見出し画像

「嫌だ」と言えなかった“僕”と、「NO」を言える“俺”

昨日、11月11日に高尾山へ行った。実は前の週も高尾山へ行ってるし、その前の週も、東京西部の別の山へ行った。


高尾山は何度も行っているが、先週と今週、歩いたことのないコースで登った

今年は春から体調を崩し気味で、体力がかなり落ちているので、ハイキングで落ちた体力を取り戻し中だ。

帰りに温泉。サウナで調う。

後で触れるが「11月11日」は兄の命日だ。僕にとっては、兄の死は大きな変化であり、兄は僕の人生にもっとも影響を与えた人の一人だ。

さて、先週だけどこんなTweetをした。

今日はこれについて、もっと突っ込んだ話をしてみたい。

「嫌だ」と言えなかった“僕”と、「NO」を言える“俺”。


「嫌だ嫌だ嫌だ!」

登山なんかしていると、時々親子連れにあって、途中で疲れたのだろう。小さな子供が駄々をこねてるのを見かけることがある。

小さな子供の泣き声というのは、それだけで元気が出る。子供の声って不思議だ。全身で発声し、小さな体で、びっくりするくらい広範囲に響き渡る。一人の歌い手として、子供の発声にはついつい聞き耳を立てる。

子供の泣き顔も、それを見守る母親の顔も、微笑ましい光景だ。だから当然僕も微笑ましく、それを見守りながら横を通り過ぎたり、時々は「もう少しだよ!」とか「えらいね」とか、声をかけたりする。

微笑ましく見つめながらも、僕の心のどこかで、胸の奥で、小さな痛を感じる。

うちの息子はそういうタイプではなかったが、息子を連れておもちゃ売り場なんかに行くと、「買って買って買って!」と、駄々をこねて暴れる子供が時々いるのだけど、その時も同じ気持ちになった。

僕は、羨ましいと感じるのだ。

僕は、小さい頃に一度も、おそらくただの一度も、あんな風に駄々をこねたこともなければ、おそらく両親からの要求に対して「嫌だ」と言ったことはなかった。

もちろん「嫌だな」と思ったり「めんどくさい」と思ったことくらいはある。でも、言えなかった。

兄はそれを平然と言えるタイプで、それこそおもちゃ売り場で寝そべって泣きながら地団駄踏んで親が折れるなり、妥協するなりとことん戦えるタイプだった。

物心つく前から、兄のそんな姿を見てて、困り果てたり、怒る親の姿を見てて、それはまだ2、3歳の頃の僕にとってとても悲しい光景だった。

僕は2歳くらいから記憶があるので、そういう光景をよく覚えている。言葉の内容とか、言動よりも、その場を支配する「空気感」を、はっきりと感じていた。そして僕は「悲しい空気」とか、「怒りの空気」が、嫌いを通り越して「恐ろしいもの」として感じていた。

僕は、それらの空気にさらされたり、ましてそれが攻撃性を帯びてこちらに向かってくるのを恐れ、いかに「それを避けるか?」を、巧みに覚えて行った。

冒頭に書いたが、兄の存在は大きかった。兄は容赦無くわがままを言い、親を困らせ、例の空気感、そして悲しみ、怒りのムードへ発展していった。

弟というある種の役得として、上の兄弟の失敗を見て、自分は失敗することなく、初めからいいとこ取りをすることを覚える。つまり「要領が良い」というタイプだ。僕は典型的な次男坊として、兄の失敗を見て学び、極力失敗(ここで言うところの両親の悲しみや怒りを受けること)しないで成長した。

しかし、それはデメリットでもある。世の中、そうそう都合の良いことばかりではない。

僕はその要領の良さから、常に「良い子」として振る舞うことになったのだが、これが両親に僕への『期待』を生んでしまう。無理もない。何でも言うことを聞き、下手したら言われる前に察知して先回りして両親の望みをかなえ、わがままや不平を言わないのだ。病気がちだった点を除けば、親にとってはかなり育てやすい子供だっただろう。

しかし、当然僕にも「嫌なこと」や「苦手なこと」はできてくる。最初は言われたままやってみたが、やってみると嫌になることはたくさんある。

ここから先は

3,333字 / 3画像

¥ 250

サポートという「応援」。共感したり、感動したり、気づきを得たりした気持ちを、ぜひ応援へ!このサポートで、ケンスケの新たな活動へと繋げてまいります。よろしくお願いします。