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旅の目的

僕にとっての北海道の思い出は、なんと言っても20歳の時の、日本横断自転車の旅、につきる。
学生だった佐賀から出発、北海道最北端の宗谷岬まで自転車で走破した。今思えど、そこまで過酷な旅をする人はあまり聞いたことがない。

2024年7月。僕は札幌市にあるモエレ公園を、息子を乗せてレンタサイクルで走っていた。イサムノグチが20年かけて作り上げた公園だ。僕は愕然とした。
保育園の登園で、電動自転車に慣れていたために、速度切り替えのみの自転車を30分もこいだら、ヘロヘロになっていたからだ。
3500キロを横断した面影はカケラもなく、園内を走る程度でめまいがしていた。暑さのせい、とは言いきれまい・・。

日本横断の旅と、今回の北海道の家族旅行と、一番大きな違いは、自分のための旅か、家族のための旅か、という点である。
僕があのまま大学を辞めて、世間から消えてしまったら、今ごろヒマラヤにでもいたかもしれない。そしてとことん、自身の精神性や作家性を極めようとしたことだろう。しかし、その孤高の旅には「他者の心」が無い。交われるはずもない。
20歳の自転車旅行でも、たくさんの他者からの慈しみを受け、助けられて、目標まで達成できたことは、深い学びとして今も生きている。が、家族旅行はそもそも次元が違う。妻や家族が主となるからだ。そのために、自分はどう動くのかと考える。

モエレ公園には66メートルの山があり、札幌市内を一望できる。数百段もある階段に5歳の息子は怯んでいたが、共に手を繋なぎ、のぼっていく。風が横殴りにあたり、怖がる息子を励ましながら。

その横で、多分ボクサーか、アスリートらしき男性が、この長い階段を何度も何度も往復していた。僕らが頂上に着く頃には、何度目かの往復の最後の仕上げとして、なんと片足でケンケンして登っていた!。その凄まじいトレーニングのあと、頂上で、彼は、もう死ぬんじゃないかというほどに、肩で息をして休んでいた。そしてまた降りて行った・・。

頂上についた息子は、5歳の感性で、わぁ!!と驚き喜んでいた。なぜかキン肉マンのポーズを決めていたりした。風はますます強かったが、胸の空くような山頂の景色は、すべてを洗い流すようで、とても爽やかだった。

僕は崩れそうなボクサーの男性に声をかけようとした。息子も近寄ったが、とても話しかけるような雰囲気ではなかった。
それもそのはず。彼には僕らが「全く」視界に入ってないからだ。
彼は朦朧とした眼差しで、自身の回復だけに努め、そして自身のタイミングでまたトレーニングを再開し、姿を消した。

まさに20歳の頃の自分を見た。
きっとこんな目で、ただひたすらに自分を責め続け、鍛え続けてきたのだろう。僕の視界には、まだ見ぬ宗谷岬しか映ってなかった。僕は、強くなりたかった。何者かになりたかった。だから、誰もやったことのない旅に挑戦したのだ。

それはそれで人生にとっては必要なのだろう。その壁と向き合ってきた人間でしか見れない世界もあるのかもしれない。しかしあまりに孤独な旅である。。勝負事なら、尚更のことだ。一流のアスリートだろうが、高校生の部活だろうが、自分一人の戦いという意味では変わりない。

僕は息子と共に、66メートルの山に立ち、風をあびている。30分の自転車こぎで足はパンパンだが、爽やかだった。
「これでいい」と心から思えた。これのために、すべてがあったんだと。

山頂からは見えないけど、遠くの駐車場に、家族が待っている。やがて、この絶景ともとも別れて、その場所に戻ることになる。

それでいい。
それがいい。

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