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存在を感じないすごさ

昨日から、実感として胃腸の調子が上向きだと感じてきました。
そして、今日は、1ヶ月ぶりに普通のおにぎりを食べました。朝と昼に一個づつ。
そして夜のこと。仕事帰りに即育児。子供を寝かしつけしたら20:00でお腹はぺこぺこ。まずお米をゆっくり食べ、おかずのししゃもをしっかり噛んで食べる。ここでまず快挙。そしてブロッコリーと蒸したにんじん。

そして驚きました。
「胃の存在を感じない!!」。

そうなんです。この2ヶ月あまり、ずっと胃に違和感を感じてきました。もたれかたもそれぞれ。しくしくしたり、重かったり、ずんときたり、動いて頑張ってる!って感じ。最初は、ああ・・とネガティブな思いも、思考を変えて、ありがとう、頑張ってるね!と、声をかけるようになりました。

そして今夜。胃の存在を感じないほどに、自然に食事を終えてたのです。

僕は思いました。
存在を感じないという、素晴らしい存在を。。わかりますか?

普段なら、胃腸なんて存在を感じないでしょう。心臓もそうです。肺もそうです。骨折でもしなければ、足の筋肉や骨は、存在しないくらい自然に動いている。
しかし、きちんと役割を全うしている。なんてことだ。こんな当たり前の奇跡を蔑ろにしてたなんて。

先日の神社参拝を思いました。神様は存在しないようで、しっかりと存在しているってことを。
目の前のご縁だって、つい数分前までは存在してなかったようだけど、ちゃんとずっと前から存在してて、今、出現しただけだってことを。

禅師テイクナットハンは言われます。「生まれることもなく、死ぬこともない。魂はずっと存在している。だから、この世に生まれたから存在して、死んだら存在が消えるわけではない。私は、誕生おめでとう、とは言いません。顕現おめでとう、というのです」。

存在しないように、働いてくれる胃腸。存在しないように見守ってくれる神様や、ご先祖様。遠藤周作の「沈黙」も、苦悩する神父の問いかけに、沈黙することで、彼自身の選択を促していました。それは、最も優しい愛です。
親が子に対して、ただ静かに寄り添い続い、受け止めているような愛。

ありがとう!と、心から感謝します。(でも結局、朝になれば胸焼けしたとしても、仕方がありませんけどね。)。この気づきがあっただけで十分です。

おしまい。

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