見出し画像

物足りないくらいでちょうどいい

物足りないくらいでちょうどいい、というタイトルをつけたけど、このnoteに副題を付けるとするのならば、「1粒の肝油かんゆ ドロップと幼稚園の思い出」となる。いや、むしろそちらが主題の方がいいかもしれない。

でもあえて、個人的な感情として「物足りないくらいでちょうどいいのかもなぁ」という気持ちを綴らせて頂こうと思う。

その前にお知らせ。新刊出版。

物足りないくらいでちょうどいい


これを読んでいる人で、一体どれくらいの人が「肝油かんゆ 」を知っているのかわからないが、多分、子供時代に昭和時代を生きた人ならば、多くがその存在を知っているのでは?

逆に、今の子供たちは多分だけど、肝油の存在を知らないのでは?と思ってしまう。

もちろん、統計をとったわけじゃないからわからないけど、若者や子供たちが、肝油のことを知らないという事実は(そうだとして)、僕をちょっと悲しくさせてしまう。

なぜなら、それくらい僕は肝油が大好きだった。

肝油、なんて漢字で書くとなんだか重苦しい。

肝(臓)の油? そんな漢字とか意味を知ったのはずっと後のことで、僕は子供の頃、とにかく「カンユ」とだけ呼んでいた。

僕は人並みに、5、6歳の頃は幼稚園に通っていた。

キリスト教系の幼稚園で、行ってよかったと思っているが、幼稚園、という団体生活事態は正直好きじゃなかった。

なぜなら僕は当時、自分が子供のくせに子供が嫌いだったのだ。犬や猫の方が一緒にいて遥かに心地よくて楽で、気持ちを通わせることができた。

しかし、子供…。当時の僕には人間の子供が、半分「化け物」のような、得体の知れない存在であり、特に「女の子ども」なんてより一段と恐ろしかったが(いじめられたのだ…)、とにかく男女双方、子どもという生き物は何を考えているか皆目見当もつかず、いつ何をするかまったく先読みできないし、大人には通じるこちらのおべんちゃらやお世辞や、言葉を言わずに態度や表情で伝える、という伝達ができないのだ。

そんな僕が半日も、子供がうじゃうじゃいる幼稚園という檻の中で拘束されるのだ。

とはいえ、途中からだんだんわかったきた。

(あ、子どもってバカだな)

何様だ?と思われるかもしれないが、当時の正直な感想だ、仕方ない。これは中高生になっても(あ、ヤンキーってアホだな)と思ってツルんでいたので、この後もずっと続くのだ。

とにかく、僕は当時から完全に周りの同年代の子供を見下しながら、パワー関係を測り、自分のポジションを確保しつつ、結構ラクに、現状を受け入れていた。

まあ、たまにサボったり、お遊戯で一歩も動かないで反抗するとか、そういう自己主張はしていたが…。

そんなさして楽しくもない幼稚園生活で一番の楽しみとも言えたのが、帰りに先生が一人ずつにくれる「カンユ」だった。

順番に並び、担任がスプーンで一つずつ、あーんと口を開けて待っている子供の口に放り込む。

基本、スプーンを舐めたりしてはならず、あくまでも先生が口に入れるのを待っていなくてはならないのだが、時々バカなガキがスプーンを咥えそうになり、そのすぐ後ろの順番だと、それが不潔に感じられて嫌だったのだが(当時、僕は家族とすらいわゆる間接キス的なことをするのが嫌なほど潔癖症だった)、そういう時は「手にください」とお願いして、直接手のひらにもらった。

でも、基本的にはスプーンで口に一粒放り込んでもらう。そして、その方が自分の手で食べるより、なぜだか美味しく感じられた。

知らない方のために「カンユ」の味を説明すると、とにかく「甘い」。

食感は少し「ジャリッ」とした噛み心地と、「むにっ」とした歯触りが両方ある。

似ているものはなんだろう?グミとも違うし、砂糖菓子とか、寒天菓子とも違う。独特の食べ物だが、すごく好きだった。

しかし、そんな好物のカンユ。もらえるのはいつも1粒だ。たった1粒のカンユ。ちなみに土曜日は、日曜日の休みの分として2粒もらえたので、とても嬉しかった。

とはいえ、普段はたった1粒だし、土曜日だって2粒。物足りないのだ。もっと食べたいのだ。

「カンユ買って〜」と、おやつ感覚で親におねだりしても、

「高いからダメ」

と言われた。それと、

「栄養がたくさん入ってるから、1日一粒以上食べてはだめなの」

という説明も受けた。しかし、「栄養云々〜」に関しては「高いから」という理由を正当化するためでは?と、幼稚園児の僕は勘ぐっていた。実際にけっこう高価なもので、お菓子感覚の値段ではないと知ったのはもっと大きくなってからだが、とにかく僕は何事もそのように斜めに見てしまうかわいげのない子供だったのだ。

でも、特例があった。夏休みや冬休みなどの長期休み。幼稚園からもらえたのか、安く買えたのかは定かではないけど、カンユがたくさんもらえる。たくさん言っても、休みの日程分だったと思う。つまり「休みの間に一粒ずつ食べてね」という意味だ。

だがしかし、やはり高価であり、高栄養価ということで、母は肝油を厳重に管理し、1日1粒、ないし2粒しかくれなかった。

年長の頃の最後の冬休みだったと思うけど、何日か、カンユを食べれない日が続き、休みの後半になってもカンユが余っていた。多分、風邪でも引いたのだろう。僕は幼少期、しょっちゅう病気で寝込んでいたから。

母は油断して、カンユを僕の手の届く範囲に置いていた。しかも、数の管理はしていないと見えた。

僕はこっそりと、カンユを頬張った。念願のカンユ爆食い。

しかし、2粒、3粒。3粒までなら今までも食べたことがあった。やはり休み中に風邪とか引いて食べれなかったのだろう。

しかし、4粒以上は未体験ゾーン。ワクワクしながら食べたのだが、4粒目を齧ってる段階で、すでに妙な気分を感じてた。そして5粒ほど食べると明らかに胸焼けがして、気持ち悪くなった。

意味がわからなかった。あんなに渇望していた、大好きなカンユが、いくつか食べると美味しくないと感じたのだ。むしろ「ギブッ!ギブッ!」と、カンユ相手に白旗を上げて降参していた。「もう食えません!もう入りません!勘弁してください」と。

胸焼けと込み上げる気持ち悪さと共にしばし考え、僕はすぐに悟った。母の言っていたこと。幼稚園で1粒しかくれなかったこと。

点と点がつながった…。

過ぎたれば及ばざるが如し、なんてことわざはもちろん知らなかったが、この世には体良くて、美味しいものでも、たくさん食べてはいけないものがあるのだと知ったのだ。

一つ、大人になった瞬間であり、齢6歳にして、「人生はちょっと物たりないと感じたり、もう少し欲しいなと感じるくらいで終えておくことが醍醐味なのだ」と知った。

しかし、その代償は大きかった。

なぜならそれ以来、僕はカンユが好きじゃなくなってしまった。

幼稚園でも、最後にもらう時の楽しみに無くなり、「今日はいらないです」と断ったりしていた。もらっても何も感動はなく、ただの甘ったるいお菓子としか思えなくなった。

さらに、家にはまだカンユがたくさん袋に残っていたけど、それは誰も食べることなく、やがて処分される憂き目になった。

「もう古いから捨てるわね? もったいない、高かったのに…」

ぷんすか小言を言う母に対してではなく、僕は自分自身に怒り、そして罪悪感を感じた。

(あの時、カンユをたくさん食べなかったら…)

きっと僕は今でも毎日のカンユ1粒を楽しみにしていたし、家にあったカンユも、無惨に廃棄されることもなかっただろうに…。

それと、今こうして書いていて気づいたのだけど、先生から口に運んでもらったカンユがとても美味しかった。自分の手で口に入れるよりも、ずっとずっと、美味しく感じられた。きっとそれは、先生の「愛情」が、カンユを美味しくさせてくれいたのだと思う。

実はあれ以来、カンユを食べたことない。どっかで買ってみようかと思うのだけど、多分、甘過ぎてたくさんは食べれないと予想がつく。駄菓子屋とかでひと粒ふた粒だけバラ売りしててくれればと思うが、それが叶うことはないだろうな…。せめて、息子が幼い内に一度買って試せばよかったと、今になって思う次第である。

***********

11月27日 新刊出版

☆ イベント、ワークショップ、セミナーなど。

Youtube


サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。