ヘタクソ入門

またかよ、と思われるかもしれないが書く事がない。またです。じゃあ又。いやまあ待たれよ。
なんというか、書く事はあるのだが思いつかなかったり、うまく書けそうになかったり、話を広げる事ができない。要するに文章を書くのがヘタクソなんである。
考えてみたら、おれにはヘタクソな物事が多い。ヘタクソにかぎらず、不向き、不得意、苦手……思えばそういうのばかりの中で生きてきた気がする。よく今まで生きてこられたと思う。
あまりにもそういう類のものが多い反動か、反対に上手い、向いてる、得意、好きな物事には溺愛といっては大袈裟だけれども、そういう傾向にある気がする。

自分が人生で初めて得意・不得意になったものってなんだろう、、、と今しがた手を止めて1分くらい考えてみる。1分経っても思いつかない。2分くらい過ぎた所で思いついた。この通り脳ミソを使うのもヘタクソである。
で、それぞれ自分の自我の範囲内で思いついたものでいえば、初めて得意になったものは恐らくやはり絵を描くことだと思う。
3歳くらいの頃だろうか、保育園で白い自由帳に線を縦横無尽に走らせていた記憶が今も朧気ながらある。
よく分からない棒人間や、カラフルなカービィや、うんこだったり文字を書いていた。「く」「う」「た」が得意だったのでひらがなはそればかり書いてた思い出がある。
当時の運動会の写真があるのだが、各々が好きなキャラの絵を描いてお面を作り、それをかけっこか何かで被って走っているというもので、その時の自分のお面がギンガレッドという戦隊ヒーローなのだけれど、そのクオリティが今見ても凄い。3歳児が描いたとは思えない。我ながら感心する出来なのである。それくらい当時から絵を描くという事に早熟していたんであろう。
反対に初めて不得意になったものは恐らく運動、体を動かす事だろう。これもやはり保育園の頃の記憶や、その時自分が思っていた事がこれまた今も朧気ながらある。
これが不得意になったのは仕方ないというか、誰もなにも悪くないのだけれど、おれは生まれつき少しばかり足が悪く、歩く時にいわゆる「びっこをひく」状態になる。
今は別に不便もないし自分からネタにするくらいなのだが、保育園〜小学高中学年頃まではその事がコンプレックスで仕方なかった。
で、そういう事情があったから、保育園でたとえば竹馬をやる時、皆は1本足で高さも年相応だけれども、自分は2本足で高さもやや低め、というような事があった。当時の自分はそれが嫌だったんである。とはいえ、じゃあハンデを無しにしてみんなと同じ竹馬で歩いたり、かけっこで張り合えるか、と言われたら出来ない訳である。この様な原体験があって、運動の類が苦手になってしまったのではないか。
ただ、ひとつだけ言わせてもらうと、その当時の自分の周りの大人たちが考えに考えて精一杯の配慮や策をしてくれたのだけは間違いない。だから恨んだりもしてないし、逆に本当に感謝しているくらいだ。

などと、書く事がない…から始まり、何も考えず文字を打っていたら、何だかんだいつのまにか自分の得意不得意のルーツをたどり、終いには1本noteが書けてしまった。
下手の考え休むに似たり、を身に染みて知る消灯前。

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