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要介護2

もの忘れ外来を受診。医師は母に記憶力を試すいくつかの質問をした。とても丁寧に優しく…..そして頷きながら「まず歩く練習をしてください。歩けば脳に刺激が届きます。すぐに介護保険の手続きをして、デイサービスに通ってください。週3回は通えると思います。それから脳のCTを撮りましょう。」そう言って、2ヶ月先の検査予約を入れてくれた。

早々に役所に郵送で介護認定依頼の申請書を送った。すぐに電話が来て最短で検査にやって来た女性は母にいくつかの質問をして、家の中を歩く様子をじっくりと観察。主治医の先生とも連絡をとって判定をします。1ヶ月くらい掛かるかも…..と言ったけれど3週間で通知が来た。《要介護2》

届いた認定書を持って地域の相談窓口に行くと、自宅から一番近い介護福祉事業所に連絡をとってくれて、帰り道にはもう早速携帯が鳴った。その日の夕方、男性のケアマネージャーが訪ねてきた。雑談をしながら母の歩く様子を見たり、こちらの困り事を聞いてくれ契約書を作成。母は久しぶりにペンを握って一生懸命自分の名前を書いた。これが一苦労だったのけれど、母には知らないうちに物事が勝手に決まっていくと思ってもらいたくなかった。どっちみち明日には忘れてしまうとしても……。

翌日に電話があって、第一希望だったデイケアの一日体験が出来ると言う。ホテルのような病院。実はそこの内科と皮膚科をすでに受診していて、母は1階にあるカフェが気に入ってご機嫌だったのである。最上階にあるリハビリ室からはシティビューが一望。もう一つは、橋の袂にあって部屋から川を望む。あともう少し歩ければ、孫の仕事場に辿り着ける。母はその橋を通る時、「この近くにいるのよね?」と必ず孫の名を口にする。その風景は記憶に留まっているのである….. 翌週に両方とも体験できることになった。

最初の体験は1日6時間コース(昼食付き)。帰宅後の第一声は「おじいさんとおばあさんばっかりいっぱいいたわ!」、隣のおばあさんは座ったまま寝ているだけ、そして食事の時間になるとおもむろに起きてすごい勢いで完食した、とその驚きをいつもより饒舌に楽しそうに話してくれた。最後に「私の歳ではまだ行くところじゃないわね!」とひと言。母、93歳。

次は、午前中3時間コース(昼食無し)。特に歩くリハビリをお願いして送り出した。いつもより足が軽い。嫌がってはいないのだ。車が去っていくのを見ながらなぜか、子どもたちの幼稚園バスを最初に見送った日の記憶が蘇った。なんとなく切ない…….。

昼過ぎに帰宅。血圧が180あって歩く事は少し控えたと言われた、残念。 そうか、建物がザ・病院だったから気持ちが高ぶったのかもしれない。母は病院が大嫌いで通常135くらいの血圧が180になる人だったのだ。「嫌だったの?」と 聞くと、「なんでかしら?普通だったのに。」今回も「年寄りばっかりいたわ。」とひと言。

さて、デイケアの次はデイサービスの体験だ。ケアマネさんが用意してくれた資料の中からふたつ選んだ。病院内にある施設は遠慮した。両方とも立地と外観で選んだのである。なんと母曰く「帰りに途中で車を降りる事は出来るの?たまには帰り道に、お茶したり食事したりしたいわ。」そう云う訳で、寄り道したくなるお店があることが必須条件となったのである。こんなことケアマネさんには言えないよね、と娘(長女)は笑う。時々お迎えに行ってもし、軽くビール一杯なんて、飲んでるところ見られたらどうする?

一緒に出掛けたいから歩けるようになって欲しい。頭はボケていてもいい。93歳なんだから、そう言うと母は「私、まだ頭はしっかりしてるのよね」と言う。でも時々、同じ事ばかり繰り返して言うことに気づくことがあって、
「私、どうしてこんなに馬鹿になったのかしら?」、そんな時は、馬鹿だってことを自覚できるんだから馬鹿じゃないんじゃないの? と、答える。

漫才のような日々は決して楽しいことばかりではなく、辛いと思うこともしばしばである。でも愚痴も笑いに変えなければ人は聞いてくれないよ、と娘(次女)は言うのである。はい、おっしゃるとおり…..。そして長女は、明日終るかもしれないんだから後悔したくないと言う。立派な孫たちである。その孫たちを懐に抱いて育ててくれたのは母だ。庭園の池を泳ぐ鯉にえさをあげて喜ぶ母、出勤する娘に手を振る母。お風呂に入れてもらい、着せてもらい、手を繋いで散歩する。今や孫と祖母が完全に逆転したのである。

来週のデイサービスに乞うご期待! 再来週はCT検査である。合間に美容院に行き白髪のお手入れ。こうして2021年は暮れて行く。

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