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道徳
(これまた少し前に書いたもの・・・)
今日の天気は、清らかだった。
さっぱりとした強い日差しと
真水のような空気感。
不思議な天気だった。
冬の寒さとは違くて、
夏の清流
山奥に流れる、ひんやりとした源流の冷たさを
そっくりそのまま空気にしてみたような。
そういう気候だった
![](https://assets.st-note.com/img/1715770368313-HlDdYHdCrZ.jpg?width=800)
そろそろ夏も近づいているのだろうか
今日は涼しい日だ
夏の風流を詰め込んだ
お得なお試しセットのような一日。
一足先に、そうめんをすすっている気分
なんだかとっても
ハッピーな一日。
…
母がいつだったか、
理由もなく幸せが込み上げる瞬間がある
と嬉しそうに語っていた
特に、小さい子供の頃は
よくあったなぁ
片耳にしか聴いていなかった母の話が
今日、実感として訪れた
何をとっても美しくて
じんわりとした幸せというよりも
嬉しくて仕方なかった
すべてが嬉しかったのだ。
興奮気味な心地で
私を取り巻く音、景色、まぶしさ、
何から何まで
食い入る目で、心の目で、
くまなく味わい尽くした
あぁ、なんて人生はおいしいのだ
![](https://assets.st-note.com/img/1715770553114-RP8mytzi8y.jpg?width=800)
ありがたい教えというものは
この世界にたくさんある。
でもどれも、私にとっては少し頑張り過ぎた教えばかり。
人間のずるさ・欲深さは、持って生まれたものなのに
それをねじ込んで、上から被せるようなもの、
ばかり。
私たちの本心の望みに、嘘なんていらないのに
どこかでそう思っていた。
道徳と、一般的に呼ばれる物々に対して
例えば、
あなたのいる場所はもうすでに天国なのよ
という言葉
今ある環境に感謝して、嫌なところじゃなくて良いところに目を向けて、
欲なんてかかないで、身の丈を知って満足しなさいって
分かる。理解はできる。正しい心持ちだ。
でも、
でも、
頭で理解しているうちは、理解とは言わないのかもしれない。
「あ、ほんとだった」
って心から思った。今日。
道徳は、頭の中で悪い心を消し去ることとは違った。
すべてのありがたい教えは、本心を述べているに過ぎないのだ。
先人たちはただ、真実を体験しただけだった
![](https://assets.st-note.com/img/1715770677090-792F63xuoK.jpg?width=800)
自分の中ではいつだって
自分は一人前の大人だった。
小学生の時も、中学生の時も、ずっと
自分の正義に従って生きているのだから
自分が一番正しくて、大人だと思ってしまうのは無理もない。
だって、自分の人生の中で一番最年長なのは「今」だから。
中高生が帰る家路を
私もまた歩いていた。
ついこの間までは、本当に学生だったのに
とっても遠い存在で、遠い昔のことで、
その時を過ごしていた私の姿も
やっぱり幼かった
脳裏に霞む、自転車を思い切り漕ぐ私
あの時はあの時の論理で
道徳という言葉が苦手だったけれど
でも今は、その頃より少し大人になって
道徳が本当だったということを理解した
子供だったんだな。
そう懐かしんでいる今の私も
未来から見れば、可愛らしいのだろう
![](https://assets.st-note.com/img/1715770795090-YhuAVVzr3c.jpg?width=800)
大人になる、を感じた日。
だから、わけもなく嬉しかったのか
とにかく
この世は天国だ。
それを今日は学んだ
特別なことが起きたわけじゃない
何も、何にもなかった
それでも天国だと謳いたくなるほどに
この世界は美しい。
それが私の、あたらしい道徳
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