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忘れられない乗船者

「天国のクジラ」とは、亡くなったご家族を乗せて世界中を旅しているクジラの物語を描くシリーズです。

今まで14作ものクジラを描いてきて、約2000組以上のご家族に「乗船」していだきました。
それはもう、いろんな方のお話を聞かせていただきました。
この天国のクジラは、2013年に母が60歳で他界したことがキッカケですが、同じ想いをされている方々のお話を聞くたびに、画家としての役割を強く感じる日々でした。
乗船された方々は、「みんな仲間と一緒だ」「楽しそうに暮らしてる」と喜ばれ、お役に立てることが本当にありがたいと思いました。

そんな中で、5作目にあたる「ピンクのクジラ」。5mにも及ぶ大作を描いていました。2015年の岩手国体で展示されたこの作品の地上には、岩手の文化的な街並みが広がっています。300組以上の仲間たちが旅に加わりました。

ピンクのクジラ

その中で、忘れられない乗船者がいました。
予約をされたのはまだ若いご夫婦でした。ご持参された写真は、お腹の中のエコー写真でした。
そうです。この世に生まれるはずだった赤ちゃんでした。
「ぜひこの子を乗せて欲しい」と静かに言われた奥様の表情は、冷たくこわばっていました。
僕は、あまりにショックで「わかりました・・」と短く答え、奥様に赤ちゃんがどのような姿でクジラにいるのか聞きながら、描いていきました。手が震えていたと思います。まるで断崖絶壁を綱渡するような心持ちでした。 
表情ひとつ、仕草ひとつにも集中して描き上げました。わずか30分でしたが、今までの乗船してくださったご家族に支えられて描けたのかもしれません。
完成して、奥様を見ました。奥様の表情はまだ強張っていました。そこに「覚悟」という強さを感じました。ご主人はそっと支えるように隣にいらっしゃいました。
「ありがとうございました・・」。その言葉だけを残し、ご夫婦は帰られました。

僕はその後、後悔しました。深く深く。僕の力量で、あの赤ちゃんを形にしてよかったのかと。もしかすると、ご夫婦を傷つけてしまったのでらないかと。(こんなんじゃない・・)。もしくは(また会いたい・・)と。悲しみをさらに強めてしまったのではないのか。

大きな空白が生まれ、飲み込まれてしまいました。僕は僕の出来うることをしたけれど、もはや、これ以上、天国のクジラを描き続ける力は残されていませんでした。

そうして、数年の月日が経ちました。

ある時、天国のクジラや、震災の供養のためのともしびプロジェクトを応援してくださる方から、「久しぶりに天国のクジラを描かないか」と言われました。
天国のクジラはこの時に、何人かのクリエーターの手に渡り、僕以外の表現として歩き出していました。コンセプトをさらに広げて、それぞれの世界で深めるためにも必要だと思いました。

そこで、このイベントにて、五人の知り合いの作家さんに天国のクジラを描いていただき、共に乗船会を開きました。僕の展示したクジラは、あの「ピンクのクジラ」です。

みなさんの力があり、僕はまた再び天国のクジラに向き合えることが出来ました。
2019年2月。長男が生まれて4ヶ月後でした・・。僕も父親になっていました。

今でも、あの赤ちゃんのことを思い出します。その後、ご夫婦と再会することはありませんでしたが、僕にとって、その後、2019-2022年の4年間、9作にもわたるクジラを描き続けられてこれたのは、多くのご家族と共に、あの赤ちゃんがいてくれたおかげです。

亡くなったご家族にとって、「忘れないでいてくれる」ことが、一番の供養になると聞きました。震災にしてもそうです。
忘れないでいること。そこにはいろんな感情や思いが伴うことでしょう。悲しみや後悔も押し寄せてくることもあるでしょう。しかし、時と共に、いつかはその思いも透明になり、純粋な祈りになり、優しい思い出や肌触りとともに、この世に残された私たちを見守ってくれている、、という実感に変わっていくのかもしれません。
そうやって私たちは、別れを体験することで、生きることも死ぬことも同じなのだと理解出来るのだと思います。
見えないだけで、そこにいる。そうやって、私たちは生きていく。

透明な祈りと共に、絵筆を握り続けます。言葉は少なく(今日は多少お話してますが汗)、余白を持たせつつ。
天国のクジラが、普通のクジラに見えようが、観る人に委ねます。それぞれの心に、自由に飛び回ってくれればそれでいいのだと。

クジラにはその先がある。旅行の果てにどこに向かうのか。そもそも、クジラとはなんなのか?。それは描き手の僕にもわかりません。説明はしますが、本当はクジラを描いているようで、クジラではないのです。
ご家族を描いているようで、ご家族を含めた、命そのものも光を描いているのかもしれません。
そこには、名前も、記憶も、人生も、どんどん溶けていき、また巡り巡ってかえっていく。私たちの一部になり、やがて私たちも一部になる。
そんな世界を見ていると、私の存在もどんどん透明になっていきます。
もっともっと純粋な祈りをこめて。その道にしか、僕の生きがいはありません。

あの赤ちゃんも、クジラの一部になり、ご夫婦の一部になり、私の一部になり、息子の一部になり、世界の美しい兆しの一部になっていく。
どうして忘れることが出来るでしょうか。
目の前の散る桜の花びらにも、あの赤ちゃんが見えるのですから。

おしまい。

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