見出し画像

心の解像度と子供の熱

月曜朝。娘を保育園に送り、一旦家に帰ったら息子の熱は37.3までは一旦下がって、本人も元気そうだったので、改めて保育園まで送りました。(2人とも別の保育園)。
しかし少し罪悪感が残ります。これで僕が会社員なら仕方がないと思うのでしょうかね。自営業には「ねばならない」という選択が少ないです。それはありがたいことだけど、気持ちを引きずることもあります。仕事に終わりも始まりもないのです。

毎週観ている「あちこちオードリー」で、オードリー若林が、春日に対して「こいつが周りに感謝できないことに対して許せてきた。なぜなら、感謝を感じてもいないからだ。感じてもいない人間には怒りを感じない」と言って笑いをとっていました。
僕はオードリーを追いかけるヘビーリトルトゥース(ラジオリスナー)として、この春日独特の感覚がよくわかります。天然と言えるほど周りが見えないのです(だから、プレッシャーも感じずに、競技系で結果を残せる。)凄い才能というか、個性です。

若林(若様)は、「こいつの視界は解像度がめちゃ低いんですよ。だから仕方がないんだなと思った。逆に春日からしてみれば、見えすぎる俺をウザいと思うだろうし」。

その後のオチが面白かったです。
若様「でね、東京ドームライブの最後の漫才で、そのことについてネタにしたんです。感謝の出来ない春日について。そしたらその後に、こいつ(ドームまで連れてきてくれてありがとうございます)って、感謝するんですよ!それは違うだろって!感謝しないでいてほしいのよ笑」。

春日「難しいなぁ」。

感謝しない春日だからこそ漫才作れるのに、感謝されたら、設定がバラバラだと。これって、妙に納得してしまいましたね。なんでだろう。。

僕は、鼻歌を歌う微熱の息子を自転車の後部座席に乗せながら、このことを思い出して、急に涙が込み上げるような気持ちになりまして。

なんでだろうな。やっぱり春日の感謝とオードリーに夢を託してるからか。それとも、熱があろうがなかろうが考慮しない隣人の「解像度の低さ」を、ある意味受け入れたのか。

それはそれとして、家族は今日も生きている。笑顔で行こう。

保育園に送った後、隣人とお疲れ様のカフェに向かう際、道端で思いっきり笑ってみました。疲れた体と泣きそうな顔を空に向けて、あっはっは!!!と。

麦わら帽子をかぶって、自身の犬のかわいいイラストティシャツきて、アラヒィフの中年男性がいきなり道端で笑い出す。幸せだ!幸せだ!と。

すれ違う通行人が、何もないように、見ぬふりをして通り過ぎる。そこに優しさを感じて、また笑いました。

おしまい。

よろしければサポートお願いいいたします。こちらのサポートは、画家としての活動や創作の源として活用させていただきます。応援よろしくお願い致します。