発達障害者の私が就職するまで


はじめに

私はASDとADHD、気分障害の診断を受けている。某ネット掲示板風に言うなら「ガイジ」「アスペ」である。あはは。そんな私でも努力して障がい者雇用の正社員の内定をいただくことができた。なのでその努力の過程や具体的に実践したノウハウを書き記しておき、いつか転職するときにでも再利用できないかと思って記事にすることにした。SDGsかな?

まえがき アスペワイ、社会に出て挫折する

そもそも私は大学時代から社会生活を送るのにつまずきというかトラブルというか困難というかを抱えていた。人間関係で特に失敗が多く、すぐ人に嫌われて集団の中で居場所をなくす、そういうやつだった。
もちろんそんなだから大学の学生相談所という、形式だけ配置されているだけの役立たずな施設の常連だったが、相談員にも「(私の)生きづらさは我慢するしかない」みたいなわけのわからないことを言われ、本当に我慢するしかないと思い込んでしまい一般雇用で就職し試用期間で免職処分となった。あの時相談員がもっと発達障害に詳しければ、そして障がい者雇用というものを知っていれば、私はこんな目に遭っていなかっただろう。ある時相談員は私に対してはっきりと「じゃあB型作業所とか行く? 行かないでしょ?」と言った。よく考えたらB型作業所に対する差別的な評価が含まれた発言であるし、こんなやり取りを重ねてきたおかげで最低最悪の相談所だと自分で思ってしまっているので、大学自体も入学して卒業したことを全く良かったと思っていないし、本当に最悪な4年間を過ごしてしまったと思っている。というか過去の記憶で楽しかった時期なんて探したところでないのが真実である。
というような感じで後ろ向きな考えが私を支配しており、とにかくネガティブなのでうつになった。4月末に退職してから12月までの間、引きこもりニート生活を送ることとなる。

医師の勧めで就労移行支援事業所へ

発達障害の疑いがあることは先の相談所ですでに分かっていたが、役立たずで無能な相談員は私に対して検査を受けるほどではない、という立場だったため私も検査を受けずに過ごしてしまった。これが間違いだった。
退職してから検査(WAIS-IV)を受けた結果、平均IQが127という良いのか悪いのか全く分からない宙ぶらりんな数値(なお健常者は95~115である)が出て、言語や知覚、ワーキングメモリのIQが130~137である一方、処理能力のIQが93であるため発達障害であることが分かった。検査したらただの立派なASDだった。こんなことってある? できることなら学生相談所に検査結果を突きつけお前たちは間違っていたと言ってやりたいが、意味がないし、それで学生相談所の組織体質が改善されてしまっては、他の学生が良い方向に向かってしまう恐れがあるのでこのことに関しては我慢するしかないのだろう。
検査結果を受けて、医師から就労移行支援事業所に通所して就労に必要なコミュニケーションの取り方を訓練した方が良いというアドバイスをもらい、同時に気分障害(うつ症状)があるとも診断されたため、まずはそれを治した方が良いということで引きこもりニート生活を始める。そして12月くらいになると動けないほどではなくなってきたので、就労移行支援事業所への通所を開始する。

就労移行支援事業所で取り組んだこと

私が訓練すべきことを要約すると「就業場面でのコミュニケーションでどんなトラブルが起きるか」であるため、とにかくコミュニケーション面での課題を見つけることに注力した。
とはいえ最初の三か月は就労移行支援事業所のカリキュラムに従い、生活能力を向上させる訓練を受講していた。4月ごろになって、本格的な就労に向けた訓練を開始する。
訓練は、まず就労移行のスタッフを上司に見立てた模擬業務を中心に行った。模擬業務とは、例えばエクセルに名刺の内容を入力するデータ入力や、ネットで調べた情報をエクセルにリスト化するといったようなPCを使った一般事務を想定した訓練である。この訓練と就労移行で受けた職業適性検査(GATB)を通じて、自分が誤字・脱字に強いことが分かったので、それを活かせるような一般事務職を志望するようになった。
そして、コミュニケーション面の課題として、相手の発言を誤解してしまい、事実ではないところでストレスを感じてしまうという問題があったため、できる範囲で自分の解釈を相手に伝えて確認したり、自分もわかりやすい表現を心掛けたりするといった工夫を身につけた。
次に、コミュニケーションの量を担保する一環として、就労移行で行われる朝礼の際に、日直を担当している人が行う3分間のスピーチを6回(月1回程度)行った。内容はインターネットリテラシーとかおすすめの筋トレとかエヴァンゲリオンに見るアニメのメッセージ性とかさまざまなものを取り扱った。
次に、就労移行の他の利用者に対して訓練を3回行った。内容は一回目がパワーポイントのスライド作成の方法とスピーチのコツ、二回目が企業研究の志望動機への組み込み方、3回目がリフレーミング(思考方法の一種)を就活の観点から行うというものだった。どれも好評だったようでやった甲斐を感じたとともに、自分の言ったことが真実になってしまうことの責任感を感じ、発言には気を付けようと身の引き締まる思いであった。
また、内定が出たあと、午後の訓練後にスピーチを一回行い、自身の経験をもとにした就活のノウハウを他の利用者にプレゼンし共有する機会を設けていただいた。
あとは毎日の清掃活動に多く参加したりして、それを面接のときにエピソードとしてアピールして人の嫌がることでも進んででき、努力を重ねられるような人間という印象を持たせたりもした。他には本を作ったり、面接練習会でサポーターとしてアドバイスしたり、コンテンツライター的なことをしたり、動画を編集したり、様々なことにトライした。

訓練を通じて得られたもの

ひとつめは、物事に対する認知機能が上がったことだと考えている。訓練や模擬業務などの活動を通じて、自己や他者に対して以前よりも肯定的な捉え方をできるようになった気がする。
ふたつめに、ストレスに対するキャパシティが増加したことを感じている。ストレス状況があっても自分でうまく逃がしたり、そもそもストレスを感じることが少なくなったりした。今述べた2点はどちらも仕事をするうえで大事だと考えられるので、それを訓練できた意味では就労移行に通った甲斐があったと考えている。
とはいえ、このように変化する前はどうだったのかというと、最初は就労移行への通所自体をネガティブに捉えていて、毎週書く振り返りのシートに「できれば通所したくない」とか「ほかの利用者と関わりたくない」などということを記していた。後で見直した時に、過去の自分はこんなにもネガティブだったのかと驚いた。しかしそんなことを思っていた人間が、他の利用者に対して訓練をしたり面接練習会でアドバイスしたりしたので、人間はいくらでも変われるのかもしれないと感じた。あるいは何も変わっていなくて、ネガティブさによって覆われていた自分の本質が引き出されただけかもしれないが。

変化(?)できた理由

就労移行で取り組んだ様々なこと、訓練や3分間スピーチ、模擬業務や毎日の清掃作業、面接練習などを通じて、自分にもできることがあると知れたことが最も大きな理由だと考えている。また、たとえ嫌だな、面倒くさいなと感じることがあっても自分を成長させるための毒だと思って受け入れ、少しでも前に進もうとしたことがあげられる。毒とはどういうことかというと、例えばインフルエンザなどのワクチンは体内に抗体を作るために不活性化されたウイルスの濃縮したものを体内に注射する。それに近いイメージで、自分にとって苦しい選択、つまり毒をあえて受け入れることで、次第にそれに慣れていくとやがて苦しかったことも苦しくなくなってくるため、それが成長につながる。
この文を読んで何かの参考にしようとしている人などいないとは思うが、無理のない範囲で行うというのが大前提ですので、そこはご自身のできる範囲で調整してください。

おわりに

この話の結論を書いておく。まず、人はいくらでも変化できるということ。もちろんベースとなる性格や人格は簡単には変わらないと思われるが、行動や習慣は変えることができる。そのためには努力と時間が必要だが、少しずつでもよいので進み続ける、歩みを止めないことで最終的には大きな成長につながると思われる。そのため、この文を読んだ人にはそれを意識して生きていってほしいなと思っている(私は何様だ?)。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?