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向かいの席に座られたご年配の男性は、 訝しそうにメニューを見ながら
お店のひとに、 なぜなのか警戒心をもってうねうねと質問をされている。
お店をしているとややこしいやりとりを求められることもあることを思い出しながら、 終わりがないような会話の響きに、 そわそわ祈る思いになる。

あとに店主さんが説明にこられて、 それはいつでも、 誰に対しても変わらない
珈琲への、 豆への、 それを飲んでもらうことへの、 色のない宝石のような
澄んだ、 強固な想いが伝わる、 このときも、 そのところからのお客さんへの対応に、 前も高いコーヒーを頼んで飲んだらひどかった。 そんなことをつらつら話されていたお客さんの様子が、 少しづつ落ち着いて、 「匂いと色を見られますか?」 と、 焙煎した豆の入った瓶を、 店主さんが厨房から持ってこられたときに、 マスクを外されて、 豆を匂おうとした、 その瞬間のお客さんの表情と 気になって、 ちらっと視線をそのひとに向けた瞬間が、 ばちっとあわさり、 わたしは雷のような衝撃を受ける。

最初はふてくされたような、 怪訝見を顔中にたたえられていたそのひとが、 出された豆を見つめ匂おうとした、 その瞬間の表情が、 もうほんとうに、 ほんとうにいい顔で、 まったく予期せず、 もうずっと見ていなかったような思いになる、 人間の顔というのを、 そのひとに見たということの、 雷だった。 こんなにも、 寅さんや清水の次郎長の世界のような、 人間味あふれたひとの顔、 いつかは人情の街と言われた大阪にいて、 長らく見ていなかったことに気づく。 ( ほしよりこさん 『逢沢りく』 は
現実よりもリアリティーをもって、 大阪の人情を、 感じられる。) ほぼ無なわたしは、 ほとんどのとき海水の顔なら、 そのひとは、 トロピカルなジュースだった。

そのひとからその表情がうまれたのは、 もうそれは、 お店のひとのそのひとへの
わかりあえることに疑いのない そうしての提案によるもので
上手く言えないけれど、 そこには、 コーヒーによって結ばれた、 同士というか、
仲間なのか、 理解なのか、 信頼なのか なんしかの、 まっすぐの眼差しが
お店のひとからそのひとへ、 向けられているのが、 その声、 会話から伝わってきて

そうしたら、 最初は緊張感のあったその席から店内一帯へと伝わる空気の固さが
パンが第一次発酵で膨らむみたい、 酵母の菌が匂いたち、 生地がほわっと変化するのを、 ぽうっと感じる。 その直後の、 目にしたそのひとの表情に、 お店のひとに
わたしは、 ほんとう大きな、 大切を学ぶ。

またそのあとも、 大変で
そのひとのようにどきどきと、 そのひとにコーヒーが出されるのを待ったあと
そのひとは席に届いたコーヒーを、バシャバシャ写真に撮り始めたことで
はっと意識がそのひとから手元の本へと戻り、 わたしも目の前のコーヒー
お茶の時間に没頭することで、 そのひとを忘れる。

しばらくしてから、 ふっと顔をあげると そのひとは、 笑顔になられてた。
さらには途中、 目をなん度もぬぐわれていて、 第二の衝撃波をうける。
そしたらわたしも、 気づけば目尻をぬぐっていて、 あああとなる。

いつものように過ごす時間のはずが、 いったい何が起きているのか
変化生じ得ないような日々にいても、 そのどの瞬間にもいつも、 ものすごい学びがあることは、 そうなのだけど そうなのだけど、 このときに受けたものは、 目にしたものは、 伝わったものは、 自分のありかたを見直す、 とても大きなきっかけになる。

いつもわたしは、 このお店のコーヒーに、 もうだいぶ長い年月、 いつも自分にもどるのを、 助けられ、 示しをもらい、 そうしてまたそれを、 このときももらい
そのすべてが、 一杯のコーヒーに濃縮している バガボンドの武士道を思う、
豆と道、 そのスピリットのようなものに触れることで、 ふとしたら、 覆われっぱなしの頭の覆いが、 サワーっと揮発し、 空が明るくなるように
深煎りのコーヒーに、 ご夫婦に、 そこでの時間に ぼわっとした意識の二酸化炭素濃度が、 2000から400へと戻り 深く大きな息をして、 大川をわたる。


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