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Artist Note vol.5 中島佑太

「Art Squiggle Yokoyama 2024」では、「アーティスト・ノート」というコンセプトを掲げ、各参加作家に本フェスティバルの準備段階で、まだ頭のなかにしか存在していなかった展示についてのインタビューを行いました。作品に込める思い、悩みや葛藤、インスピレーション源についてなど、まさに「Squiggle」の最中にいたアーティストの声がここには綴られています。

アートとは? 労働とは? 遊びとは? 
カタチとして残らないワークショップを行い続ける理由

《今日の遊び場》(2024)のスケッチ

今回の大きな岩を使ったワークショップは、どのように思いついたのでしょうか?
マイナビの主催ということで、働くことについて考え始めたんです。そこで、かつて鉱山で働いていたという朝鮮人労働者たちのエピソードを思い出して、そこから着想を得ました。《今日の遊び場》という今回の作品は、石を砕き砂に変える過程を手作業によって行い、砂場をつくるワーショップです。大きな岩を少しずつ小さな砂つぶにかえ、砂場にできた山にトンネルを掘ることを目指します。ワークショップ参加者は、インストラクションに従い、石を削り、小さく叩き割っていくことで砂をつくり、それらを砂場へと運びます。過酷さを連想させる砕石や採掘といった労働によって、芸術作品に参加をし、遊びという人間の根源的な活動の場へと接続を試みます。砂山にトンネルを掘る行為は、子どもの頃に誰もが体験した遊びのひとつなのではないでしょうか。

そうですね。子どものころは、砂場を誰がつくってくれたのか誰が遊びの場を支えているのかについて想像すらできていませんでした。
自分自身のことを振り返ると、僕は群馬県前橋市のなんの変哲もない住宅街で育ちました。家のすぐ近くには利根川が流れていて、河川敷側には砕石プラントや資材置き場があり、そこに置いてある土管や砂山は子どもたちの格好の遊び場でした。深く考えることもなく、そこはずっと廃墟だと思い込んでいました。 今でも当時聞こえた特有の音がするので現役だと思うのですが、稼働してい るところはあまり見たことがありません。もちろんそこで働く人たちにも会ったことはありませんし、その石がどこから来て、どこへ行くのか、何に使われているのか、知らないし興味を持ったこともありません。同じように、朝鮮人労働者のことも、つい最近まで考えたことはなかった。
遊びもアートも、主体である個人の内側に、誰からも指示、強制されることなく湧き起こるものだと思っています。ワークショップの名の下に、ある種強制された作業から、遊びやアートは生み出せるのか?という問いを自分の中では掲げています。

《今日の遊び場》(2024)Art Squiggle Yokohama 2024
Photo: 市川森一

ワークショップを追求するようになったきっかけを教えてください。
ぼくは親に言われるがままに東京藝術大学に進学したタイプなんです。これは美大生にありがちな問題かもしれないのですが、美術大学の受験自体が目的になってしまって、入学後に急に目的を見失ってしまったんですね。それまで半強制的に絵を描かされていた感覚だったので、デッサンなども特別好きにはなれませんでした。そんな将来への葛藤を抱える中で、大学でワークショップというものに出会ったんです。当初はそこに流されるように作品をつくりはじめました。

これまでに子どもたちを交えたワークショップを多数行っていますね。
子どもを対象にしたワークショップをしてほしいという保育園や美術館からの依頼は多いですね。ただ、工作教室の先生にはなりたくないので、例えば保育園では、子どもを通して見る社会をもっ と探ってみたくなり、どちらかというとアーティスト・イン・レジデンスで作品をつくるように関わっています。また先ほど言ったように、お題通りに何かをつくってもらうというかたちはとらな いようにしているんです。突き詰めるとそれが、子どもたちが「何かをつくらされている」と感じ る経験につながっているからです。子どもたちに「何して遊ぶ?何つくる?」と尋ねると戸惑った顔をされることが多いのですが、それが大学時代の自分と重なるんですよね。それを壊したいと思っています。

《あっちがわとこっちがわをつくる》東京都現代美術館、2020
《あっちがわとこっちがわをつくる》東京都現代美術館、2020

ワークショップと一口に言っても、手法はさまざまだと思います。なぜアートとしてワークショップをつくっているのでしょうか?
ワークショップって、なぜか「おまけ」のような見られ方をするんですよね。美術館でアーティストによる展示の関連企画としてワークショップが企画されていたりします。その裏にはアーティストの展覧会の費用を十分に払えなくとも、ワークショップならば謝礼として別途ギャランティーを支払えるという予算上の都合もありました。今は昔と比べて状況が改善されていると思いますが、そうした事情を関係者から聞くなかで問題意識を感じるようになったんです。

なぜワークショップはサブとして扱われるのか、という問いですね。
これは、そもそもアートの価値を誰が決めているのかという問いにもつながります。何がアートかを決めてきたのは、長年にわたって裕福な白人男性でした。現在、美術館に展示されているアート作品も、そうした価値観の延長線上で価値づけされたものが多いです。さらにそれをマネタイズするために「おまけ」としてつくられたワークショップの参加者の多くは子どもと、子どものケアをする女性たちです。ワークショップに若い成人男性が来ることはほとんどありません。ワークショップを行う上で、本来ないはずのジェンダーギャップやインクルージョンの観点に関心を持つようになったんです。またアーティストとしてワークショップを行い続けるのは、これだけメディアが多様化した現代で、ワークショップもアートであるということを投げかけるための、ある種の意地なのかもしれません。

Interview Date: 2024/06/20
Text by Asuka Kawanabe


PROFILE
1985年群馬県生まれ。2008年東京藝術大学美術学部卒業。大学卒業以後、一貫してワークショップを用いた活動を続けているアーティスト。ルールやタブー、当たり前だと考えられていることなどに関心を持ち、遊びや旅といった軽やかなテーマを通してその書き換えを試みている。近年は、保育施設で活動を拡張し、子どもたちやその周りにいる大人たちとの関わりから見えてくる社会の問題や課題をリサーチしながら、芸術と遊びの融合を模索している。


About "ARTIST NOTE"
会場では、それぞれの作家ごとに用意されたテーブルの上に普段制作に使用している道具やアトリエにあるもの、影響を受けた書籍などが並ぶほか、インタビューや制作プロセスが垣間見れる写真などが掲載された「アーティスト・ノート」が2枚置かれています。会場を巡りながらそれらを集め、最後にはご自身で綴じ、自分だけの一冊をお持ち帰りいただけます。

中島佑太のアーティストテーブル


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