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ジャーナリストがアート・イベントでバイトしてみたら——「YAU OPEN STUDIO ’24」レポート

2023年11月、これまでの有楽町ビルから、近隣の国際ビルに拠点を移した「YAU(有楽町アートアーバニズム)」。2024年3月、この移転に伴う新スペースのお披露目も兼ねて、4日間の「YAU OPEN STUDIO ’24」が開催された。アーティストがまちに繰り出したこのイベントの模様を、フリーランスライター・編集者の桑原和久が伝える。

文=桑原和久(フリーランスライター・編集者。「日本環境ジャーナリストの会」会員)
写真= GC Magazine


◾️YAUと、日本の地域アート史とのつながり

2024年3月7日(木)〜3月10日(日)の4日間、東京の有楽町エリアで「YAU OPEN STUDIO ’24」が開催された。私は過去30年、フリーライターを生業としてきたが、今回は友人のアートマネージャー・金森千紘氏の誘いで現場スタッフ=アルバイトとしてイベントに参加した。

YAU(有楽町アートアートアーバニズム)は「街がアートとともにイノベーティブな原動力を生み出す」をテーマに、2022年2月より有楽町エリアで始まった。そして、その運営主体は、大丸有エリアマネジメント協会、大手町・丸の内・有楽町地区まちづくり協議会、三菱地所からなるYAU実行委員会だという……待てよ。三菱地所という企業名には妙な既視感がある。

国際ビル1階エントランスの様子

この催しと同じ頃、私は横浜市の黄金町エリアで毎年開催される地域アート祭「黄金町バザール」のディレクターを17年間にわたり務めている山野真悟氏を取材していた。彼はもともと福岡県の人で、1990年から福岡市で開催された「ミュージアム・シティ天神」(後にエリアを広げて「ミュージアム・シティ福岡」。通称「ミュージアム・シティ・プロジェクト」。以下、MCP)の発案者だが、このMCPこそが、現在、日本中に100以上は存在するといわれる地域名を冠したアート・プロジェクトの先駆けだ。そしてこのイベントは、1989年、福岡市にオープンした当時としては画期的だった情報文化ビル「IMS(イムズ)」を運営する三菱地所が、山野氏に施設内の文化事業を委託したのがきっかけで実現したのである。 

現代アートの専門家でもこの歴史を知る者はほとんどいない。MCPそのものは不動産バブルの崩壊とともに縮小・廃止へと向かったが、30年以上の時を経て日本初の地域アート・プロジェクトのきっかけを作った企業が、今度は東京の中心でアート・プロジェクトに携わっているという。歴史は繰り返すのだろうか。

◾️普段見落としているものの共有

実際に体験した「YAU OPEN STUDIO’24」は、一言で表現するなら、とんでもなく内容が「濃い」イベントだった。主な会場は4箇所。そのうちのひとつ、国際ビルヂング一階の日比谷通りに面したスペース「YAU CENTER」では、田中功起氏の作品《経験の共有―インタビューの重ね合わせ》(2024)が展示された。

田中功起氏の展示風景

殺風景な部屋の所々に巨大な木製パネルが垂直に配置され、パネル上には大丸有にある会社組織に所属する人々に対して行ったインタビューの内容が活字として連なる。そこで目にするテキストはセクハラや性差別、育児をめぐる苦悩を当事者が告白したものだ。それらは決して目新しい情報ではないが、メディアによって記号として消費され、多くの人々が分かった気になり、じつは他人事として処理しているような事柄だ。普段は無意識に避けている話題が巨大パネル上で表現されることで眼前に迫り出してくる。この時期、彼は国立西洋美術館の企画展にも参加しており、車椅子ユーザーや子どもの視点を共有する作品を披露していた。同氏は他者の経験を生理的レベルで分かち合うことは可能かと繰り返し問い続けている。アートの素人で、長年、雑誌記者をしてきた私の目には、彼が、昨今まるで役に立たたないジャーナリズムに代わって、人間性が変化する過程を記録しているように映った。(*)

田中功起氏の展示風景

同じビルの7階の「YAU STUDIO」には、オランダから招聘された写真家、ロミーナ・クープマン氏と札幌からやってきたアーティスト、小林知世氏のOPEN STUDIO会場がある。

クープマン氏のブースで目にした、彼女が短期間のリサーチを経て制作した“日本”をテーマとした作品群には感銘を受けた。都心の街中を歩くビジネスパーソンや学生などの人物写真が半透明のパネルで遮蔽されて展示されている。当然、被写体のイメージは曖昧になり顔の造作も表情も判別できない。なのに、なぜか人物のリアリティが増している。

ロミーナ・クープマン氏の展示風景
ロミーナ・クープマン氏の展示風景

私には、Googleなどのテック企業を退職し日本で悠々自適の暮らしを送るアメリカ人の友人が何人かいる。彼らが東京に定住し始めた頃は「日本は何もかも安く、食べ物は美味しくて、治安が良い」と異口同音に語っていたのに、数年が経過すると「でも日本人って何考えているかわからないから友達ができにくい」と不平を漏らし出す。クープマン氏の作品は、私の友人たちの言葉をそのままカタチにしたようにも思えた。アイデアがシンプルなだけに訴えかける力が強い。普段、私たちが意識することがない日本文化の一面を鋭利な刃物で切り取ったような印象だ。

会期中に行われたトークより。右から2人目がクープマン氏

一方、小林氏のブースはアナログ的で、手作り感があるという表現が相応しい作品で彩られていた。展示室の一部が間仕切りになっていて、ドアを開くと祠(ほこら)のようなもうひとつの隠された展示空間に立ち入ることができる。

小林知世氏の展示風景
小林知世氏の展示風景

細長い通路を奥に進むと、テーブルの上の色紙に虫眼鏡を用いないと判別できない小さな文字がシミのようにこびりついている。断片的な感情の動きを表す、相互に関連性のない短文の数々を豆電球の明かりを頼りに読んでいくと、不意に寄る辺ない気持ち襲われる。作者の制作意図は、OPEN STUDIO期間内に開催されたアーティストトークで作者自身が語った「目的地を目指して歩くと見落とすものが多い」の言葉に凝縮されていた。自身が福祉従事者であるという小林氏の、ありとあらゆる儚い存在を代弁しようとする意思が胸に突き刺さり、しこりとして残るようだ。

小林知世氏の展示風景

(*)田中氏が評論家・藤田直哉氏との対談で「僕は、正直なところ、日本のなかでは『美術』という制度自体がなくなってしまってもいいんじゃないかと(中略)僕の肩書きがアーティストや美術家でなくなったとしても、僕はいまと同じような問題を同じように考えていくと思います」(『地域アート』、堀之内出版、2016)と語っていたのを覚えていたので、余計にそんな気がしたのかもしれない。

◾️現場力と、実験する力を感じた4日間

国際ビルのお隣、新国際ビルと隣接するビルとの隙間の路地のような空間「Slit Park」では、石川由佳子と杉田真理子のふたりからなる都市体験のデザインスタジオ「for Cities」が、アーバニストのための学びと実践の場「Urbanist Camp Tokyo」の一環として展示を行なっていた。

「for Cities」の展示風景
「for Cities」の展示風景

狭い空間に数点の木造の構造物が設置されている。そのうちのひとつ、ひと一人がやっと入れる円柱形の木枠の中に足を踏み入れると、目の高さに土と植物が置かれている。コンクリートで固められた都市の、極小の余白に自然を取り込もうとする。その(良い意味で)変態的な情熱に驚かされる。

「for Cities」の展示風景

そして忘れてならないのが、毎日、正午と14時からの数分間、ビルの合間の路上で開催される音楽集団「あちらこちら」のパフォーマンスだ。彼らは普通に楽器を奏でるのではなく、クラシック音楽を譜面よりも思いっきり遅いテンポで演奏したりする。通行人は足を止め、パフォーマンスが終了すると周囲のビルの窓からも拍手が巻き起こる。

「あちらこちら」のパフォーマンス風景
「あちらこちら」のパフォーマンス風景

アートにより環境が変化し、アートも環境から影響を受ける。聴衆は作品を見るために建物の中に入ってくる向学心に満ちたお客さんではなく通りすがりの人たちだ。でも彼らこそが、この作品の思い出を持ち帰り自分たちのコミュニティに新しい価値を与えようとするかもしれない。その意味でYAUのコンセプトにもっとも相応しい展示がこの“あちらこちら”のパフォーマンスだったのかもしれない。

「あちらこちら」のパフォーマンス風景

今回のOPEN STUDIOは展示以外にも見どころが満載だった。1日に最低1回、多い日は2回、4日間で合計6回のトークライブが別々のテーマ、登壇者で開催されたのだ。アーティストが作品について語るものやアートマネジメントの現場からの報告、企業とアートとの関係などなど。どの回も観衆は十数名だったが、小さな会場で行うのがもったいないほど内容の「濃い」ものだった。

会期中に行われた田中功起氏のトークより
2022年からYAUとアーティストのエクスチェンジ(交換)プログラムを実施してきた「SAPPORO PARALLEL MUSEUM」に関するトークより。左より山本卓卓氏、三野新氏、小林知世氏、小山泰介氏

各会場ではプロのアートマネージャーから高校生のアルバイトまで、現場スタッフたちが、阿吽の呼吸で献身的に動き回る。「1時間お昼休み行ってきます」と言って部屋を出て行った高校生が30分で戻ってくる。よく日本は現場力の国と言われるが、このイベントに参加して改めてそれを実感させられた。

YAU STUDIOの様子

最後に、4日間でとくに印象に残った、企業関係者が参加したトークで運営スタッフ・中森葉月氏がYAUについて説明したこのフレーズを紹介したい。「これは企業メセナやPRではない、いい(アート)作品を作ろうではなく、社会のなかで実験する力につなげていきたい」。つまりYAUは単にアートで地域振興したいのではなく、企業も含めた社会のあるべき姿を知るきっかけを掴むための試みということなのだろう。これって最近の流行りなのか? いや、そうではない。冒頭で紹介したMCPの立案者・山野氏もじつは似たようなことを考えていたのだ。そして彼はこう述べている。「こういう試み(アーティストとの協業)は長く続ける必要がある。お互いにわかり合おうとするのだが、なかなか分かり合えない。だから続ける必要があるのだ」と。



















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