大名茶人 織田有楽斎
現在、サントリー美術館で開催されているのは、
“四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎”という展覧会です。
本展の主役は、この人↓
織田有楽斎こと織田長益。あの織田信長の13コ下の弟で、「有楽町」の地の由来にもなったとも言われる人物です。
ちなみに。
本能寺の変で信長が襲われた時、有楽斎は、信長の嫡男である信忠とともに二条城に籠っていました。その際、信忠は親王を逃がした後に自害したのに対し、
長益は城を抜け出し、一説には岐阜へと向かったとされています。
そんなエピソードから彼に付けられたあだ名が、「逃げの有楽」です。
展覧会の第1章では、有楽斎にまつわる数々の資料を交えながら、果たして、その不名誉なレッテルは正しいのか?捏造なのか?を紹介。戦国フリークのマニア心をくすぐる展示となっています。
さてさて、本能寺の変を生き延びた有楽斎は、その後、秀吉に仕え、さらにその後は、家康に仕えました。
武人としての才能は「・・・。」でしたが、外交官としての才はあり、外交交渉で数々の成果を上げています。
また、有楽斎は茶人としての才も秀でており、その茶風は有楽流として、現在まで受け継がれているほど。本展の2章と3章では、有楽斎の茶人としての側面にスポットが当てられています。
会場には、《大井戸茶碗 有楽井戸》を筆頭に、
有楽斎が所持した、あるいは、有楽斎が好んだと伝わる茶道具の名品が大集結!
さらには、伊達政宗や古田織部らとの、茶人としての交流を示す書状の数々も紹介されています。
これまであまりフィーチャーされることがなかった有楽斎ですが。この展覧会を機に、再評価が高まるかも。
特に歴史やお茶に興味がある方は、是非、この機会を逃しませんように。
⭐️⭐️
ちなみに。
第3章の床に、何やら気になるものが書かれていました。
DAZNのロゴのようにも見えますが、
こちらは、国宝の茶室『如庵』の間取りを再現したものです。
実は、この如庵を建てた人物こそが、有楽斎。建仁寺の塔頭・正伝院を有楽斎が再興した際に、建造したものです。
余談ですが、この『如庵』という名前は、有楽斎のクリスチャンネーム「Joan」に由来しているという説もあるとのこと。
さてさて、展覧会のラストで紹介されていたのは、そんな如庵もあった正伝院に伝わる寺宝の数々です。
それらの中には、有楽斎の手作りと伝わる茶碗も含まれていました。
個人的に最も印象に残っている正伝院の寺宝が、こちら。
室町時代に作られたという《蛸足香炉》です。パッと見は、火星人のようでした。
もしくは、『攻殻機動隊』に登場するアレのよう。
それと、もう一つ印象に残っているのが、《波に卯図》。
描いたのは、有楽斎の次男、織田頼長です。
上手すぎもせず。かといって、下手すぎもせず。絶妙のゆるさを漂わせていました。
ゆるいといえば、仁阿弥道八による《御本立鶴写茶碗》も。
キャプションには、「立鶴」とありますが、そう言われてみれば、まぁ、鶴にも見えなくもないような。
生きている鶴というよりは、鶴の骨格標本のようです。おめでたさが半減、いや、激減している気がします。
┃会期:2024年1月31日(水)~3月24日(日)
┃会場:サントリー美術館
┃https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2024_1/
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