【北海道開拓の思い出】#26 朝鮮の人との話し合い
終戦になって何日もしないうちに朝鮮の方々と話し合いの日が来た。場所は岩美の独身寮だった。岩美の小頭は朝鮮の方々をいじめていたということで八田の本山から隠された。どこにいるかもわからなかった。話し合いには父がたった一人で行った。父もどんなことになるか分からなかった。殺されてしまうか、半殺しの目か、怪我で終わるか。
我が家族にも話している時間がないと云って父は行ってしまった。母はただ泣いて、私等も姉も父がどんな姿で帰って来るかと案じたが、父は一人で行ってしまった。鉱山で働く人の何人かは事務所にいた。朝鮮の方々は何十人もいただろう。なかなか話し合いがつかないのか、どうなっているのか何もわからなかった。ときどき長屋の人々が様子を見に来た。
3時間ぐらいしてから父がニコニコとした顔で戻って来た。事務所で待っていた人たちもみんな喜んで手をたたいた。父は朝鮮の人の条件を聞き、よかったと云って待っている本山の事務所へすぐ報告に電話をした。
朝鮮の方々も家族共々日本へ連れて来られた人、家族とわかれて来た人など、みんなお国のための犠牲者だった。
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