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探求文庫 #131 私たちが見ているものはなにか? ー幻想とイデア論ー

探求文庫 #131 私たちが見ているものはなにか? ー 幻想とイデア論 ー


「りんご」を思い浮かべてください。

・・・・

…な〜んて思い浮かべるまでもなく、多分、この文章を読んだだけで勝手に思い浮かんだと思います。

さて、多分あなたの思ったリンゴは、僕の思ったリンゴと同じでしょうか? これを読むAさん、Bさん、Cさん、それぞれの思い浮かべたリンゴは、みんな同じでしょうか?

こちらの写真。

これは自宅近くの公園の芝生広場の「シロツメクサ」の花です。

とてもきれい、とかそんな話じゃなくて、この「シロツメクサ」の花は、すべて「違う花」です。違う「個体」として存在しています。一つとして、同じ花はありません。当然です。仮に、もし同じDNAを持っていたとしても、その同じ場所、同じ時間に存在はできませんから、この世界において「同じもの」というのはありえないわけです。

となると、私たちが見ている「シロツメクサの花」とはなんなのでしょうか?私たちは何を見ているのでしょうか?

一つとしてこの世界に「同じもの」はないのに、私たちはこの白い花を見て、それらの総称して、ひとくくりに「シロツメクサの花」として見て、認識して、さらに勝手に綺麗だのなんだの感想を述べ合うわけですが、もしこの「個体」の立場(花の側)からすると、こんな乱暴な話はありません。

これはギリシア哲学のプラトンの提唱した「イデア論」がまさしくそこを説いてます。

冒頭のリンゴでイデア論を説明すると、この世界に「リンゴ」なんてものは本来ないのに、私たちはリンゴを見ているのは、イデア界という「真理と真実の世界」にあるリンゴを思い描いている…。

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