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2021年・元旦

年末、息子宅から我家に来ていた92歳の母が、言葉のはずみでいたく機嫌を悪くして夜中に帰ると言い出す騒ぎ。といってもひとりでは無理なので、タクシーで往復して送り届けた。そして大晦日、例年通りに一緒にすごそうと、まずは「夜中に帰してごめんね。」と謝ってことを収めようとしたのだが、何を言っても頑として聞かず結果、元旦をひとりで過ごすハメに自らを追い込んだ母。弟夫婦は元旦には義妹の実家で過ごすため、御節とお屠蘇を持って出掛けて行くと、まあどこから出てくるのか悪態の数々、「御節を持ってきたのはアンタの勝手」と、ここには書けないような罵詈雑言を浴びて、私は無言で帰宅した。何があったか娘に話す元気もなく、「旧正月をちゃんとやろうね...」と元旦はなんとなく終った。

いろいろ考えてみたけれど原因はひとつではなく、今までのあれやこれやの不満が一気に吹出し(その中にはコロナで外出できないというのも含まれていて)、自分でも収拾がつかなくなり家族全員を敵に回した母であった.....。それにしても、その気の強さにかけては折り紙付きの母、92歳になってもまぁ凄かった。ちなみに私と娘は悪いのか?との疑問は残る.........。

元旦の日に言葉もなく帰宅した私に代わって2日、娘が様子を見に行くと、そこには毒素を出し切った小さなおばあさんがポツンといたそうである。ま、ちょっと様子見だね、ということになり弟からは毎日、「今日のご機嫌」について連絡が入るようになった。

3日の日曜日に弟からSOSが入ったので、母を誘って地元の小さな神社へ初詣。お正月はいつも私の家で過ごすので知らなかったけれど、なかなか味わいのあるお正月風景の中を散歩した。こんな小さな人と喧嘩してもどうなるものでもなし、と傍らの母を眺める。一年の計に何を誓ったのだろうか....。

そして6日になって(息子夫婦から体よく片付けられた感もありながら)母は何事も無かったようにやって来た。........... 7日夜、七草がゆを食べながら晩酌を。さりげなく「お正月が無かったからね」と言ったけれど、あっちを向いていた母。8日の今日、唐突に「一緒に暮らしたい」とボソリと言った。「いいよ、いつでも。でもそのことを自分で伝えるんだよ」と言うと「わかった。そうする!」

ここで決着か、と思うのはまだまだ早い。これから何が起き、何を言い出すのか、まだまだ余談を許さないのが今春93歳になる母である。だけど思う.....これは何かのサイン。流れるまま、母の思うままに流されてみよう。それが上手くやっていくコツ。

私には実子ふたりと絶縁して暮らす叔母(母の妹でこれがまた母より強烈)がいる。神奈川県でひとり暮らしなので毎日安否確認の電話をして、たわいもないおしゃべりをする。何かひとつでも叔母の好きな事、得意なことを話題にして広げていこう....そうしたら、それが園芸だと分かったので、増えて困っている多肉植物を送ってもらって私が育て、それが共通の話題となっている。ふたりの老婆に関わっていると自分が歳をとっていくことを忘れられるので、これはメリットかもしれない。...........老いた母は、人間とはかくも切ない生き物なりや、ということを教えてくれる存在である。

明けましておめでとうございます!!!


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