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芸術家Mana Osawa / 大沢愛のバイオグラフィー。

個展に合わせて書いた大沢愛の人生を簡単にまとめたbiographyになります。大沢がどんなふうに育ち、何故このように人も作品も仕上がったのか?が読み解けるので興味のある方は作品と合わせて是非一読して下さい。(本記事は活動に合わせて追記していく予定です)



2000年 神奈川県横浜市に生まれる。
一人っ子だった大沢は両親の愛情を独占する。

幼少期から持病の喘息で入院した経験を持ち、虚弱体質であった事から主に室内で過ごす。

そこでハサミを使った工作をしたり絵を描くようになる。海外のアニメーションに慣れ親しんだ為、パキッとした線や色彩に興味を持つ。



小学生の頃 外で動植物を観察するのに夢中になる。

探究心が強くパソコンで調べものを印刷したり、図鑑を見るのが日課で図録の内容を丸々ノートに写して暗記をする子供だった。

この頃から既に欲しいものは手に入れるのが常であり、収集癖や浪費癖があった。



2012年頃、次第に周囲から絵が上手いと褒められるようになり美術の道へと進む事を10歳にして意識し始める。

小5の時、ロゴデザインの校内コンペで1位に輝く。
この頃には将来の夢を画家になる事と語り、記すようになる。



2013年、中学生となり、美術部に所属した事をきっかけにデッサンを始め、本格的に美術について学ぶ事となる。
当時 美術の先生からは「意欲が素晴らしい、絵だけでなく彫刻も造形も上手い…全て熟せる人はなかなか居ない」と高く評価された為、更に調子に乗るようになる。

大沢は《画家は孤独でなければならない…(以下略)》というダ・ヴィンチの言葉を胸にどんどん制作にのめり込むようになる。



中1の時 初めて応募した全国公募で特選を受賞した事をきっかけに多いに自信を付け、数々の公募にチャレンジし受賞するようになる。その後、疲労と心労が重なり病に倒れ、中2にしてアウトサイダーとなる。自宅で療養生活を送りながら、心身の安定の為にも医者の勧めで絵を描く事を続ける。



2016年、中学を卒業。義務教育からの解放により、体調が少しずつ回復へ向かうと大沢は芸術家として活動を開始。ホームページやSNSを立ち上げ、コンテストに挑戦しながら技術を磨き、己の道を照らし歩いて行く事となる。

『— 人と違う道を歩むという事は人より困難であるということだ。だが、その分 人より成功する事が出来る可能性を秘めているだろう』



2020年、20歳を迎えると、いつまでも無収入ではいられないと危惧し 個人事業主として開業、【ATELIER  VIVIER LIBERTA】を立ち上げ、オンラインストアの開設と原画の販売を開始する。

11月、成人の記念も兼ねて東京で初個展を開催。コロナ禍ではあったものの手応えと更なる目標を掴む。そして、学生時代 憧れであったブレイク前夜の出演を果たす。



2021年、初個展での学びを生かし作風を再構築(紙、木製パネルからカンヴァスへ)進化を遂げ、いい芽ふくら芽in Tokyoで優秀賞を受賞、百貨店デビューを果たす事となる。

以降数々の展示に参加するようになり、新進気鋭の画家として注目されるようになっていく。

10月には2019年から撮り溜めていた写真集「Picture × Picture」を出版。独学の天才デビュー作として話題となる


最終更新2021/11



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