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生徒たちに送った文章

3歳の息子がお遊戯の練習を家でしているのですが「一休さん」の「すきすきすきすきすきっすき、愛してる、ちゅ」とやっていて、

でも途中、「これはどこの部分だ?」となる所が多々あり、絶妙なチラ見せで、当日見ずにはいられない。

はっ、、、!!これは実はエンタメの仕掛けの1つの形なのかもしれない、、、!織田です。

 

 

ということで、今日は高校でやっている授業についてシェア!!!

関西学院の高等部でのアート授業が先週で1学期最後になり、一旦夏休みに!

生徒には「成績の差はつけないので作りたいもの作ってね、我々大人チームで本気で一緒に具現化相談載るから!」

というスタンスでした授業は、音楽、詩、ジオラマ、自作のボールなど多種多様な表現が出て、織田もすごく楽しませていただきました!

■生徒たちの感想


一部ですが、生徒たちからの感想をシェアさせてください!

選択授業が本当にたっくさんある中で、この評価はうれしいとともに、がゆえに、こういった「余白的創造の授業」ニーズがあることが分かったので、

これをできる人(アーティスト)を増やしたいと、今思っています。

と同時に、織田ももっといろんな授業ももっと見て、精進します。

 

生徒たちの感想

「一番楽しい授業」「1週間の楽しみ」「こんなに楽しい授業があっていいのか!と感じていました」

「自分の内面と向き合えた時間。こういった時間が普段あまりないと感じた、最高の時間だった」

「答えのない授業の難しさと楽しさを感じた」

「評価される基準がない時に自分はまだ弱いと感じた。この分野を高めていきたい」

「自分は何を面白いと感じるのか向き合えた。もっとそれを感じて、行動に移したい」

「親や友達にアート探究が楽しすぎるっていっつも言ってる」

「企画して具現化する難しさと、でも最初にできないと思ったことができるようになった明確な成長を感じた。今後もずっとこういった学びは覚えていそう」

などなど



■なぜ作るのか?


ここからは生徒に送った文章をそのまま書きます!

中身は、
「なぜ作るのか?」「なぜ織田はアートをしているのか」です!


スーパー長いです。笑

■授業で行なった、自己対話

みんな1学期お疲れ様でした!授業中は本当にみんながみんなのために、みんなの中で対話する時間が多かったと思うので、

今日は織田のこの授業への想い、最近考えていることなどをシェアさせてください!^^

あくまでも織田という人間の考えだけど、こういう人が講師してる、っていう参考程度で良かったら読んでね!^^

 

今回のアート探究で何をしたかというと、

・一流に会う(普遍性に近い人に会う)

・自己対話

 

です!

 

作ると、自分の理想や

これが好きか嫌いか、

良いか悪いか

などと対話をします。

 

それはなぜか自分が持ってる判断基準。

 

・なんかいい感じ

・なんか違う

そのレベルで自分と対話をしていると思います。

 

その自分の中に出た会話ってすごく大事で、

 

大学でも社会に出てもスポーツをしてても他の活動をしてても

 

それが

"世界の間違い、自分の間違い、人の間違い、常識と言われてることの間違い"

に気づく唯一の方法だと思ってます。

 

さらに、本来、良い悪いは人が決めることではない。

 

真善美の真実、善悪、美学は、人に言われるものじゃなくて自分の中に正解がある。

 

"あの人かわいい/かっこいい"もその人それぞれが思えばそれが正解。

それがみんなにとっての「哲学」になります。

■法律が善悪を判断する?


逆に、

人間普遍の原理(人は殺さないなど?ただこれすらも正しいかは誰もわからない。死んだことがないから)

はあるかもだし、

 

法律もある。

 

でもそもそも法律も誰かが哲学を元に作ったもの。

でも!まず人間が正しいと限らないと思ってます。

(まだ人間って、途上だと思っています)

 

歴史としては自然界の法則の方が人間より歴史が長く、

トライアンドエラーを長く繰り返してて、むしろ人間はここ数万年程度。

 

虫の方が人間より長い。

個体としての知能は人間の方が高そうだけど、そもそも知能が高い方がいいのか?

 

生き物の継続性を考えた際にゴキブリの方が人より長いので、もし長く子孫を残すならゴキブリの方が優秀?

■大きくなることは幸せか?手段が目的になってないか?

facebookのような大会社と京都の100年企業はどちらが良い?

果たしてgafaのように、大きくなることは幸せにつながる?

 

gafaに、入って数千万円もらっても、違うと感じて辞める人も多い。

逆にお金があるから嬉しいといってる人もいる。

他にも例えばら
スタートアップの聖地、シリコンバレーは"一生住みたい場所ではない"という声も聞く。

 

最終、幸せになることを優先したいなら、お金持ちになることじゃなく、

満足できる十分なお金を、自分もみんなも嬉しい方法で稼ぐ、のがいいのかも?

 

そもそもお金がなくても幸せになってる人も世界にはいる。

 

手段はいくつもあるべき、

目的も時に疑って変えてもいい。

 
さらには、

"目的"とは、
立ち返る場所としての機能はありつつも、

それが間違っていないか、常に考える。

■昔の人の知恵と、資本主義の未熟さ

ここからは今の資本主義の世界についての織田の考え。

 その前段として、江戸のお祭りの例を!

江戸の祭りは地域の豪族が、地域の治安(自分の住む場所と人が良くなる)ためにしてる側面もある。

 
災害の際の避難回路(お寺にかけこむ)の道順を覚える仕組みにもなってる。

みんなが祭りを楽しんで、防災にもなり、地域のお金持ちはその場を通じて市民に還元し、治安が良くなる。

祭りって地域と幸せを作るための知恵が詰まったものである、と織田は思ってる。
 

そしてそして、そんな中、祭りが最近減り、

さらに今我々が生きるお金の世界のベースとなるのが資本主義。

資本主義のエンジンである"人の欲"を、

昔の人たちはちゃんと危険視して、

例えば
インディアンは7世代 先の人のためを思って行動することを勧め、

江戸は、私利私欲以上に"徳"を評価した。

 

逆に資本主義の方は、

ギリシャやローマ帝国が敗れ、その後オランダやスペインやイギリスが武器と船で世界を制圧し、そこからはまだ数百年しか経っていなく、

今の世界のエンジンになってるお金と資本主義は、そういった哲学がまだ未熟。と織田は思ってる。

 

世界の環境汚染など、人はまだ

"世界"を長く続かせるための答えはない。

 

そもそも、こんなに広い世界をまるっとまとめないといけないかどうかもわかっていない。

■織田なりの世界を幸せにする方法の考え

そしてそんな中、幸せとは何か?を考え、

織田が何ができるか?を考えた。

幸せは人それぞれだけど、

例えばGAFAなどは世界中を圧倒するお金を持っている会社だけど、

それで世界を救う、貧しい人の世界を救う、
というベクトルには働いていない。

一定世界の人に差をつけることを前提としていて、建前上、貧しい人を救うべきと言って貧しい人たちの反乱を抑止してるに過ぎない、と思っています。

 

国規模のお金をもってる会社らは、それら貧しい人への救済に対して本気ではない。

 

織田は今まだ力が少ない。同時に織田は統治に興味はない。

一人一人自分の周りにいる100人の顔を見て一緒にご飯食べたり仕事して、それらが派生して何万もの和や輪、円や縁がつながって、

世界がそれぞれの半径100名ずつで時にそれが隣の円と重なって広がり、それが全員が幸せになる方法だと思って、

 

その一番好きな一番当事者意識が湧く自分が住む場所神戸から、それを始めようと思い、公務員をしてるし、

直接とくために講師をして、伝える手段として、アートをしている。

■アートはいい意味で抽象的

実は7-8年前、織田はSNS(twitterとfacebookで)

今の政治に対する批判や、世界の資本主義に対する批判、原発、薬、いろんなものに対してすごく問題を感じて

 

毎日のようにSNSでそれについて書いてました。

 

でも気づいたのは

・言葉で言っても伝わらない

・人は欲しい情報しか取らない

・そもそもSNSのアルゴリズムは、欲しい情報をどんどん渡すから、一番届けたいその思想がない人に届かない

(SNSの危険さら、その"偏らせる仕組み"にあると思ってます)

 

何より、織田がそもそもその考えが合ってるかわならないし、

解るためには現場に行かないと真実はわからない(ニュースは正しいことを伝えられていない、むしろ反対のこととかいったり、報道数とかの印象で世界を見せてしまう)

けど、

 

全てのジャンルの全ての現場に確認はできていない。

 

じゃあ!!

 

織田は自分の"主張“であり"客観的事実"でないなら、

もう"主張である"ということを伝えよう。

 

それにぴったりだったのが、アートでした。

 

そして直接的な表現は、キツすぎたり、人に刺さりすぎたり、

逆に文字ってそんなにちゃんと頭に入らない(解釈もさまざまだし、人は文字を歴史的にまだ長く扱っていないからコミュニケーション方法として未熟、発展途上)だからこそ、

 

どうせ伝わらないなら、"念"だけ伝えようと思い、

 

きっと織田のこの想いは、言葉にしなくても、体から何かしらオーラなりで発してると信じて、

なら、織田が本気で描いた絵にはそのメッセージがあり、

 

それを受け取ってもらえたら、

批判や反発や、誰かを傷つけずに想いを伝えられるかも、と思ってアートをしています。

 

絵にはその人のオーラがあると思ってて、

同じ絵でもゴッホと一般人でも、そのオーラの違いで見分けられると信じています。(これはただの勝手な考え)

 

しかも、人間は文字とかを処理する大脳新皮質という脳の部分より、

絵とか映像を処理する脳幹という部分の方が、データ処理量が多い。

 

文字よりも絵の方が伝わる(パワポのスライドでも同じ)

 

そんなことを思って、表現をしていたりもします。

 

でも!!!みんなは今無理やりこんなことを考えなくていいと思っていて、

まずは、自分の好き、面白い、楽しい、違和感、変、嫌、そういうシンプルな感情をまず感じて、自己対話して、

大人やみんなの力も借りて具現化して、学んでもらえたら、

 

その先に「なんで表現するのか」を頭の片隅にだけでも、入れておいてもらえたら、あとは脳が勝手に無意識検索もしてくれると思っています!笑

■アートの意味、学び、それが人生を楽しくすると思ってて、それを還元したい

ちなみにこういう学びはどこで得たかというと、大人になり、人に会ったらいろんなところに足を運んだり、世界をバックパックして、

そこで得た疑問(一番当事者意識の湧く、自分専用の問題集)を持ち、

 

それを調べるために本を読んだり、ものを作ったりものを売ったり、人に会いに行ったり、日常を観察したり、

そうして独学で学んでいってて、それを共有したりして、

 

常に疑いながら試し、

が故に時には考えを変える。

 

そんなふうに学んでいて、

 

そしてそれ自体がなんというか、

世界で遊んでるような感覚がして

 

だから生きててめちゃくちゃ楽しくて幸せで、

だからもうこれ以上幸せじゃなくていいから、

 

これを多くの人と対話して伝え、

世界がより良くなり、

 

それがまた結果自分の幸せになると思っています。

 

人間は自分の存在意義を問う。

だから、オーダーメイドの学びである、疑問や質問はその人の存在につながると思ってます。

 

その問いや質問自体がもうその人自身の根っこや学びの種であり、アートだと思ってます。

 

アートは、それぞれがそれぞれの"問い"を受け取る、想起する、与えることなんじゃないか、

と思っています。

 

 

 

超長くなったけどこんな想いの人が講師をしてるということを伝えさせてもらったのと、

織田もまだ学び中、途上の31歳で、

みんなにはそれを余裕で超える(何を軸に超えるかはそれぞれ)存在になってほしいし

 

講師は踏み台にしてもらうのが仕事でありながら

いつまでも踏み台にならないぐらい講師が学び続けることが仕事だと思うので、

 

今後ともよろしくね!

 

今もいろんな学生さんの相談を日々受けるし、

この授業内、外、問わず、

いつになってもみんなは生徒なのでいつでも連絡ちょうだいね!

 

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