かいじゅうポポリに学ぶ
「かいじゅうポポリはこうやっていかりをのりきった」
本を探していて、オススメ欄でふと目に止まった絵本のタイトル。
読後は自分のなかの「怒り」とむきあえてとても良かった!こんなに良い本があるなんて!などなど。そんなレビューで溢れていました。
子供向けの絵本ですが明らかに大人たちからの高評価がたくさん書かれている。。
これは、と思いシンプルな絵柄にも惹かれ。読んでみました。
単純に絵が好みです。絵が好きです。太い線で囲われた
かわいらしいキャラクターに弱いのです。。
ポポリはとても怒りん坊ですが、じぶんのなかかから溢れ出てとまらない「いかり」に翻弄されることなくうまくやっていく術を手にします。
今で言うところの、アンガーマネジメントでしょうか。
いえ、それよりも深い。
そう感じるのは全文をひらがなで書かれているのも理由の一つかもしれません。
表紙にある著者 新井洋行さんとならんで、監修者 児童精神科医の岡田俊さんの名前があります。
ひらがななのも小さい子が読むことが前提かと。ですが、このひらがな。ぱあっと開かれた言葉、単純化されて響く文字の羅列を噛み締めていると、
怒りの奥にある本当は見つけて欲しかったんじゃないのかな?と思えるような光が見えてくる。
心の奥に潜っていけると言えばいいでしょうか。
漢字にルビを振っておけば、もう少し上の年の子も読みやすく、手に取りやすいとも思う。ですが、
全文ひらがなだからこそ「いかり」という、触れそうで触れられないとても繊細な感情を扱えるのかもしれません。
すべての「いかり」の発端となった出来事に名前をつけて、キャラ化させた見開きページがお気に入りです。
これがとてもよいのです。
あやまってくれない
たすけてくれない
めいれいされた
いじわるをされた
にらまれた
おれいをいわない
うそをつかれた
などなどなど。
もりだくさんの「いかり」。そしてそらら一つ一つに小さなかいじゅうがデザインされています。いかりは最終形態であり、そのモトとなるものは噛み砕かれるとこんなにたくさんあるものなんだな、とハッとしました。
いかりの因数分解。
そんな場面に出会ったとき、きっとどれだかの、「かうじゅう」が暴れだす。またはまだ見ぬかいじゅうが。
かいじゅうたちがあばれ、胸の中で感情として渦巻いているのか!と思うと
なんだか妙に愛しささえわいてきます。これが絵本作家さんの手腕なんでしょうね。
そんなかいじゅうたちを眺めていて思いました。いかりが起こるきっかけ一つ一つに出会った時、いかりではなく
まっさきに、「かなしい」=悲しい、哀しい、と言う気持ちが湧き起こる人もいるんじゃないかと。
私がまさにそれなのですが、もしかしてそういう人も他にもいるんじゃないかなぁと。
ことが起こり、びっくりして、おいおい、とツッコミを入れた後、怒りより先に「かなしみ」が湧いてくるのです。
どのような負の感情も、根っこは「不安」であり、安堵できないということです。
揺るがされる安全性に対してソワソワしている状態。
だとしたら、その噴出のしかたが、
じわっと全身を襲うかなしみなのか、
勢いよく相手や状況を攻めたくなる怒りなのかは
人によるところ。
この2つ以外の時ももちろんあるでしょう。
いらいらやモヤモヤは、ひとくちに名前をつけられない場合が多いからです。
そして、こーいう感情はこーいう名前!と決めつけられて言われると自体が無性にはらだたしかったり笑
そう、処理しきれない感情には名前がないことが多いのです。
「私の中に渦巻いているこの混沌とした何かは「いかり」ではない」と。
それはそれとして、何かを抱え持って日々鬱々としている、大人にこそ読んでほしい。
みんな最初はこどもだった。全ては繋がっている。小さいときにも今と同じ受け止め方をしているかもしれない。
感情の渦を見つけ、自身の解釈で読みこめる内容だったなと思います。
どんなに意訳しても、変換してもいいはずです。
そんな自由が見つかった絵本でした。ひとり、感動しきり。
私にとって、一番大きなポポリは「かなしみ」でした。
あなたはどんなふうに読みますか?
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