左利きあるあるとマイノリティイズム

◎何故我々はマイノリティの話をしなければならないのか

「私は差別なんかしていないのだから、そんな辛い話もうしたくない」みたいな気分は常にあるんだろうな~と、例えば母親と喋っていて思います。

「いいじゃん、皆が好きに生きれば。なんでそんな差別とかマイノリティとか気にすんの?」って結構言われます。その「なんで」を駄弁ろうと思ってきました。ちょっと長めです。


人種、民族、階級、性別、性嗜好、身体的特徴やハンディキャップなど、マイノリティに該当する人間は沢山。

そんな中で、私は左利きです。
左利きは一応日本人社会だとマイノリティに該当します。確か10%もいない筈。

たかが左利きですら、語るべきマイノリティだ。という主張をさせてくれ。


一時期「性的マイノリティは左利きと同じ数だけいるんだよ!」っていうミームが出回ったりしましたね。
特に日本だとセクマイこそ、在日の方々などと並んで差別のアスペクトで語られる筆頭ですが
左利きの人間というと別に誰も『差別される存在』としては認識してないんじゃないかなと思います。「左利きの奴って苦手だな」なんて言う人、見たことないし。それでも私は割と差別を感じて生きていたりします。


精神的にはそこまで虐げられてないけど、「社会のシステム上ハブられがち」だからです。

別に誰に嫌われてなくても、暴行されてなくても、「ハブられる」のは当たり前です。マイノリティだから。

マイノリティの話をしよう。それがないと我々、存在証明も出来ないんです。暇つぶしにでもちょっと聞いていってください。


というわけで
適当に楽しく「左利きあるある」を披露しながら
「マイノリティ一般」というクソデカ主語にまでこの話題を昇華していきたいと思います。

(※本記事は「左利きごときでゴチャゴチャ抜かす」予定です。
「精神的差別をそこまで被っていない左利きですらこれなんだから、精神的な差別をも被っている性的マイノリティとか女性とかはもっと大変なはずです!」って言いたい。よって「左利きごときで大げさな」という感想は、私の想定するところではないです。)


◎左利きあるある~左利きのつらみについて~


〇左利きを意識することが一生ある
・駅の改札で、左手で取り出したカードを右手に持ち替えて通ります。カード読み取り機が右側にあるからです。
・レストランで、右利き基準でおいてあるフォークや箸をひっくり返します。普通は右利きの人が手に取りやすいよう、右の方に柄がある形で置いてあるからです。
・受付の「ご署名願います」の時、右側に立ててあるペンを左手を伸ばして取ります。これがペン立てと紐でくっついているタイプだと書きづらいんですよね。
・自販機のお金入れるところが右側にあるので(気付いてました?) お金入れるときは身体をひねっています。右手が不器用だから、右手で持つとお金落としちゃうのよね。
・PCのマウスは左側に置く派の左利きです。図書館のPC、座ったらまずマウスを反対側に移動します。コネクタの形状によっては移動できなかったりします(笑)。

私は左利きです。

別にこれらの事実はまあほぼ一瞬でどうにかなるんで、自然とどうにかしています。
誰も恨んではいません。右利きに比べて多少、毎回2㎜くらいイライラするけどね。だからって別に右利きアンチではないです。

何が言いたいかっていうと、日常のこういう場面1つ1つで
・カードを右手に持ち替える度
・箸をひっくり返す度
教えられるのです「あなたは左利きだよ」「普通は右利きなのにあなたは左利きだよ」と。

いつでも自分が左利きだって思って生きています
・「わあ左利きなんだね!左利きって頭いいんでしょ」と言われる度に。


「皆あなたが○○だからって気にしてないよ。あなた自身が気にしすぎじゃない?」みたいなことよく言われる訳ですけど、社会構造上気にせざるを得ない訳ですね。
気にして生きてないと、右利き用のハサミとかで手つるからね


〇左利きで難儀なことも一生ある

左利きです。
・ハサミがうまく使えません。デフォルトが右利き用だと、左手で持つと切れないんですハサミって。手がつるだけじゃなくて、滑って切れないの。
・万年筆が使えません。使い方見ても聞いても調べても、右手で使う前提なのであまり参考にはなりません。
・レストランに友達と入るとき、真っ先に席を取ります。左端の席。そうしないと食べてるとき友達と肘がぶつかるからです。
・会社の宴会とかの場合、座る席が決まってると左端の席に走っていくこともできないので、もうなるべく何も食べません。肘がぶつかったらどんなに仕方なくてもこう思います「私さえ左利きじゃなかったら」「左利きでごめんなさい」。
・「左利きだから頭いいんだね」と言われる度、小さい頃の私は「私がいくらテスト勉強していい点とっても、『左利きだからだね』で済まされちゃうんだ」と学びました。私の徹夜のテスト勉強が左手に取られて行きます。「頑張ったね」じゃなくて、「いいなあ左利きは頭良くて」。
・小学生の時。ミシンの使い方、書道の授業、図工のノコギリの使い方。すべてチュートリアルは右利き基準で行われました。「私は左利きだから、この映像を反転して…だから要するに…」小さな頭はこんがらがりました。作業も一足遅れました。「とろくさいのね、きっと知能が低いのね。テストの点だけは良いかも知れないけどね。」おばさまの言葉、忘れません。
・あと、「日本の遊び」とかの授業で駒回しやったんですけど、皆右手で投げるのに私左手で投げるから駒に紐巻くとき私だけ反対向きに紐巻かなきゃいけないのにずっと気付かなくて、結局何回投げても無駄でした。無念。似たようなことはいっぱいあったなあ。

私は左利きです。

左利きであることを意識します。
皆が特に意識すらしないことに苦労するたびに。
意識しますし、自己肯定感に関わります。
特に小さいときなんて、周りと比べて自分が“おっちょこちょい”なの、しんどいんです。
こっちが今見た「ちょうちょむすびのやりかた」を左利きの自分用に反転して再生している間、周りのお友達はもう走り出してるんですよね。親戚のおっさんとかに「どんくさいもんな!」って言われます。小さい私は「どんくさいんじゃないよ。人よりもう一つ考えることが多い分時間がかかるんだよ」なんて上手に喋れはしません。母親ですら「あんたはどんくさいから」と言って私を育てました。その実私は左利きなだけだったんです。左手用に説明さえしてくれたら、きっと呑み込みはもう少しはやかったはず。

今でさえカフェなんかで友達と肘がぶつかるたびに、本当にカジュアルに「あっごめん私が左利きだから」って思います。誰も悪くないの、頭ではわかっているけど、もう習慣として「私が悪いことなんだ」と自動的に思うことになっています。
誰に責められるからじゃありません。マイノリティは数が少ない故周りに仲間が見当たらなくて、なんで「自分だけ」こうなのか解らずに、往々にして自分のせいにするからです。

それでも「左利き」くらいならまだましなものです。なぜなら「左利き用のハサミ」が存在するから。
左利き用の商品が存在するからです。
資本主義社会に、「利潤を生むだけの数がいる集団だからこいつら用に作れば儲かる」と認めていただいたから。これでやっと人並みにハサミが使える。
仮に実際にそれが手に入らなくても、<左利き用のハサミ>の存在を認知するだけで、「どんくさいんじゃなかった。私は悪くなかった。左利き用のハサミじゃないからできないんだ!なーんだ」って自分に言い聞かせることができる。周りの人に説明もできます。

『左利きは違う』と認めてもらっただけマシなんです。『この世に左利きと呼ばれる人間が一定数いる』と認知してもらっただけマシなんです。
市場としての『左利き』が認められているお陰で私は「どんくさくて不器用で知能が低いガキ」でなく、「ただの左利きのガキ」でいられます。

でも別に市場として認められたからって、すべからくマジョリティとマイノリティの格差が埋まるわけじゃありません。
「左利き用」を探して歩き回る苦労、右利きの人は一生しなくていいわけだから。
私は左利きなので「左利き用」という文言を探します。右利きのあなた方の使う商品にはわざわざ「右利き用」って書いてないからわからないはずだ。左利き用には書いてあります。右利き用の商品、探し回ったこと無いでしょう?

理由は例外がこっちだからです。

私はこれからも肘がぶつかるし、その度に謝るし、駅の改札では毎回カードを右手に持ち替えます。カードリーダーなんてどっち側からタッチしても良いようにしてくれさえすればいいのにと、時折思いながら。


◎マイノリティを語る意義(だと私が個人的に思っていること)

右利きの方々から頂戴するお言葉があります。
×「お前が気にしすぎなだけじゃない?」
○「気にしてる限り一生終わんないよ?気にしなきゃ良いんだよ」
 そうだなあ…後者に関しては文言自体は正しい気がします。
 大衆を属性で分けて、マジョリティだのマイノリティだのいわねばならない世界、私はあんまり好きじゃないです。だから実は賛成です。

「気にしすぎでしょ。」
「気にしなきゃいいじゃん。」
「皆それぞれ違っていいじゃん。不安がりすぎw 文句言い過ぎw」

全部同意です。

「なぜ右利きだの左利きだのと言わねばならないの?」
「気にしなきゃ良いじゃない。」
完全に同意ですとも。
マジョリティとマイノリティを定めるから気になるんです。
ごちゃ混ぜであってくれりゃいい。
「もう相手が右だか左だか解りません🙄知るか🙄どっちでもいいわ🙄」
って本気で言える世界だったらその考え方は大正解
だと思う。

だったらじゃあ全部真ん中に置いてくれ。
受付のペンも真ん中でいい。
箸は垂直にでも置いといてくれ。
駅の改札は両側ともカード読み取り機つけてくれ。
料金入れも自販機のド真ん中でいい。

気付いたことありますか
あの背丈の低い、バリアフリーの自動販売機

それでも料金入れは右側についてんだよな。結構右端に。
あれ真ん中にはならなかったかな。
車椅子の人や、背の低い人、子供たちは見えたようだけど
左利きの人間は見えなかったみたいじゃないの。
見えてたけど「気にする程でもない」と思ったのかな。
あれ真ん中にしてよ
仲間に入れてよ

私に「あなたは例外ですよ」って、そんなに教え込まないでくれ。
本気で「気にしなきゃ良いでしょ」を実現したいなら全部そうしてよ。
社会がそこにコミットしてよ。我々を想定してよ。

書道の教科書に左利き用のページを作ってよ。
左利き用のミシンを学校に置いてよ。
左利きの人のために、逆向きで同じ説明をもう一度してよ。
リコーダー逆手に持っても気にしないでよ。一緒だろそんなの。
逆向きのピアノとか作ってよ。我々左手の方が器用に動くんだよ。
隣と肘のぶつからない座席を産み出してくれよ。
あと横口レードル(嘴みたいな形の鍋のお玉ね…ビュッフェでよく見るやつ)。
あれも左手でやると手つるんですよ知ってた?
知らねえだろ。
左利き用の横口レードル置いてよ。スパゲティ取るやつもだよ。
イヤホンの音量調整だって当たり前のように右耳の方についてる社会で
気にしなきゃいいじゃんなんてどの口が言うんだ。
じゃあ気にさせない社会にしてよ。
全部の商品に「右利き用」って書けよ。
別に「左利き用」だけが例外じゃないですよって、フリだけでもしろよ。


「例外」じゃなくて「一員」だよって教えてよ。


悪かったよ、皆さんと違って。


こんな言ってるけど別に右利き社会前提の合理が解らないわけじゃないんです。「8割の人が同じシステムを不便なく使えるのだから定型化してしまった方が合理的」という考え方、まあせやなって思います。
今の右利きの便利を皆が手放せばいいのにとかも特段思ってないです。
もうそうなっちゃってるし仕方ないよね~理解してます。

合理的資本主義下でのマイノリティは「大衆」から省かれます。我々の不便は想定されません。数が少ないから気にする価値もないんです。多い方に合わせた方が、やりやすいし儲かるんだよな。そりゃそうだな。

良いよ別に全部右側で。(一個くらいは逆向きのやつ置いて欲しいけどさ。特に小さい子の心の健康に関わるから幼稚園とか学校とかは。)

私たちの存在に気付かなかっただけ。市場が小さすぎて、ちょっと見づらくて見逃しちゃっただけ。知ってます。数多い方優先すんのも当たり前です。現代資本主義だもの。


でもそれなら
なんで私が罪悪感や責任を感じないといけないんだろうとは思うわけです。
現代のシステムが「私」という属性を認知しないことこそが我が生活を不便にしているのなら、
なんで「お前が例外なのが悪い」みたいな感じになっちゃうのかなあ。
なんで私が「私がどんくさいのが悪い」みたいな感じだったんだろう。
何故「お前はとろくさい」って思って生きることを、周りも、私も、当然と見做したんだろう。
何故誰もそうじゃないと言ってくれなかったんだろう。
何故誰も私を救ってくれなかったんだろう。

私は小さいときにただ「あなたの所為じゃない」と言ってほしかった。「左利き用のハサミというものが存在するんですよ」と誰かに教えてほしかった。
「あなたが"とろくさ"く感じるのは日本はほとんど右利きだから。あなたが左利きで、みんなのルールが少しあてはまらないからですよ」とそれだけ教えてくれたら。
それだってカード持ち替える現実も、左利き用のグッズを探す手間も消えないけど、気持ち的にずっとずっとマシだっただろうに。

今さら「なーんだ左利きの私は悪くなかった。ただ資本主義が私(需要)の存在に気付いてなかっただけなんだ!」だなんて気付いたところで5歳の時の自己肯定感は返ってきません。私が自分のことを「不器用なとろくさい知能が低い人間だ」と思いながら育った、大事な大事な子供時代は返ってきません。私の傷は私の人格形成に関わった。出来ればない方が良かった傷です。
「あなたはマジョリティじゃないから不便被ってるだけ あなたが悪いんじゃないんだよ」って、せめて子供にも解りやすく言える社会であってくれよ。そうでなきゃ、マイノリティの子供は「個性」と共に「傷」を背負います。傷が邪魔で個性の本質が見えないんです。

この世界が例外を例外と呼ぶことを選んで、それでも民主主義を名乗るなら、せめてそこを釈明して我々を自己否定というマイノリティイズムから救う義務があるでしょうよ。
最低限それはやろうよ。
と思うわけです。

その程度のことすら出来ない社会の中で、
マジョリティ本意の前提で、しかも例外を無意識に辱めながら
我々全員が、互いを慮れずに生きている。
だから「気にしすぎじゃない?」だなんて、右利きの人が私に言わないでよねって思ったりします。

だって気になるんですマイノリティだと。

それは地方民がコミケ行くときに都会民なら出さなくていい"遠征費"を払いながら「自分って地方民だな」って思うのと似た種類のものです。「たまにはこっちでやってくれたっていいのに」

それは果物アレルギーで、食べられる物が限られてしまう故にビュッフェのお誘いを断った時に「私って果物アレルギーだな」って思うのと似た種類のものです。「このアレルギーがもう少し認知されたら、選択肢がきっと増えるのに」


誰も悪くないんです。知ってるわそんなの。誰も悪くねえんだわ。
別に都会民に怒ってないよ。
都会じゃなくて地方でやったら収益減っちゃうもんな。知ってる。
別にアレルギー無い人間を恨んだり責めたりしてないよ。
美味しいもの食べてくれ。それは素晴らしいことだよ。恨んでないです。

ただ、とってもとっても羨ましいけれど

-引っ越せば良いじゃない-
-両利きになれば良いじゃない-
-アレルギーの薬を飲めば良いじゃない-

-例外なのはあなたなんだから、あなた自身がなんとかするべきでしょ。-


いや解るんですよそういう言い方になっちゃうのも。そういう考え方になっちゃうのも。
でも不便を訴えないと
せめてマイノリティは、「ここにいるよ」って言わないと
『左利き用のハサミ』という商品は生まれないんです。

「手の届かないそれが欲しい」と
「普通の人程度に便利で何も考えないで生活したい」と
需要を訴えて、偉い人やお金のある人に市場価値を見出だしていただかないと
それまでは黙れないんです。

資本主義社会で黙ったらQOL(クオリティ・オブ・ライフ=人生の質)下がりまくっちゃうじゃないですか。
(まあ私現代資本主義自体あんまり好きじゃないんですけどそれはまた別の機会に)(※社会主義も好きじゃないです)
需要を認識して欲しい。だから叫ぶ。うるさく言う。
だって我々が左利きなのは我々の個性だ。罪ではなく、個性なのだ。


悪いことに、「ちょっと我慢すれば」済んでしまう「個人的な悩み」に関しては我々は口をつぐんでしまいがちです。
それで社会は回っている。「程度の差はあれ痛み分け」ってとこなんだと思います。つもりとしてはね。

でも実態は、「痛み」はマイノリティにのみ、「例外」にのみ多目に分配されます。

システムはそうして自動的に、便利に回っています。
我々マイノリティのQOLをちょっと犠牲に。
「例外」の奴らの自尊心をすれ違い様に削り取りながら。
「お前がぶつかったのが悪いよ」みたいな顔をして回っています。


でも誰も責めてないよ別に。
責めるとしたらこれを当たり前にしてしまった数世紀前の誰かを、そういう考え方に育てた当時の社会情勢か何かを責めるくらいでしょうか。

ただ変えたい。
せめてマイノリティが自分が悪いんじゃないんだと、自力で発見せずとも自然に分かる世界に。
せめて子供たちが、人と違うからって訳も分からず自尊心を損なわずに済む世界に。

マジョリティに恨みがなくたって黙りません。
黙れないだけです。

出来れば一緒にうるさくしてほしいよ。
「マイノリティ」って文字通り数が少ないから、味方が必要なんですね。資本主義社会だと。

うるさくしないと変わらない。
気になるアレにいちいち声を挙げないと、
居心地よく存在できないんです。


マジョリティの渦中で、
マイノリティが生きてるだけで居心地悪いのは悲しいことだと思う。
現代のマイノリティの座りの悪いアイデンティティーは、それは現代社会っていう椅子が悪いだけです。
それでも誰の所為だろうと「ケツが痒い」という現状は変わんない。
「ケツが痒いのは君たちのケツのせいじゃない」って、
「この椅子が悪いだけだよ」って
伝えるのは最低限の、我々を例外化した社会の義務じゃないのって思うんです。
それだけで自分のケツのせいじゃなかったと知れる。恥ずかしがらずに済むわけです。
いやでも知ったところでケツは痒いんですよ。
椅子を少しずつ作り替えていかなきゃいけない。
その気もないならせめてフリークッションくらいは置いてある社会になろうよ。

「気にしすぎじゃない?」だなんて

気にしなくてもいい社会にしてから言ってよ。っていうか今、気にしなくてもいい社会を作る人間として成長しようとしてるんだから、黙っててよ。


(※多分完全に平等になったところで、悲しいかな気にしないのは無理です。なぜなら周りがみんな右利きなのに自分だけ左利きだったら、なんとなく漠然と不安だからです。
気にしない為には、それこそ前述の【料金入れがど真ん中にある自販機】が当然の社会がながーーーく続いて、最早「右利き」と「左利き」「利き手」が死語になる必要があります。)

(無論ほかのマイノリティも一緒です。
だから我々の声、多分暫く止みません。
それでもマイノリティの叫びは、悲痛な声でなくすることができます。
もっと豊かな会話の声に変えていくことができます。)

私は左利きです。

右利き用のハサミが持てなかった
右利き用の授業についていけなかった
右利き社会にとろくさいと言われた
皆と同じに出来なかった

私は左利きです。


ヘテロの恋バナに参加できなかった
ヘテロの更衣室で肩身が狭かった
ヘテロの結婚制度にこの名前を連ねられない
皆と同じに出来ない

私はレズビアンです。



byさつき

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