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「ぼっち・ざ・ろっく!」にまんまと釣られてしまった

※この記事を書いた数ヶ月後に沼って手のひら返す記事です

https://note.com/arua_verse/n/n06c731ee015f



あー話題になってるなー

へーアジカンへのオマージュいっぱいなんだー

ぐらいで放送当時はまったく食指が伸びなかった。

というのも、ちらちら見る反応で泣いてる人がいるような感じでもなく、オマージュ元で騒いでる。という感じで

「けいおん」のように積み重ねて最後にどーん!という感じでも無さそうで、あくまでJKバンドの皮を被った日常モノ。という

”作品ではなく商品”

という大方の予想…は先ほど全話を見終えた結果、やっぱり間違ってなかったな。というのが最終的な感想ではある。


とはいえアジカンもろ直撃世代。聴けば青春時代をありありと思い出せるほど。一番好きなのは「ワールドアパート」

なので、所々にあるネタを楽しみはしたし、局所的に笑ってしまうギャグ部分もあったものの

どうしても学生、ぼっち、バンド。という要素が並んでいたら

成長や葛藤、目標への到達。みたいなドラマをほのかに期待してしまっていたせいで見終わった後はかなりの虚無感だった(その可能性があると分かっていながら見たので自己責任)

とっさのカップ酒瓶での演奏も、弦が切れたことの動揺からの機転に溜めがなかったり、ボトルネックなら~というのが数話前から自然と出ていればカタルシスがあるものの、すべてその場だけで始まって終わってしまうので

映画「Whiplash」的な、演奏中という精神的肉体的な極限状態に生まれるドラマになりそうなものが即物的に起きたかと思えば蒸発していく歯がゆさ。

演奏後の細田守的な過呼吸演出を入れるなら弦が切れたところか、マイクを向けられたところならまだ状況と演出が合致するものの

過呼吸になるほど熱がこもったり、命を削る様なものではなく、他メンバーもずっと笑顔で、表情ものっぺりとしたまま進むのでズレたように感じた。

最終話がいきなり演奏からスタートするという構成は良く、このまま殆どステージ上で話が進んでいくのか!?と思いきや

すんなりと終わってしまう拍子抜けさと、特にBパートのギター新調がキャラクターやドラマと繋がってエモーショナル。という演出をしていないのでこのイベントがどの話数に来ても別に温度感が変わらない。

11話でyoutubeに動画を出せていない。という話が出していたので

新しく買ったギターで押し入れの中から投稿し、コメントの反応に「生存確認」「変わってなくてよかった」的なコメントが来る中、変化してないようで変化している。とかでもなく

Cパートのバイトが嫌。という独り言で変化を見せる。というなんとも地味な…

今の受け手は、そういった物語物語したものだと消費速度が速まるであるとか、永劫回帰的な緩いものを望んでいる。という狙いの結果なのか

上手い脚本や演出。ではなく細かいネタの仕込みや、間に挟まれるゆるいギャグを少し凝った表現で変化をつける。という方向に振り切ったのだろうが

原作である4コマ漫画であれば媒体の性質上その即物性を常に自覚したまま読むことが出来るが、アニメ全11話というパッケージングで

一見クライマックスがあるような構成をしつつ、この演出の中途半端さはアニメ化の際のシリーズ構成や監督の駄目さ…と言いたいけどヒットはしてるのでそこに文句を言っても意味はない。

もう一度言うがそれは

”作品ではなく商品”


なので「けいおん!」ほど見た人の中に残ったり、後年アニメ史で語られるようなものではなく、アジカンのオマージュがなかったら何も残らない。という感想でした。

あ、でもOPとドラムの姉と飲んだくれキャラは好きだし

嫌い!とかそういう熱量ではないです。

可もなく不可もなく。

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