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Vol.59 「思考音楽」——哲学書を読むように、聴いて考える音楽 渡辺裕紀子さん(作曲家)

作曲家の渡辺裕紀子さんは、芸術家(アーティスト)は常に問いを投げかける存在だという。自分にも、社会に対しても問いかけ続けるのである。現代音楽として十把一絡げにされることを拒み、クラシック音楽とも違うと語る。作品の本質にある問題意識や、やろうとしていることに目を向けて名付けをするべきだという。
コンクールや作曲賞という他人が作った評価軸の中で萎縮してしまう若手作曲家の現状を心配しながら、「上の世代」の一員として果たすべき役割を考え続けている。
取材:小室敬幸 構成・文:鉢村優

*このインタビューは、2021年1月に行われました。

——プロフィールを拝見すると、小さい頃から作曲とソルフェージュを習われてたそうですが、いわゆるクラシック音楽、現代音楽を意識するようになったのはいつ頃だったんでしょうか。

小さい頃からピアノをやってたんです。ソルフェージュを低学年ぐらいから始めて、現代音楽に触れたのは多分、地元の長野・松本でやっていたサイトウ・キネン・フェスティバル松本(現セイジ・オザワ 松本フェスティバル)がきっかけです。小澤征爾指揮でオネゲルのオペラ『ジャンヌダルク』をやったんです。子どもの合唱でオーディションがあって、子ども役で入りました。この経験は結構大きかったかなと思うんです。

——その後、桐朋学園音楽大学を出た後にヨーロッパに行かれ、オーストリアとドイツで長らく活動されました。ここからはぜひ、渡辺さんの考える現代音楽の未来について伺えますでしょうか。特に日本の場合だと、現代音楽は冷遇されているというより、「興味を持たれない」のが現実です。どうやったら現代音楽がもうちょっと社会の中で意義のあるものとして存在していけるのかを考えたいんです。

日本の若い音楽家や作曲家に創造の場を与えるような活動をしたいですね。若い世代には、才能のある方がたくさんいるんだけど、それが、あんまり活躍できてないなっていう感触があります。優等生が多くて、すごくうまくやってるけれど、それで本当にいいのか? 若い人がやりたいことができるように構築するのが、もうちょっと上の世代のやるべきことだと思うんです。私自身、若い人からも刺激をたくさん受けたいので。
学内の評価やコンペティションを重要視せざるを得ない状況にあって、どういったものが評価されるかも、ある程度意識していると思います。つまりルールがある中でどうやって自分の個性を出すかをやっている、でも、そもそもルールなんてないと思うんです。 

——どうやって評価されればいいのか、どう自分の地位とかキャリアを築いていけばいいのか。そこに不安があって自分が本当にやりたいことに踏み切れない人も多いですよね。

そうですね。一般社会の考えを当てはめようとすること自体がそもそも違う。一般社会とは違う価値観が現代音楽にはあって、そもそもルールが違うんだっていうことを、一般の方に伝えることはもちろん、その世界の中の人たち自身も、もっと分かっていったほうがいいなと思うんです。
「現代音楽」っていうくくり自体も堅い。なんでもいっしょくたに「現代音楽」というよりは、何かその人たちが本当にやりたいというか、やりたい内容に名前を寄せていきたい。私の場合なら、音楽を聴いて思考する……っていう方が、合っていると思っています。「思考音楽」みたいな。文字を読むことを通じて考える哲学があるように、聴いて考えるという運動性を提供する。それはいわゆる「現代音楽」とも「クラシック」とも違うものなんです。呼び方を改めることで、また違う価値観が生まれてくるかなと思います。

ジャンル分けって、ボーダーをどこで引くかだけのことになっちゃう。その基準も、自分の感覚じゃないものがベースになっている可能性が大いにあると思うんです。だから、一つ一つの判断を自分で下していく。名前に関しても自分で考えて、これがいちばん、もともとの自分の核になってるっていうものをチョイスしていく自由があると思うんです。自分の感覚に素直になって、それぞれの言葉を当てはめていくっていう作業は、自分で選択して、それを責任取っていくっていうことなんですよね。周りがどう評価するか、それが定着するかっていうことは、歴史が決めていくことであり、学者の方が評価されることであって、私たち自身は、もう本当に自分の感覚にどれだけ素直になるかっていうとこがクオリティーになっていくのだと思います。
そうやって自分の感覚に根差して、選択して責任を取ることは、一般の人にも日常的にあることです。たとえば朝起きて、今日なんの洋服を着ようとか、今日これ食べようみたいなことは生活の一部じゃないですか。ただ、お友達と会うからこういう洋服は駄目やめようとか、ほかの価値観が入ってくることで皆さん判断している。それに対して、「それって自分で思ってやってること?」っていう疑問の投げ掛けこそが、アーティストの役割だと思うんです。その問いかけによって、本当に皆さんが自分自身を生きることができる。それが私たちがやってることの意義っていうか、社会と繋がる接点だと思っています。 

——渡辺さんの関わられている現代音楽と社会をつなぐリサーチコレクティブ JWCM(女性作曲家会議)もそうですが、現代のフェミニズムとかジェンダーの問題、クイアまで含んだ視点にしても、やっぱり生活に根差していて、個個人の人権、尊厳にすごく直接関わるからこそ、社会運動として、大きな力を持つようになっているわけですよね。

音楽を聴こうとする人は、音を聴いて楽しいとか、高揚したいとか、そういう効果を望んでいると思いますが、もしそういう方々が私の音楽を聴いたら、ストーリー性のある本を読むつもりで来て、哲学書を読まされているみたいなことになると思う。「よくわからないものに出会いに行こう」みたいなモチベーションで聴いていただくほうが体験としては近いでしょう。「聴く音楽」じゃないんです。あるジャンルの音楽というよりは「思考体験」に近いと思っています。

誰もみな「自由でありたい」と口では言いながら、既存の考え方や他人が敷いたレールに乗り、その中で評価されようとしている。常に問い続け、考え続けるのは大変なエネルギーと時間が必要だ。自由がない方が実は楽であって、心の底では誰かに決めて貰うことを望んでいる……渡辺さんは人が抱える弱さや矛盾を指摘する。お仕着せのものの見方に抗い、自分自身を定義し続ける渡辺さんの胆力である。
渡辺さんの音楽や創作を貫く「あなた自身を生きているか?」という問いは、現代音楽という粗雑なジャンル分けを突き抜け、わたしたち聴き手に切実に迫る。


渡辺裕紀子(わたなべ・ゆきこ)
作曲家、オーガナイザー。自身の作品を「聞く哲学」とし、「思考音楽(Audio-Philosophy )」と名付けている。2019年より「現代音楽家と社会」をテーマにしたリサーチコレクティブ JWCM(女性作曲家会議)共同代表として「ジェンダー」「フリーランス」「国籍やエスニシティ」「キャリアと結婚」など、女性作曲家を取り巻く環境について調査を行うほか、Cabinet of Curiositiesの活動の一環としてキュレーションを行う。やまびこラボ代表。桐朋学園大学、日本大学芸術学部音楽学科非常勤講師。
これまでに作曲を原田敬子、ベアート・フラー、ヨハネス・シェルホルン各氏に師事。ピアノを花岡千春、間宮芳生各氏に学ぶ。桐朋学園大学卒業後渡欧し、グラーツ音楽大学で修士課程を修了。出産と共にドイツに移住。ケルン音楽舞踊大学にてドイツ国家演奏家資格を取得し、その後はアンサンブルモデルンのもと一年に渡ってIEMA奨学生として研修を行った。

©️Miyuki Shimizu

公式サイト http://yukiko-watanabe.blogspot.com/


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