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父とイルカ

父の暮らしいていた施設は、元は水族館だったそうで、至るところに水槽があるのだが、なぜか1匹のイルカだけが今もなお施設で暮らしていた。

父をはじめ、入居者の方々はイルカを観に行くことが日課だった。綺麗に磨かれた水槽から顔を出すイルカは、豊かな表情でキィと鳴く。歩くのが困難だった入居者も、自力歩行でイルカを見に行くまでになったそうだ。

僕は、ぼんやりとイルカを眺める父の横顔をスケッチしていた。父はもう言葉を失っていたが、その眼差しは想いを雄弁に語っていた。

それから半年もしないうちに、父の容態は悪化して、海の近くの病院へ転院することになった。海の近くと言っても、外に出られることはなく、窓越しからカモメの群れが見える程度であった。

父はそのまま、家族と会うこともなく旅立った。飛行機を乗り継ぎ、ようやっと病室へついて、静かな寝顔を見ていると、数少ない遺品の中に、ペットボトルの水があり、マジックで「イルカ」と描かれてあった。
ピンときた。あのイルカの水槽の水を、看護師の方が汲み取って持たせたのではないかと。転院する父へ、せめてもの贈り物なのか。

納棺された父を見ながら、そのペットボトルの水を雑巾に湿らして、丁寧に棺を拭いた。拭きながら、あのイルカの表情を思い出していた。イルカは父と共にいる。そして水蒸気になって、大海原で一緒に泳ぐのだ。

いつのまにか、棺に伏して泣いていた。染み込む涙もまた、旅に出る。

(今朝みた夢の話です。)

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