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まさに祈るように

静かに鑑賞するひととき

旧石井県令邸での展覧会も初日を迎えました。
10時開場からたくさんの方が観に来てくださり、本当に感謝です。
台風が近づいていますが、盛岡は曇り空。蒸し暑いくらいでした。

ある知り合いの方が、絵画を鑑賞しながら、ご家族のことを話されている時のこと。急に雲が晴れて、霧雨のようなお天気雨が降り出しました。キラキラと木漏れ日に反射する雨がとても幻想的で、言葉を失いました。とても優しく穏やかで、静かな時間でした。

「きちんと、答えてくれている」

と思いました。ちゃんと見ている。そのサインを出してくれている。
静寂な時だからこそ、もっとも美しいカタチで発見することができるのだと。

窓から見える光
床にもキラキラと反射する光

まさに、祈るように。

静けさの中で、来場者の会話も弾む。明るい声が反射して、建物全体が生きているみたいです。
嬉々として楽しむ時間。鎮まる時間。朝のみずみずしい時間。夕方の寂しい時間。光と空間が演出する。まるで命の時間のように。

遠くで保育園の子どもたちの声が聞こえます。
「魂の風景」の部屋にずっといて、絵を見ている方がいる。
苦悩する女王の眼差しを観て、この胸に宿る気持ちはなんだろうと考える人がいる。
老犬の微笑みを見て、自身の愛する家族に重ねる人がいる。

皆、思い思いの時間を過ごしています。作家の存在は透明に。伝えられることはほんの一部。
航海に旅立つ家族をを送り出す母親のような気持ち。

芸術には、わかるものとわからないものがある。
わかるものは、その人だけの大切な気づき。わからないものは、もっと大切な余白。
感じる心というのは、理解を超えて、はてしないもの。人間が神様に与えられたもの。その心を、信じること。

僕自身、描いていてわからないことがある。特に今年は、わからない感覚を意識していたところがあります。これはなんだろう?と。
仕上がって、僕の手を離れたとき、一生懸命理解しようとします。
展覧会になればなおさら、理解したいと思います。それを伝えたいから。

しかし、作家本人よりも、今回よりキュリエーターの方や、企画をしてくれたスタッフの方や、観覧者の方々のほうが、それぞれの心で感じることが大切であって、わかる、わからないが大切ではないのだなと。

改めて、深く学んだところがあります。

わかりやすい絵画の描き方を心がけ、わかりやすい愛のカタチ、祈りの形を心がけ、工夫し、描いて、伝えてきました。これは、ある部分の大きな使命だと思います。
難解と言われる芸術を、自分自身に落とし込み、愛のカタチを一本の線、美しい色彩で表そうとしてきました。

また一方で、わからないけど、何かの衝動で絵筆を進めてきました。
わからなくてもなぜか涙が出てくる音楽や映画のように。
大まかな「悲しさ」「あたたかさ」などを感じても、なぜ自分がこれほどまでに心を揺さぶられてるかわからない音楽とか。
あとで理由づけしても、理解してもわからないもの。
命の本能が、感じ取っているもの。

そういうものを絵に描きたいと思いました。きっと、何百、何千という複雑なものが絡み合ってるのでしょう。それは、理解しようとせず、丸ごと受け止めるほうがいいのかなと。

大切なことを、展覧会で学びました。

まだまだ初日。あと2週間あります。僕は明後日までしか入れませんが、残りの日々も、運営するスタッフにお任せして、お客様には楽しんでいただけることと思います。
どうぞ、東北地方の方、ぜひ足を足をお運びくださいね。
まるで祈るような空間になっていますから。

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