セミファイナル・イブ

明日退院かぁ、とぼんやり歯を磨いてたら今日は土曜日なんで、もう一日ある事を忘れていた。
長い入院生活で曜日感覚などというのはすっかり皆無なんである。宇宙飛行士や半年間ほど洞窟で暮らす実験をしてた人はこんな感じなのだろうか。いや、足元にも及ぶまい。

今日も入院生活最後の一冊になるであろう本を読んだり、スマホを眺めたり、中庭に出たりした。
最後の最後になると本当にやる事もなく、ただ泊まっているだけみたいになる。今の時期なら避暑と考えればまあ悪い気もしない。
中庭に出た時、あまりの暑さに顔を顰め、太陽を睨んだのだが一瞬で負けたので空に目をやった。雲がその身を空にすっかり委ねて、どうだ気持ちよさそうだろう、という表情に形を変えながらおれの頭上を得意気に流れてく。呑気なものである。しかし悔しいが気持ち良さそうな青空である。飛び込みたい。
最後に川や海で泳いだのはいつだろう。
数年前に友達や双子の兄とで県の端っこの海へ行って泳いだことは確実に覚えてる。なぜかというと、その時の山道の途中の休み場かなんかに車を止めて、そこでみんなで昼飯を食べた出来事が強烈に楽しくて覚えているからだ。

当時の写真。こんな感じで

夏の野外で食べるカップラーメンはなぜあんなに美味しいのだろう。もはや季語であり代名詞であってもよい気がする。ある意味この時は海より楽しかった。いい思い出だ。
夏は出来ることやイベントや行ける場所が多い、みんながそれぞれの行楽を何事もなく楽しめて、素敵な夏の思い出を作ってくれる事を願わずにはいられない。おれは今年の夏をあきらめたのでみなさんに勝手に委ねるのである。
まあ、おれは散歩して河原でビールとか飲めたらそれで良い気がする。これは特別でもなんでもなく、いつも毎年やってることだけど。
おれは根が暗かったり、妄想癖の強さゆえ「もし」「たら」「れば」をよく考えるのだけども、「入院がなかったら今年の夏はどんな素敵な夏になっただろう」と思いながら、SNSやテレビの夏イベント関連の話題を眺めている。
夏のせいにするにも健康でいなければいけないんである。入院のせいにする夏。

セミがデートしていた。惚気話を聞かせてほしいもんだ。

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