみる」。
「ああ、これは何も起こらないパターンだな」と私は感じながらも、そもそも私立学校にはあまり関心がないこともあり、「わかりました」とだけ返答し、磯谷先生と「一応」連絡先を交換しました。

そしてそこから約1年間、やはり何も起こらず、私ったらそんな話をしたこと自体すっかり忘れていた頃、突然着信が入りました。
発信者の表示は「磯谷竜也」。
石見智翠館高校の採用試験に関してでした。
そこから無事石見智翠館高校に採用され、紆余曲折ありながらも、というか、紆余曲折ばかりでしたが、何とか8年間勤務をさせていただきました。

そして、石見智翠館高校での勤務8年目を迎える直前の、2019年1月、現在のアルカスユース熊谷発足に際し、私をヘッドコーチとして迎え入れる旨のお話をいただき、現在に至ります。

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現在までを簡単に振り返りましたが、これだけでも割とボリューミーな文章になりましたし、当然書ききれていないことがあまりにも多すぎます。

父、そして山口先生をきっかけに始めたラグビーで、井上さん、磯谷先生、そしてアルカス熊谷と出会いました。

竹本先生が私が教員を志望するきっかけを与えてくださっていなかったら。
あの時父が別の番組を観ていたら。
井上さんが引き留めてくださらなかったら、磯谷先生を紹介してくださらなかったら。
磯谷先生が石見智翠館高校女子ラグビー部を創っていなかったら。
磯谷先生に度々ブチギレられながらも、本当に実りある様々な経験をさせてもらえていなかったら。
一度はラグビーからドロップアウトした私に、毎回あり得ない程の感動を与えてくれた、石見智翠館高校女子ラグビー部の卒部生、生徒と出会っていなかったら。

今頃何しているのでしょう。
33歳になった今でも、教員採用試験の勉強でもしてんのかな〜??笑

このほかにも、女子ラグビーに関わり始めたことで、人が人を繋ぎ、本当に心強い仲間たちが全国各地にできたことも書き記さなければなりません。

これまでの全て、本当に全てが、今の私に繋がっているのだと、ふとした瞬間にいつも思い出しますし、考えることの多いこの期間は、いつも以上に感じます。

皆さんから受けたご恩は、言葉ではなく行動で表現したいです。

昔話を、長々と失礼いたしました。

本日もお読みいただき、ありがとうございます。

ARUKAS YOUTH KUMAGAYA ヘッドコーチ 菅原悠佑

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