見出し画像

“Automatic”な「consciousness」

*3日間限定無料記事

Automatic(オートマティック)。という単語を聞くだけで、俺はとりあえず、「It`s Automatic♫」と、宇多田ヒカルの曲が頭の中で流れる(笑)

画像1

まあ、あなたがそれを浮かべるかはわからないがw、今回話したいのはそういうことではなく、「意識(consciousness)」についての話だ。

オートマティック。つまり「自動的」と言うことだ。

我々は「意識」がある。意識の中に、記憶や、思考が含まれている。そして、意識の中には、「認知」できる“顕在意識”と、認識できない“無意識”の領域がある。

一人の人間、仮に「Aさん(男)」として、彼の日常のワンシーンを覗いてみよう。

朝起きる→トイレへ行く→顔を洗い歯を磨く→服を着替える→朝食を食べる→スマホ見てSNSをチェックする→出勤するために車に乗る→運転する。

では、ここまでの朝のワンシーン。Aさんは「朝起きた」ので、“覚醒している”、と一般的にされているが、実は少し違った視点や、深い意味合いで考えると、おそらくAさんは、半分眠っている。

朝、起きたのは誰か?なぜ、Aさんは目覚めたのか?誰が起こしたのか?考えて欲しい。あなたの身に置き換えて。あなたは、朝起きた。睡眠から覚めた。なぜ、起きた?

肉体の機能が、そうした?自然に、そうなった?

もう一度、細かく朝のシーンを追っていこう。

彼は目覚め、体を起こし、うつらうつらと立ち上がり、トイレへ向かう。ぼんやりとした意識で歩くが、自宅の、見慣れた景色だ。トイレの場所はわかる。

この時に、あれこれと考えている。今日の予定を考えたり、何かを思い出したりしている。まだ眠いなぁと、思っている。

歯を磨きながら、顔を洗いながらも、おそらく彼は、考えている。歯のことや、水道の水流のことなど、「当たり前」のこととして、意識していない。彼は器用に、歯を磨きながら、今日のスケジュールを頭の中で点検しつつ、まだ眠気があるので、合間に昨日見たドラマのシーンなどが意識に上ってくる。

歯磨きは、幼い頃からの習慣なので、自動運転に近い。歯ブラシを持って口に運べば、オートマチックで行われる。

オートマ?自動的?それは彼なのか?彼は取り立て意識していないのに、やってくれる“機能”がある。
では一体誰かが、歩き、トイレに行き、顔を洗い、歯を磨いたのか?

着替える。朝食を食べる。スマホを見ながら、考え事しながら、食べる。

これも、習慣化されている。別のことを考えながら、服を着たり、食事をする。頭の中は、Yahooニュースで見た芸の人のスキャンダルと、そのままTwitterの話題のトピック。「いいね」の数をチェックする。

食事は、昨日買っておいた菓子パンと、ペットボトルの烏龍茶。味は感じるが、取り立てて意識などしていない。彼は今、SNSに意識を向けている。

では、食べているのは誰か?口に運び、咀嚼し、飲み込むのは誰か?

彼は車に乗る。駐車場から出す時、通行人がいないか慎重にチェックする。車道に出て、通い慣れた道を走らせる。運転歴10年。何も考えないで運転できる。赤信号の合間に、スマホとカー・オーディオをBluetooth接続し、サブスクで音楽を鳴らす。彼は鼻歌を歌いながら、ハンドルを切る。

何も考えないで運転している。何も考えないで?では、アクセルとブレーキ踏み、ハンドルを切っているのは誰か?

運転をする人ならわかるが、もちろん、「進む時はアクセル」「止まるからブレーキ」「右に曲がるから、ハンドルを〜」なんて考えながら運転はしていない。習慣化された動作。つまり、体で覚えているので、考えないでも、前に進もうと思えば自然にアクセルを踏むし、停止しようと思えば、自然とブレーキを踏む。

もちろん初心者の頃は違う。一つ一つの行動を、思考と体の動きを連動させながら、丁寧に、慎重に行う。だから疲れる。

歯を磨く、食べる、などもそうだ。小さい子供は、その「一つの行為」で精一杯だ。なぜなら、習慣化されてないし、体が覚えていないから、考えながら、全身全霊で歯を磨く。もしくは、まったく集中せずに別のことに気を取られて歯ブラシなんて放り投げるか、食べ物で遊び出すか。

それがいつの間にか、考えないでも、それをできるようになった。歯を磨きながら、テレビのリモコンを操作し、頭の中では別の事も考えれる。

一度にいくつものことをこなせることを「器用」と言ったり、「賢い」と言ったりする。確かにそうだ。それが「大人と子供の違い」であり、「人間と動物の違い」かもしれない。

その能力は、人間社会では、とても重宝される。なぜなら「効率が良い」からだ。同じ時間で、複数のことを行える人の方が、同じ時間をかけて、たった一つの事しかできない人に比べると、『生産性』が高いとされるからだ。

近代は、物質主義、生産主義、効率主義の極み。今も人々は四六時中スマートフォンや、テレビや街の騒音の中で暮らしている。いちいち、広告に気を取られていたら生産性が悪い。人と話しながら、スマホを片手に、LINEで別の知人にメッセージを送り、Twitterで呟く。食事をしながら、テレビを見て、スマホを手に取り、Instagramを投稿する。

それは誰がやっているのか?

ここから先は

4,516字 / 1画像

¥ 300

サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。