見出し画像

謎の凹地

〜誰も知らない謎の穴〜

 ミステリーとは、日常に潜んでいるものかもしれない。

 振り返らずに背後を知ることはできないし、眠っている間の事情は解らない。その間に世界が崩壊と構築を繰り返していたとしても、眠る前と目覚めてからの世界が別のものであったとしても気づくことができないだろう。もちろん、鏡があれば背後だって見えるし、録画すれば寝てから起きるまでの事だって記録出来る。ただ、物理は世界の整合性を説明することは出来ても不整合に気づくことができるとは限らない。物理と言うものさしが全能とは限らないのではないだろうか。

 日常の中でふいに忍び寄る気配に驚いたことはないだろうか。闇に潜む正体不明の息づかいに恐怖を感じたことはないだろうか。わけ知り顔の大人でも「説明出来ないもの」には恐怖するだろう。科学を振りかざし「怖がる必要はない」と納得しているつもりなのだ。

 脳は五感から得られた情報を基に世界を想像する。しかし、時として脳内に出来上がっている日常化した世界観を揺るがす事態に出くわすことがある。

 初めて幻日環に遭遇した際、その非現実的な光景を目の当たりにして世界が変わってしまうのではないかというほどの畏怖の念を抱いた。
 その日は同時に明瞭な環水平アークが出現していた。
 天頂には天使の環を思わせる巨大な白い光の環。幻日環は日暈と交錯し異彩を放っている。そして中天に浮かぶ虹色の帯。音もなく開いた扉は異次元への入口か…それとも異空間か。

 あれから世界は変わったのだろうか。何事もなく継続するかに見える日常は物理的な解説は出来ても証明にならないとさえ思える。「まだ知らないことがある」と知らないだけではないのだろうか。

 むかしむかしあるところに…昔話はいつもそんな風に始まる。

 いつ・どこで…そんなに大切なことが曖昧なまま始まるのだ。昔ならありふれた名前だったろうと思われる主人公がどんな風に活躍するかが焦点であり、多くの場合、何かを伝えようとしている。だからこそ親から子へ、そして人から人へと伝わったのだろう。

 小学校の頃、図書室に足を運んでは好んで読んでいた本の中に「昔話」もあった。物語の挿絵も楽しみのひとつである。
 印象に残る昔話の中に姥捨て山の話がある。
 年老いた母親を山に捨てるという設定は想像力の及ばない世界観だった。そんな過酷な設定にも関わらず、姥捨て山へ向かう道すがら背負われた母親は息子が帰り道に迷わないようにと山道の枝を折っていた。そして息子は姥捨て山に母親を捨てることができず家に連れて帰るという話だった。
 しかし、それは村の掟に背く行為なのだ。

 理解出来ないながらにそんなところから何かを学んでいたような気がする。

 法律が大切なのか。
 愛情が大切なのか。

 現実社会は、そんな物語がシンプルに感じる程に複雑であり、毎日のように取捨択一を迫られる。大切だと思う事を優先した挙げ句、奇跡的な程に取り返しのつかない局面に突き当たったりすることもある。

 不思議な伝説の残る凹地がある。

 その土地は、不思議な名で呼ばれている。故に様々な憶測や推測を許している。しかし、真相は今なお知れず、言い伝えとして残るばかりである。特異な土地の形状ゆえその昔火山であったとか、風変わりな地名は姥捨て山に響く念仏が元になっているなどという様々な説があるのだ。

 姥捨て山伝説は子供の頃に読んだ覚えのある昔話にも登場した。貧しい山村の悲しい物語である。それが実在の土地であるならば、時代を繋ぐ遺跡のようにさえ思えて来る。

 パンフレットによると凹地の大きさは、東西に90m。南北に250m。深さ100m。

 初めて訪ねたのは、その風変わりな地名に魅かれたからだったように思う。カーブの連続する山間の細い道を走り、舗装道路の行き止まりまで車を走らせる。予備知識があれば少しは感動があったかも知れないが、岩がゴロゴロしているわけでもなく巨樹が出迎えるわけでもなく、ありきたりの山の中へ迷い込んだ印象だった。天然記念物に指定されているためか案内の看板があるので解説に目を通しつつ、鬱蒼とした山の中の細い道をぶらぶら歩いていると間もなく辿り着くのがすり鉢状になった土地の底である。
 そこにはいくつもの小さな風穴がある。そして夏であっても冷風が吹き出していると言う。本来標高の高い所に育つはずの植物が、標高の低い凹地の底に育つという逆転現象が見られるため観光や散策を目的に訪れる人もある。

 東日本大震災以降、この風穴の気温が下がったらしい。
 この辺りの地質は「約700万年前~170万年前に噴火した火山の岩石」ということのようだ。

【参考】
 地質図Navi:https://gbank.gsj.jp/geonavi/
 産業技術総合研究所 地質調査総合センター:https://www.gsj.jp/

 調査によると山の内部が滑るように崩落したことで隙間が出来ているのではないかとのこと。
 姥捨て山伝説の真偽のほどは定かではないが、この手の伝説は意外と軽視出来ない気もしている。

 その凹地に育つ植物はどういうわけか普段目にするものと少し違う気がする。植物の種類によっては、通常の葉のサイズの1.5倍程あるのではないかと感じることがあった。それは全部の植物に言えることでもないので偶然その植物の生育環境に適しているのかもしれない。

 観光用に整備された木道に動物の大きな糞を見つけたことがあった。鹿ではないだろう。猪でもないような気がする…とすれば、考えられるのは猿か熊くらいなものだろうか。
 季節になるとその凹地全体に分布する栗の木が実をつける。何度か拾って来て食べてみると小さいながら甘くてとても美味しいので野生動物が好んでも何ら不思議はない。

 地面を歩き回る無数のザトウムシに気がついたことがある。ザトウムシは細長い足に小さな身体をユラユラさせて歩くのでユウレイグモとも呼ばれているが、糸を使って蜘蛛の巣を作ることはない。実は蜘蛛ではなくダニの一種だと知って少しゾッとなった。ダニにしてはサイズが大きすぎると感じたからである。秋だったろうか。そんなザトウムシが群れを為すかのようにして足下を歩き回っていた。樹々に囲まれた静かな凹地で写真を撮っていると何やらカサカサ音がする。不思議に思って音を辿るとザトウムシが昆虫の死骸を食べていた。彼らはそうやって森の中を掃除しているのだ。生態系が豊かであればこそ彼らのように存在も重要である。

 その凹地を訪ねたくなるのは何故だろう。不気味なイメージとは裏腹に妙な安心感がある。生と死が混沌と同居するような印象。自然とは、本来そうしたものかもしれない。

 生きる事が虚しくなり行き詰まりを感じて思い悩んだ時に訪ねたこともある。霧が立ちこめシトシトと小雨降る中ボンヤリして歩き回った。そのうちにパサパサに乾いた心が潤いを取り戻したのだろうか。人生と言う凹地から這い出ようとするのをやさしく押し戻されるかの様に帰路に就いた。
 豊かな自然に包まれて懐かしい祖母を訪ねる様な気持ちになるのは姥捨て山伝説から連想するからだろうか。

 ある時、地図を見ていて気がついた。

 いつも訪ねている凹地へ行く山道の分岐した先に見知らぬ凹地がある。
「こんな所に分岐があったかな?」
 不思議に思いつつ何度か往復していたが、地図上では確認出来るのに何度訪ねてもその分岐も凹地の位置も解らないのだ。それは凹地と言うよりは巨大な穴のようにも見える。直径100m深さ45m程度あるだろうか。まるで円錐状のアリ地獄のような形状である。

 スキーや温泉観光で有名な蔵王のお釜は直径が約400mということなので、サイズとしては1/4程度ということになるだろう。

 実は、その地域にはそんな凹地が点在している。遊歩道や展望施設が整備され、山歩きをしながら凹地を眺めることができるようになっている場所もある。それらは「上地獄」「下地獄」と呼ばれていた。

 巨大な凹地はその大きさ故に凹地と言うより山間の谷間のようにも見える。谷であれば川下へ抜けて行くはずの地形が、流れ下る行く先もなく、すり鉢状の凹地の底で行き止まっている。池があるわけでもない。ただ凹んでいるのだ。

 地図上で計測した値を基にサイズ比較をしてみた。
「上地獄」「下地獄」は直径を150mに仮定。調べていたら別の凹地に気がついたので「未確認の凹地」として直径を75mと仮定した。いずれも深さは暫定値である。

 蔵王のお釜については切り立った外輪山が計算に入っていない。崩落によって深度が浅くなりつつあるらしい。

 こうして比較してみると地図上で見つけた謎の凹地はスケールこそ小さいものの高低差が大きいため何らかの意味を感じてしまうほどの形状をしている。

 もしかして、ここが姥捨て山伝説の正体か?

 最近まで詳細な衛星写真がなかったためその地域は荒い画像で見るしかなかった。高精細の衛星写真と標高差が明らかになったため浮き彫りになった謎の凹地である。根拠のない疑念が怖れと好奇心をかき立てる。

 通りかかる度に気になって山を見回すけれど、おかしなことにどうにもその位置が解らなかった。地図上では山中で分岐しているはずの道が見当たらないのだ。そして解らない方がいいのかも知れないと言う気がしていた。

 ところがある時、その場所に気がついてしまった。

 地図上で見られる分岐した道はやはり見当たらなかったが、車を止めたりすれ違いが出来るようにそこだけ道幅が広くなっているのだ。
 そこから見上げる山は特に目立った特徴もなく、切り倒された何本もの樹が行く手を阻むように無造作に積まれていた。その倒木が衛星画像で道のように見えているのかも知れない。高低差も大したことはないとは言え急峻な斜面故の存在感はあった。その土地を訪れるのは草木が繁茂する時期が多かったため、その山を踏み越えるのは容易ならざることに思えた。

 やがて季節は流れ、山の植物相も秋の装いに移ろい始めた。
 そんなある時、ふと思い立って凹地のそばの山へ分け入ってみた。
 山を越えなければ、凹地には辿り着けない。しかし、少し踏み込んですぐに危険を感じた。

 道がないのだ。

 山仕事にしても山菜やキノコ採りにしても人の入る山には道がある。ところが、その山は急傾斜の山肌に木々が生い茂っているばかり。獣道さえ見つけられなかった。そればかりか不用意に手近な木を支えにしようとするとトゲが出ていたりする。少し回り込んだ方が楽に歩けると考えていたのだが、道がない以上それも容易なことではないと思えた。

 少しばかり山裾をうろついたあと、意を決して山頂めがけて一直線に登ることにした。木の枝などを掴みながら駆け上がる。足下の土が柔らかく踏んばりが効かない。やはり木にトゲがあったりするから不用意に掴めば痛い思いをするばかりか身体の支えを失って山の斜面を滑落しかねない。途中、来た道を見下ろすと眼下には乗って来た車が心細気に見えていた。

 さほど大きくはない山なので、そんな無茶な登り方をしても間もなく頂へたどり着いた。樹々の間から見える山が周辺一帯のピークを形成している。

 大きな木の切り株があったのでその上に立って見渡してみて唖然とした。思った以上の高度感。無理もない。後で地図で確認すると車を止めた位置からは10m程度しか登っていないが、目的の凹地の底との高低差は100m程あるようだった。すぐ目と鼻の先は崖のような急斜面になっていて樹々が生い茂っているために山肌が隠され見通しが利かない。足下の斜面は凹地の底へまっしぐらに向かっているはずだ。

 心拍数が上がっていた。急斜面を駆け上がったことばかりが理由ではない。テレビで見る探検番組とは臨場感が全く違う。パソコンの3D地図で何度か確認していた風景からは想像出来ない恐怖が待っていた。

 凹地の底は樹々の中に深く隠されている。

 全容を確認することで謎は解け、自然の中のありふれた景色として認識出来ると考えた期待は見事に裏切られ、むしろ深く得体の知れない凹地の入口を垣間見ることになってしまった。それは胸の深いところの怖れの色を濃くし、増幅させることに他ならなかった。

「見てはいけないものを見てしまった。」

 異界への入口は実在してはならないのだ。物理法則を無視し予測不能な世界に発展するのはゲームや物語の中だけで充分だ。物理法則が保証する世界の整合性が安全と安心を提供しているのだ。しかもここは幻日環や環水平アークのような光の扉ではない。まるで暗黒世界に引き込まれるような巨大で深い穴が鬱蒼とした樹林の中に沈んで息を潜めている。樹々を渡る緑の風は漏れ出した息吹のようにすら感じてしまう。地図にも記載されないような凹地が公然と大きな口を開け、まるで巨大なアリ地獄のように何かを待っている。

 誰かこのすり鉢の底を見た者はいるのだろうか。

 少し移動して何とかすり鉢の底を覗けないかと思ったが、無駄だった。日暮れ近く陽射しが山の形をくっきりと際立たせ、影になってすり鉢状の凹地をよりいっそう深く得体の知れないものに見せている。

 好奇心は冷静さを取り戻す役には立たない。むしろ恐怖を駆り立てられ、生命の危機すら感じるほどだった。

 何も掴めなかった。

 今までの自分の存在がいかに平凡で安全な生活をしているのかという現実を突きつけられる。

 どうしてもすり鉢の底を確認したいなら登山靴とロープは必携だろう。場合によっては懐中電灯も必要だろうか。充分な装備と準備が必要だと感じた。その結果、すり鉢の底に何かあると言う保証はない。小さな風穴すらないかも知れない。
 ボクにはそこまでしてあのすり鉢の底へ向かう理由はない。ただの好奇心に命をかけるだけの勇気はないのだ。

 もしかして、地図のバグではないのだろうかと考えたりもする。
 3Dデータは何を基準にしているのだろう。衛星写真だろうか?測量したデータを元にしているのであれば、実測値であろうからバグと言うことは考えにくい。そればかりかこの深い謎の凹地を測量したことになる。

 姥捨て山伝説の幸運な親孝行息子は母親に救われ母親を大切にした。やがて母親は経験から得た知恵を以てもっと大きな役割を担うことになる。
 しかし、伝説が本当なら、たとえ親孝行息子であっても泣く泣く別れなくてはならなかい場面もあったはずではないかと思う。

 それは果たして遠い過去の出来事だろうか。

 あの凹地が姥捨て山伝説の正体でないことを願わずにはいられない。そうであったとしたら、絶望と恐怖と悲しみの他に何があるだろう。


※危険が想定されるため謎の凹地に関する詳細な位置情報は割愛させていただきます。悪しからずご了承ください。

もくじ

謎の凹地〜2015〜:写真集

 普段は車で出かける謎の凹地方面へ自転車を引っ張って出かけて来ました。車で走る印象より5倍以上長く感じるハードな上り坂でした。様々な昆虫や植物が秋を満喫しているようでした。

ここから先の有料エリアは2014年の後日談です。

ここから先は

1,971字 / 7画像
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?