同じお金の量でも豊かさは変わる
こんにちは!アーティストしながら、神戸市のイノベーション専門官として、
起業に関心ある若手がコミュニティや仲間やロールモデルと出会えるように街の支援者との共助の仕組みを作ったり、神戸市との実証をするスタートアップとの実証をしたりしなが。
個人で高校のアート講師と、オンライン小学生習い事をレギュラーで行なっている織田です!
今日は「同じお金の量でも生活や生き方の質が変わる共助の力」
に向けてのメディアに会ってほしい在り方を!
■共助の根っこに、得る情報、があるのに、、、
息子のYouTube、自分のアニメを見るために一瞬だけ民放が映る時がありますが、
本当にテレビのニュースの、だの民放も同じニュース流す枠、あるじゃないですか!
あれ結構危険じゃないですか?
特に同一言語国家の日本で、海外の情報が閉ざされた人もいる中で、
同じものを流すって、洗脳的な効果があると思っています。
毎回思うので、心底そう思ってます。
あの枠の使い方って、各民放が一斉に
"これ切り取って流そう“
ってしてるんですかね?
あそこ見るとジャーナリズムが構造的に崩されてるのを感じますし、
その取り上げるものを選ぶ根っこの哲学が、心底"合わない"です。
世界の何兆とある情報や出来事の中から、
同じものが切り取って流れるって、異常と思い、そう思ってる人って多いと思います。
それが世界全体で知る必要があるニュースならいいですが、
すしを舐めるようなローカルで起きていることとか、
本当にどうでも良くて、
(というか彼はまだ高校生らしいし、人間は過ち起こして学ぶんだから、許してあげて欲しいし、流さないであげてほしいし、報道は時に人を殺すと思っていてこういう意味でも危険)
ただ、あれを見ると、共助の力が全体で弱まると思っていて、
それなら聖者のように日々コツコツ人助けしてる人もいるのでそういうの流してほしいですね!
本当は地味でも、毎日ゴミ拾いしてる人とか、毎日人助けしてる人とか、
そういう人の情報とか流す方が、
たとえそれが遠いどこかの島だろうが、織田は嬉しいし、
報道って公平でもなんでもなくて、意図された切り取りだから、
そういう意味では、今出てるアウトプット見る限りは、今の民放の報道の哲学は嫌いです。
■お金は「コミュニケーション手段」お金が同じ量でも、豊かさを上げることはできるのに、、
全く同じ建物と設備の街だとしても、
中にいるソフトの人やマインドや行い次第で、豊かさは変わるし、これは"文化"であり、
文化は人から人に移って広まる。
文化とは、「懲罰などをせずとも人が動くこと」が日本的語源(文 化)で、
cultureという英語は、cultivateで、耕す、という語源です。
文化は耕してできていくので、一人一人の得る情報、意識、行動という地道な行動が大事と思ってます。
そんな中ああいうニュースを取り上げる側がもう織田にとっては悪で、
っていうか極所現象なんだなら、
"ローカル版でやれ!!全国版でやるな!"
って思いますし、
もはやローカルでもやらんでもいいだろ!とすら思います。
■街は人で豊かさが変わる
同じマンション管理費でも、住民が帰り際についでにポイ捨てされてるものを回収して帰るところと、
むしろポイ捨てする人がいるような場所では、管理費の使い方も変わるし、豊かさも変わる、
これは街でも国でも同じだと思い、
国が人口減って税金減る中、共助が大事、という思想を織田は持ってるので、
この共助文化を阻害するものは、織田の主観としての"嫌い"と一旦させていただき、
それを広めながら、それに対してくる賛否と対話していきたいと思います。
ということで今日は文句ですみません!
少なくとも織田の周りには、あの枠に「いいね!」って人は少ないと思っていて、
変えたいものに関しては、じわじわ、こういった火種増やしていきたいなーと思っています!
皆さん今日もハブアナイスデイ!
アート、教育、探究、子育て、生き方。アーティストとして、スクール長として、本音しか書きません!