二十九、三十 前夜
明日で29になる。
まさか自分が29になるなんて思ってもなかった。子供の頃の自分は30はおろか20まで生きているイメージが持てなかったからだ。
ところがどっこい。
気がつけばシド・ヴィシャスやカート・コバーンやジャニス・ジョプリン等の年齢を越えてまだ生きている。ありがたい。
挫折、後悔、失敗、間違い…
顧みれば本当にろくでもなく、誇れるような20代ではない。
けれども曲がりなりにここまで生きてきたのもまた確かだ。
毎年誕生日が近くなると、オナニーマシーンの「まいうぇい40」とフラワーカンパニーズの「深夜高速」を意識して聴くようになる。
シド・ヴィシャス(フランク・シナトラ)の「マイウェイ」のメロディに乗せ、イノマーが己の40年の人生を振り返った回顧録のような歌詞。
おれがこの曲に出会ったのは18の時なのだけれど、もうその歳で歌詞の全てに共感した。おれのことだ、と思った。要するにダメダメな10代だったんである。
やがて20を越え、背伸び無しで30代が見えた今現在においてもやはり共感しっぱなしだ。要するにやはりダメダメな20代だったんである。
この曲を聴く度に落ち込むけれども、同時に救われたり励まされたりする。きっと30代の終わりに差し掛かった頃も共感しているだろう。後悔はしてないぜ、行くぜ30!と来年の今日意気込んでいたいものだ。
何度も挙げている話だが、嘘のような本当の話、この曲に出会ったのは10代最後の日。
衝撃を受けた。その当時おれは「生きててよかった」夜なんて思いつかなかったし、探してもいたからだ。
だから、この曲と10代最後の日に出会えたのは何かの伏線であり天啓だと信じている。
20代に「そんな夜」があったかと問われればイエスだ。数こそ少ないけれど。
けれどもそれらはおれ自身の力で到達したものではなく、紛れもない周りの環境や出会った人のおかげである。
だからいつかおれ自身の力で「生きててよかった」と思えるような夜を迎えるのが人生の目標のひとつだ。
30代は不安こそあれど悲観はしていない。
なぜなら、やはり「言葉」を信じているからだ。
中島らもの「底抜けに明るい30代がやってくる」だったり、エレファントカシマシ「俺たちの明日」の「30代 愛する人の為のこの命だって事に ああ 気付いたな」の歌詞だったり。
28歳は自分のせいとはいえ本当に暗い一年だったので、29歳は絶対に素晴らしい一年にしてやる、という気持ちでいる。
そして30代を少しでも明るい気持ちで迎えたい。
明日からしばらくはクリープハイプの「二十九、三十」を頻繁に聴いては感情を揺さぶられることになるんであろう。
ああ、まさか自分が29になるなんてなぁ。
生きる。byイノマー
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