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まるで「ショーシャンクの空に」。

夜、息子を寝かしつけていたとき、雷鳴が轟いた。この夏によくある突然の雷雨だ。
娘はすぐに寝ついて妻はリビングへ行った。残されたのは僕と息子だ。居残り授業の出来損ないの生徒と、疲労困憊の老教師のようだった。

この日は実家から帰省して、疲れもあったゆえか、それとも体力発散してないからか、息子は余計になかなか寝付けないようだった。ルーティンの夢を見ないお祈りの後の「耳かき」も1時間を超えてくると、さすがにぐったりくる。暗闇の中、さまざまな思いが飛来しては、流していく。頭の中でいろんな声がする。時に火花も散る。途方もない気持ちになり、すぐにでも寝室から出て行きたいが、その後の火を吹くような息子の鳴き声を予想すると、彼が鎮まるまでは瞑想のように心を無にしようと努める。うたた寝をしても、許してくれない息子。「耳かき、耳かき」と迫る。もう異常なのか。依存症なのか。安定剤なのか。何が普通で何がおかしいのかも、この暗闇ではわからないほどに疲れている。。

一時間半が経った頃、、雷鳴が再びなり響いた。僕は、「ああ!!」と呟き、まるで「ショーシャンクの空に」のラストでアンディが脱獄したかのように、寝室を飛び出す。(息子よさらば!)と胸に唱えて。

僕は下着姿で玄関に飛び出す。雷鳴と豪雨だ。雨に当たる。ずぶ濡れとまではいかないが、自由を手に入れた!と叫んだ。玄関の奥で泣く息子の声がしたが、リビングには妻がいるのだ。妻に任せよう。こんな任せ方は良くないのはわかってる。余計にパニックにさせるだけだ。しかし、一階の寝室と二階のリビングで、見守りカメラのモニター越しにつながった家族の絆は、1時間半がバトンタッチの限界と言えるだろう。

僕は10分間と決めて、玄関の軒下でただ豪雨を見ていた。ご近所さんも出てこまい。パンツ一枚でも、僕は自由なんだ。この10分だけは自由なんだ。

時間がたち、部屋に入り、リビングへ上がる。モニター越しには妻が寝かしつけをしていた。30分後に寝たらしく、妻が戻ってきた。「泣いてたよ。そりゃ急にいなくなりるだもん」と苦笑してた。
僕は「仕方がないよ」と答えると、妻はやれやれという顔で、「自分の身は自分で守らなきゃね」と答えた。「どうしてパパじゃないとダメなのかしら」とも。。

この実家に帰っていた1週間。息子はパパにベッタリだった。毎日全力で遊んで寝つくのも早かったほうだ。または興奮して、神経がささくれ立つこともある。子供だから当たり前だし、僕だって毎日だ。彼が犬のぬいぐるみを手放さず、2歳から今に至るまで、寝る時は耳かき、というルーティンを守るのも、彼の安全対策なんだろう。

耳かきは繊細な作業だ。(綿棒だから痛めない)。真っ暗闇で、息子の耳の形を触感で撫でていく。まるで筆で絵を描いているように。その作業は、祈りであり、讃美歌であり、儀式である。僕はいつかは終わるであろうこの「ミサ」を、彼の納得のいくまで付き合おうと思っている。

が、豪雨と共に、自由を感じたい夜もある。僕は父親の前に、一人の人間なんだ。過大なストレスが身体と心を蝕めば、すべてが壊れてしまう。だから息子よ、すまん。父は去る。雨に打たれ、すべてを脱ぎ去るために。

しかし安心してくれ。パパのお父さんのように20年も消えたりしない。たかだか10分程度だ。君にとっては青天の霹靂だろうが、我慢してくれ。ただでさえ親戚は「甘やかせすぎだ」と言われてるくらいなんだ。君の繊細さも知らずにね。簡単にいうもんだよ。まったく。

そうして心底疲れ果てて、この日記を記録している。家族の中で一人だけ風呂にも入れてないのは毎日のことだ。もう寝ようかと思うが、やっぱり悪夢はみたくないので、風呂で気分を入れ替えよう。
息子は時々うなされているが、仕方がない。パパも数時間も経てば、ドス黒い悪魔に追いかけられる夢を見るだろうから。

ではまた明日。

といって、妻が言った。
「娘、熱があるわ」。

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