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【北海道開拓の思い出】#22 学徒勤労動員

昭和20年6月穂別町の生徒が初めて動員された。雪解けを待って6月になった。高等科1年2年の福山の生徒はまだ薄暗いうちに家を出て一週間の出稼ぎに行った。岩美にも同級生が4人居た。

その頃は、何も感じなかったが、熊にでも逢ったら大変だったと思う。学校に着いてから、校長先生と同級生12人と下級生10人で全然行ったこともない岩美よりまだ奥の山の中へ入って行った。行けども行けども着かない。もう何里くらいなのかもわからない山の中へ。ようやくここが今晩から寝る飯場と云われた。山の中に一軒だけ大きな笹小屋があった。枯草の上に筵(むしろ)を敷いただけの細長い小屋で寝た。トイレはその小屋の横に穴を掘り、丸太を並べて、3人が座って用を足せるような便所だった。深い穴でとても恐ろしかった。

1週間、背丈より高い笹やぶの中から造林した松の枝を運び出す。道なんかない笹やぶの中から松の枝を引っ張って一か所に集め、それが山の様になっている。この松の枝をどうするんだろうと思っていたら、油をとるのだという。友達がどこにいて松の枝を引っ張っているかも分からない。時間になったら係の人が来て、笹小屋へ戻って大豆のご飯を食べた。1日中松の枝を引っ張って集める仕事だからすぐ眠ってしまう。電気なんてもちろんない。布団はあったかどうか。ランプは笹小屋で火事になったら大変だからなかったはず。

あの時の松の枝から油が取れたのだろうか。8月15日終戦までに役に立ったのだろうか。

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