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どうして今、“目醒め”が必要なのか?(無料記事)

お知らせ

9月26日(土)18時〜。東京赤坂「アコースティック・メディテーション」(都内・赤坂) アコースティック・メディテーションとは?→アコースティックな音 (明日です!お席、まだあります!)

10月11日18日、第2回となる「魁!!覚醒塾、オンライン寺小屋 2days」を開催します。前回があまりに素晴らしい内容で、壇珠さんと共に、「鉄は熱いうちに打て!」と言わんばかりですが、2ヶ月連続で行うことになりました。

目醒めのための濃厚なグループセッションとワークです。限定8名!お申し込み本日開始です! → 魁!!覚醒塾。オンライン寺小屋2days

*追記。壇珠さんのブログ。

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上記のお知らせにある通り、秘行瞑想の『壇珠』さんとの「覚醒塾」にしろ、先日のリトリート(レポートを兼ねてのnote。「遠慮はするな!」)で、『奥平亜美衣』さんとの対談テーマの「空」にしろ、(そういえば、この二人とも、作家の吉本ばななさんと対談している人たちだな…。不思議な共通点)どうして今、この時代に、「覚醒」や「目醒め」という、深いテーマを、伝え始めているのか?

もちろん、悟りや霊的覚醒は、本来、スピリチュアルのど真ん中のテーマのはずだが、一般的に、世間でスピリチュアルとして流行っているのは、もっとライトで、わかりやすく、親しみやすい、ノリのいいものだ。
「願いが叶う!」
「悩みが解決!」
「金運上昇!」、
みたいな、ハウ・ツー形式のメソッド。
(まあ、それらをスピリチュアル(霊性)と呼ぶのかはいささか微妙だが…)

しかし、そろそろ気づき始めている人が増えているのだろう。
「もっと本質が知りたい」と思い、「このままじゃ、なんか違う…」と、漠然と感じ始めている。コロナ騒動からの一連の、世界情勢で、多くの人が気づきを持った。

だから、それを「知る人たち」は、その事を伝えるようになった。集合意識が変わり、求められるものが変わってきたからだ。

俺は去年くらいから、ライトなスピリチュアルと決別し、コアな発信を選んでいる。「〇〇して、△△になる!」という、実用的、ハウ・ツーテキストなものではなく、本質の部分。真髄の部分。背後の部分。奥にある部分。

ウイスキーで例えると、世間ではハイ・ボールや水割りや、ウイスキーを使ったカクテル、なんてものが流行っているが、俺は濃い目の水割りからオン・ザ・ロックだ(俺個人の探求はストレートです)。当然、飲み慣れない人には受け付けられないかもしれない。それを分かって伝えている。

俺が、世界を“一瞥”した時。覚醒体験、見性体験、呼び名はなんでもいいが、とにかくそこは「空(くう)」という領域であり、それを体験したのは、こうして書いておいて矛盾するのだが、それは「俺」ではない。なぜな、俺は「全体」だった。

全体になった、わけではない。全体だと知った思い出した

覚醒とか目醒めとは『何者かになる』、ものでもあないし『何かを得る』、ことでもない。むしろ反対で、「自分がなくなる」「すべてを手放す」ことだ。ゆだね、明け渡す。「降参(サレンダー)」とも呼ぶ。しかし、それは何も大袈裟なことや、特別ことではない。なぜなら、本来我々は「すでに知ってる存在」だから。今「知らないゲーム」をやってる。

ちなみにもしも“自称”「目覚めた人」で、「私はすごい!目覚めてない人はまだまだね〜」なんていうマンティング意識を持っているのなら、その人は確実に目覚めていないだろう。

悟りとは「さ」を「とる」から、さとりなのだ。すべての人も物も、エネルギーも、あらゆるものが「ひとつ」になり、そこに優位性はない。

覚醒していく過程には「段階」がある。俺も段階を経て、精神的、霊的に目覚めて行ったし、まだまだ途上にあり、いつまでも段階は続いていくだろう。

それは、病気だったり、呼吸観察や座禅だったり、登山だったり、学びだったり、瞑想だったり。しかし、それらは「日常」に土台があり、日常を確実に生きていたからこそであり、すべてがつながっている。

自分を生きる!と決めて行動を起こすのも段階。世界の愛を体感するのも段階。感謝や許しが自然と起きたり、猛烈な好転反応の末に心身が軽くなるのも段階。それらを経て、降参(サレンダー)するしかない、という境地がやってくる。

しかし、俺が「宇宙はひとつ」と感じるあたり辿った道と、壇珠さんや、奥平亜美衣さんの辿った道は違う。登山と同じで、ルートはさまざまだが、山頂はひとつなのだ。

何が言いたいかと言うと、“あなたにはあなたの覚醒”があるということ。

それを教えることは誰にもできない、と、先に言っておく。もし「あなたの覚醒する方法を〇〇円で教えます」という人がいたら、要注意が必要だ。そんなものはない。自分の内側にしかない。自分の宇宙で、自分の宇宙に気づき、扉を開ける。

しかしそれでも、そこに至った人たちの“経験則”というのは、まったく役に立たないわけではない。初期の段階ほど、大体似たようなルートを通るのは分かっているし、知識を得るというのも、“意識を拡大させる”ことにつながる。

そして、そういう人たちの波動を受けることに、エネルギー的に“干渉、共鳴”が起きて、周波数が上昇するのは間違いない。

我々は今、激動の時代を生きている。これからも、ますます社会は激変する。もう、元の世界に戻ることは期待しない方がいい(それを望む人は、おそらくこれを読めないだろう)。

その中で、真の豊かさを知り、享受して生きるには、「本質に目覚める」ことが、とても重要だと思い、こうして様々な角度から伝え続けている。もちろん俺だけじゃなく、いろんなメッセンジャーが、自分のできる範囲で、役割をもって。

そして今、目醒めへのきっかけを掴む人たちが、確実に増えてきているのを実感している。時代は、加速している。昔は10年かかったものが、今は1、2年で済んでしまうくらいのスピード感だ。

アセンションゲートが閉まる、と言われているが、俺は別に完全に閉じるとは思っていない。ただ、今のようなスピード感が失われる可能性は高い。だから、この機会にワークを得ること、ワークを重ねることは、非常に意味が深いものだと思う。

「アコースティック・メディテーション」というイベントもそうだが、「癒しと浄化」という段階は、必須である。瞑想や音楽は、そのどちらの領域も扱える。

そして、その中で、高次のエネルギーとつながっていく。それは、特別性や、サイキック能力とは関係ない。能力と、その個人の目醒めや幸福は比例しない。

ぜひ、じっくりと「覚醒」に向けた道を、意図を求める人へ、「覚醒塾」のご参加、お待ちしております。

「魁!!覚醒塾・オンライン寺小屋2days」

ふざけたタイトルにしてるのも、意味があります(笑)。真剣だけど、深刻にならず、気楽さや、軽やかさが必須だからね。

ちなみに、「覚醒するとどうなるのか?」が、最も気になるところだろう。人は「利」によって動く。利益がないと動けないのが、この三次元世界の特徴だから。

「何を得られるのか?」
「悩みは解決するのか?」
「願いが叶う魔法が手に入るのか?」
「そのスキル(技術)が役に立つのか?」

これらの質問に対しては「YES!」と力強く答えるとともに、「そんなん知らんわい!自分で決めなさい!」と答える。

なぜなら、その極めて資本主義、物質主義的な発想そのものが『ひっくり返る』わけだから、損得感情とか、悩みとか、今起きていることの大半が、どうでもよくなるだろう。(もちろん、自我はなくならないよ?無になんてなりません)

その上で、やりたい事をやればいい。願いを叶えればいいし、魔法を練習すればいい。ただ、心の重石は、ずっとなくなってるから、何をやっても軽やかで、スムーズになるだろう。

「魁!!覚醒塾・オンライン寺小屋2days」

明日!9月26日。倍音の響きで、パワフルな浄化のライブ。

著書「人生をひらく不思議な100物語」


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