[2]インプット過多は危険です

結局、書いてるやん笑

私は、私を知っている人はみんな分かっていることですが、超絶天の邪鬼です。けっこうな逆張り人生です、もちろん全部じゃないですけど。皮肉屋であり、リアリストであり、実はけっこうロマンチストなんです(自称ですけど)。

さて、note界隈が盛り上がっているのを見て、どんな空気感か知っておくくらいはしとかんと、とウロウロしてました。ヨソとの違いは、、

・おすすめが出てくるから新しい発見も見込める
・わりと雑音少ない(良いことだ~)
・文章が落ち着いている感じがする
・レイアウト共通だから読みやすい

ってな感想です。

特別な存在に

FBでもTwitterでもブログでもなんでも(なんならmixiでも)同じで、意識高い投稿が多いです。「高い系」ももちろん。誰しも自分は特別だと思いたいわけだし。特別なあなた、つまりヴェルタースオリジナル。

自分が若い頃そうであったように、若さとは無知と未熟の塊なのです。それでいいんです。自分と同世代になんかすんげー発信してる奴がいたとしても、それはそれ、これはこれです。ヨソはヨソ、ウチはウチ。人は人、自分は自分。

「身の丈にあった」という発言が問題になったことがありましたが、けっこう大事なことなんですよ。背伸びは不安定になりますから。私は努力という言葉が良い使われ方をしないのであまり好きじゃないですが、努力ってやつは大事です。けっこう地味なというか地道なもんです。そこにメタルスライムはいません。

特別な存在になりたいなら、じっくりやりましょう。背伸びしたり自分をでかく見せようとするより、地味な努力が物を言うのです。もちろん、間違った方向の努力なんてクソくらえ!なんで適時現状確認と方向修正が必要です、つまり俯瞰で自分を見る能力。

なにかに感化されることは良いことだ

が、noteもそうだが「おすすめコンテンツ」とかは際限なくあなたに「これ読んどけ」と伝えてきます。

なにか一つ「こりゃすげー!」って人とか事象に対する意見をインプットすると、そればっかりになる条件が揃っています。狭い世界のコミュニティとかそれの最たるものです。危険です、あなたの視野はどんどん狭くなる。

広けりゃいいってもんじゃない

会議とかの場で、小狡い人いるじゃないですか~?
一通り激論が交わされたあとくらいに、静かな人が一言❝毒にも薬にもならない中道まっしぐらで平和な意見❝を言うんですよ。これが最悪です。

みんな熱くなってるから「ああ、この人は落ち着いてるし頭いいんだな」と凡庸な意見に耳を貸して(というか激論に疲れて逃げ道を探して)、しょうもない結果を産むことになります。ぼくそーゆーひときらいでーす!

一見、バランス良さそうな人は誰からも好かれたりします。けど、つまらんです。ほとんどが、良い結果を生みません。会議に人を集めすぎると良くないのと同じことで、「ほどよいところに落ち着かせる」のはつまらない製品だったりサービスを生み出すだけなのです。会議ってやつは意思決定の前段にしておき、最終的に決めるのはその先で少人数じゃないといかんです。民主主義なんてうまく行ってないやん、みんなが頭良くないといけない制度だし(みんながアホだと支配層に都合が良いシステムです)。

広がったり狭まったりでよし

聖人君子なんて存在しないので、間違ってもいいんです。ちゃんと認めてやり直したりケアできれば。間違ってもいいが、「チャレンジは良いことだ!やれやれ!」と無責任に言ってくる人は要注意ですけど。

私なんて自分の過去ブログ見たら恥ずかしいことばっかり書いてるし、そんなもんです人間。プログラミングとかでも、1ヶ月前に書いたコードすら読むの恥ずかしいです、そんなもんです人間。

というわけで

PCやスマホで情報入れまくって疲れて視野が狭くなる前に、うちのガイドツアーに申し込んで外で遊びましょう笑
冬でも川遊びが楽しいんですよ、ゆったりとした四万十川をボートに揺られながらダベったり水辺の生き物や野鳥を観察するんです。

ああなんて楽しいのだろうか。
明日はマウンテンバイクで遊んできますよ、自分でどうにもならない社会問題国際問題は置いといて。

↓こちらどうぞ「ボウズのnote読んだよ」の一言で割引します笑

以上、長ったらしい宣伝でした~。

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