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File.48 「オリジナルな音」から立ち上げる演劇空間 池田野歩さん(音響デザイナー)

ロロや範宙遊泳、カンパニーデラシネラなど気鋭のカンパニーとともに作品を創る音響スタッフとして信頼を集めつつ、ときにインスタレーションや映像作品の音響も手がけるなど幅広い活動を展開する音響デザイナー・池田野歩。その音はどこに連なりどこに向かうのか。演劇との出会いから今後の展望までを聞いた。
取材・文:山﨑健太(批評家・ドラマトゥルク)
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(写真上)『スワン666』(18)より、水中に沈めたマイク

—— 演劇に関わるようになったきっかけを教えてください。

昔から映画が好きで、映画の脚本を書きたいと思って日本大学芸術学部の映画学科を受けたんですけど落ちちゃって。併願していた演劇学科劇作コースに入ったんですけど、その時点では演劇はほとんど見たことがなかったんです。
当時の演劇学科の授業は新劇寄りの、ベーシックな演劇が中心で、入った当初は演劇が面白いと思えませんでした。高校のときからずっとバンドもやっていたので、1年くらいはそっちで積極的に活動していたんですけど、バンドが解散してしまったんです。これから何をやろうかなと考えていたタイミングで同期が自分たちの団体を立ち上げるようになってきて。結成自体はもう少しあとになりますけど、そういう同級生のなかに僕が今も一緒にやってるロロのメンバーもいたりした。日芸は舞台音響の専攻が当時なかったので、僕も実は授業で音響のことを習ったことはないんですけど、バンドをやっていたので機材の使い方がわかるやつということで音響やってくれないかと誘われたんです。そうやってなかば自然発生的に音響をやるようになっていきました。その頃はまだ映像をやりたいという気持ちもあったので、最初のうちは舞台映像と音響の両方を担当するというかたちでやっていました。でも、同級生だったり学外の人だったりといろいろやってるうちに演劇も面白いなと思うようになっていって、自分でもユニットを組み、作品を書いて作品を発表したりしました。最終的には飴屋法水さんの舞台に関わるなかで音響という仕事・表現が自分のなかで腑に落ちていく感じがあったんです。

—— 飴屋さんとはどのように出会ったんでしょうか。

バンドが解散してからは大友良英さんとかそういうアンダーグラウンドな人たちに影響を受けてギターの即興演奏みたいなことを一人でやっていました。その流れで演劇でもアバンギャルドなものの方に興味が出てきて、ダムタイプとか飴屋さんの作品を観るようになっていった。そうやって自分のなかで面白いと思える演劇の方向性みたいなものが見えてきた頃に、縁があって飴屋さんの作品に関わることになったんです。
最初に観た飴屋さんの作品はフェスティバル/トーキョー09春で上演された静岡舞台芸術センター(SPAC)製作の『転校生』(作:平田オリザ)でした。見たときは本当にもう、全身の毛穴が開いたような衝撃があって。
それから半年経たないぐらいのタイミングで、大学の後輩が飴屋さんの演出助手をやることになったんです。リトルモア地下という原宿にあったギャラリーで『3人いる!』(作:多田淳之介)という作品を1週間、毎日違うキャストと演出で上演するという企画でした。そのうちの1回に映像を使いたいということで後輩が僕に声をかけてくれて、飴屋さんに会うことになった。そのすぐあとにフェスティバル/トーキョー09秋で上演された『4.48 サイコシス』(作:サラ・ケイン)という作品でも映像を担当して、そこから飴屋さんの作品に映像として参加していくことになりました。
飴屋さんの作品に関わりはじめた頃はまだ、音響よりも映像の方が自分のやりたい表現という感じが強かったんですけど、飴屋さんは自分の作品ではご自身で音響をやられることが多いので、僕が飴屋さんの作品に関わるときは飴屋さんの横で映像のオペレーションをすることが多かった。そうやって隣で飴屋さんの音響演出を見ていくなかで僕なりに影響を受けて、表現としての音響ということを意識するようになっていったんです。
もう一人、音響としてはサウンドエンジニアのzAkさんにも影響を受けています。飴屋さんの作品では飴屋さんとは別にエンジニアとしての音響さんが現場にいることが多かった。それで『4.48 サイコシス』のときにzAkさんとも出会いました。『4.48 サイコシス』のスタッフはプロ中のプロみたいな方ばかりで、僕一人が学生という状況だった。そうやってプロフェッショナルに囲まれて、間近でその仕事を見ながら自分の仕事をやってるときに、これからもスタッフとしてやっていきたいと思ったのをよく覚えています。

画像3F/T09秋『4.48 サイコシス』 Photo: Jun Ishikawa

小劇場演劇の音響ということで言うとポツドール等で音響をされていた中村嘉宏さんにお世話になりました。大学2年生ぐらいのときに出会って、音響のノウハウみたいなものは中村さんに教わりました。
卒業してからは縁あってリトルモア地下でスタッフとして働きはじめました。リトルモア地下が閉館するあたりまでの1年間、在籍しました。並行してフリーの仕事も続けてたんですけど、まだ十分な収入があったわけじゃなかったので、その後は西麻布にあったSuper Deluxeでもスタッフとして7年程働いていました。Super Deluxeでも音響、照明、映像等のセッティングから、受付、バーに至るまでなんでもやっていました。その後、Super Deluxeが閉店するタイミングで完全にフリーランスとして活動するようになり今に至るという感じです。

—— 今後の活動について考えていることを教えてください。

この1年間は公演中止や延期になってしまった現場もありましたが、自粛期間は自分が今までやってきたことを見つめ直す良い機会にもなりました。音響にも技術が売りの人とかデザインが売りの人とかいろいろいると思うんですけど、僕は自分をデザインの人間だと思っています。クリエイティブなスタッフでありたいという気持ちが強くあって、もちろん演出家とも相談しながらプランは決めますが、音響に関しては基本的に自分からの発信で進めていくというスタンスでやってきました。
コロナ禍で活動を継続するためにいろいろな助成金の申請書を書くことになって、今後の活動をどうしていきたいかということを改めて考えたときに、今やっていることをただ継続するだけじゃなくて、よりクリエイティブに展開していくために何ができるかを考えた。例えば音響効果、音効と呼ばれる仕事があって、それはもちろん今までもやってきてはいるんですけど、ライブラリー音源などを用いることも多かった。もっと積極的に自分のオリジナルな音を作っていきたいと思ったんです。
昔から機械いじりは好きだったんですけど、最近は使っている音響機材や電気部品の仕組みを改めて勉強しています。技術が進化していくことで忘れられていくものがありますよね。機材の勉強をはじめたのも、先端技術みたいなことをやりたいというよりはむしろ、昔ながらの技術や今使っている技術を研究することで自分の音を作っていきたい、オリジナルな音を出すモノを作っていきたいという気持ちが強い。それを自分の強みや味、表現として、作品に溶け込ませていけたらいいなと思っています。

軋み音を出すマシン(上)ツアー先で録音している海の音、(下)軋み音を出すマシン

飴屋法水や大友良英の名前に意表を突かれると同時に腑に落ちるものを感じた。彼らのパフォーマンスではたしかに、そこにいることの生々しさ、ライブ性とテクノロジーに支えられた音とが強く結びついていたからだ。場を共有し、同じ音の中に身を浸すこと。コロナ禍でその喜びを奪われるなかでも、池田は自らの音を追求し続けていた。

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池田野歩(いけだ・のぶ)
日本大学芸術学部演劇学科劇作コース卒。在学時より音響、映像に携わり、飴屋法水、生西康典演出作品などに参加。卒業後はフリーランスと平行して、リトルモア地下、西麻布Super Deluxeなどにスタッフとして携わる。劇団ロロ、小野寺修二演出作品、カンパニーデラシネラ、範宙遊泳、玉田企画などの音響を担当。インスタレーションの音響設計に、佐藤直樹個展『秘境の東京、そこで生えている』(アーツ千代田3331)など。飴屋法水演出作品では『じ め ん』(11)、『教室』(13)などで舞台映像を担当。『スワン666』(18)、『キス』(21)では音響も担当している。

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