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沈黙は金

禅の教えである沈黙の実践というのは、ただ黙るということではなく、「思考や感情を止める」ということです。その思念が、軽はずみな言葉につながります。昨夜はそれを思い知って反省しました。
こうやって文字に起こすのも、沈黙ではありません。仏典の維摩経にあるように、いろいろ論議しても、最後は維摩の「雷のような沈黙」に真実があるというように、黙して答えるということがありますね。
黙することは、答えを放棄するのではなく、熟読し共感した上で、語らないということ。語るに落ちるという言葉もあるように、自分の本当の気持ちは、言葉にすると、どんとん薄れていくものです。スナフキンもそんなことを言っていた?ような気がします。

尊敬する人が言っていました。「心が深く満たされている人は、言葉も少なく物静かだ」と。
僕は絵画教室の講師でもあり、表現以上に言葉を駆使して伝える職業でもあります。また対面で絵を仕上がり時も、コミュニケーションを取りながらモデルの雰囲気を掴んでいきます。だから、言葉は大切です。
しかし、よくよく精査すれば、きちんと正しく言葉を選び、しっかりと相手を受け止める余韻というものも生まれるのではないでしょうか。
「楽しいですね!」という言葉と、楽しさを堪能して、滲み出ている笑顔とでは、波動のようなものが違いますね。
宮沢賢治のことを思い出します。かれは物静かだと言われましたが、その詩や物語では、言葉以上に豊かな世界観を、言葉で紡ぎ出していました。強い祈りや想い、そして激しい懺悔、諦念、孤独、さまざまなものが到来しては、言葉を透明な形として生み出してきたのでしょう。

会話じゃなく、せめて吟味できる言葉で。そしてそれすらも透明にして、ただ沈黙し、観察すること。明日からも心がけていきます。
まずは、家族からですね。会話というものは、実に簡単なものです。反射じゃなく、心を込めて。

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