「神様っているのかな?」 (掌編小説)
「ありがとうございます、おかげで助かりました」
お礼を、言われた。
(は?俺が、人からお礼?)
そのばあさんは、深々と頭を下げて、何度も何度も感謝の言葉を俺に言う。
「あの、どうかご連絡先を教えてください。お礼をさせてください」
「いや…」
俺は気が引ける。なにも大したことはしてない。
「いいからよ、ばあちゃん、早く診察室行きなよ」
俺はなんだかくすぐったいというか、むず痒い思いをしながらそう言うが、
「いえ、私の気が収まりません、お願いですから、こちらにお名前と住所を…」
「おいおい!気いつけなよ」
俺に歩み寄ろうとしたばあさんは転びそうになり、横にいた看護師さんに支えられた。
「ね? お願いします」
懇願するように、ばあさんが言う。
(お願いされてもよ…)
しかし、怪我人にお願いされて断るわけにもいかず、俺は渋々ばあさんの手渡してきた手帳に、名前と住所を書いた。嘘を書こうかとも思ったけど、それはそれでこのばあさんが悲しむ気がしたので、素直に書いた。
ばあさんは俺の書いたメモを受け取ると、ようやく看護師に支えられ、車椅子に乗った。
「本当にありがとうございます。感謝します」
「わかったから、早く診てもらいなよ」
俺はそう言い捨ててそこから逃げるように立ち去る。歩きながらちらっと振り返ったら、車椅子を乗ったばあさんと看護師が、薄暗い病院の奥へ進んでいるのを確認できた。
⭐︎
今日も二日酔いで目が覚めた。起きたのは昼過ぎだったが、これでもいつより早いくらいだ。ひどい日は夕方まで寝てる。昼夜逆転。夜の世界の住人だ。
そんなオレが、二日酔いとは言え立派に腹が減ったので、何か軽く腹に入れようと、近所のコンビニに向かってる時だった。寝癖だらけの髪で、サンダルをつっかけて。
歩いてすぐ、道でうずくまってる老人がいた。ただでさえここは路地で、人通りはほとんどないので、よく目立った。
近くまで行くと、その老人がばあさんだとわかる。髪の毛は真っ白で、明るい色合いの薄手のカーディガンと、地味な色をしたスカート。
(何してんだ?)
と思いつつも、腹が減ってたので通り過ぎようとしたが、足を抑えながら、何やら辛そうな顔をしている。
「なあ、どうしたんだい?」
思わず声をかけた。
「足が、足に、釘が…」
そのばあちゃんはそう言った。
「釘?」
なにやら、手のひらくらいのサイズの木材の切れっ端を踏んでいるが、そこに釘が刺さっていたのだろう。
「足、持ちあげれるか?」
ばあちゃんは足を軽く持ち上げた。確かに板の切れっ端に、釘が打ち込んである。そしてそのまま靴を通して足に刺さっているのだ。釘のサイズ的に、3、4センチはあるだろう。
靴を見ると、靴底の薄い、スリッパのような安っぽい靴だ。
(こりゃ貫通しててもおかしくねぇな…)
「よし、ばあちゃん病院行こう。こりゃダメだ。どうにもならんよ」
考えるまでもなかった。ここで下手に引っこ抜いたらどうなるか保証はない。
「でも、とても動けなくて…」
「んなもん見りゃわかるよ!歩けるわけねえだろ。おい、おぶされ!」
「そんな、若い男性におんぶなんて…」
と、ばあさんは謎の恥じらいを見せるが、
「今そんなこと言ってる場合じゃねえだろ!」
俺がそう強く言うと、ばあさんは観念した。
俺は肩を貸してゆっくりと立たせ、そのままおぶった。体を持ち上げる時に、「うっ」と、そのばあちゃんは痛みで唸った。
歳の割には背の高いばあちゃんで、骨格もしっかりしてたので、ぶっちゃけかなり重かった。俺もガタイは良い方じゃないどころか、むしろガリガリくんと子供の頃言われてたくらいだ。しかもこちとら二日酔いで空腹だ。
しかしそうは言ってられない。とにかくそのばあちゃんを背負って、線路の向こう、踏切を超えたところに大きな病院があったのを思い出し、そこへ向かった。
「すいません、ほんとにすいません」
ばあちゃんはおぶさりながら何度もそう言うが、
「んなこと言われてもしゃぁねだろ」
と俺は苛立ちながら答える。何に苛立ってるのかと言うと、自分の非力さにだ。ばばあ一人背負っただけでこんなにも疲れるなんて、どんだけ体力がないんだ。不摂生し過ぎだ。
病院に到着。普通に歩けば5分くらいだけど、さすがに10分くらいかかったと思う。にしても、人一人って重たいんだな。背負っていた背中が、汗でべっとり張り付き、額からも汗が滲んでいた。
今日は日曜日だから外来はやってない。救急外来と書いている窓口へ向かう。救急をやってる総合病院が近くにあってよかった。
そして、ばあちゃんを背中から下ろして、帰ろうとしたら、ばあちゃんは涙ぐみながらお礼を言いながら、俺の連絡先を聞きたがった。
☆☆
病院を出てから俺は苦笑いをした。
(マジかよ、俺が人から感謝されたって?)
そしてすぐに、自分が人からこんな風に感謝されたのはいつ以来だろうと思った。もちろんありがとうと言われたことくらいはあるけど、それがいつ、どんなシチュエーションだったのかと言われると、ハッキリと覚えてない。
つまり、俺は人から感謝の言葉なんて、ずいぶん久しくもらってないということだ。
当たり前だ。人から憎まれたり恨まれたりはすることはあっても、感謝されることなんてない生き方をしているのだ。
(あー、運動したからますます腹が減った)
そう思いながら、コンビニではなく、駅の方へ向かった。駅前で牛丼でも食おうと思った。
しかし、なんで咄嗟にばあちゃんをおんぶしたのだろう?
俺は歩きながら、そう考える。
そもそも、なんで俺はあのばあちゃんに声をかけたのだろう? 自分の行動が不思議だった。俺はそんな人助けするキャラではない。
(何か考える前に、勝手に体が動いていた…)
そう。考えていなかった。今思うと、あの時の行動のすべてが、自分で選んだとは思えない。
「人の心には皆、神様が住んでいるのよ」
牛丼屋に入ろうとした時に、咄嗟にそんな言葉が聞こえて俺はドキッとした。
「いい?人はみんな、優しいのよ。ここに神様がいるの」
駅前なので人はそこそこ多い。ちょうど近くに小さな子供がいて、その母親なのだろう、子供にそんな話をしている。
「うん、そうだね!」
小さな子供は、まだ3、4歳と言ったところだろうか?さっきまで泣いていたのだろう。顔がくしゃくしゃだ。しかしもう笑顔になっている。子供は一瞬で気分が変わる。羨ましいもんだ。
母親はしゃがんで子供に目線を合わせていたが、立ち上がり、子供と手を繋いで駅の方へ歩き出した。
(心の中に…)
今の会話が頭の中で反芻され、俺は急に胸が苦しくなった。
(そうなのか?俺の心にも、いるのか?)
俺が咄嗟にばあちゃんを助けようとしたのは、心の中の神様?確かに、あの行動は、俺ではない気がする。普段の俺なら、ババアが怪我しても、子供が泣き叫んでいたも、自分に影響がなければ素通りだ。
しかし俺の中にも、神様だかなんだか知らないが、そういうものがいて、それが俺に行動を起こさせたのなら?
そんなことを考えていると、ふいに涙が出た。
母親を思い出したのだ。母親はよく、そういう話を俺にしてくれる人だった。
「神様が守っててくれるからね」
しかし、その母親は俺が小学4年生の頃、家を出た。親父の暴力から逃げたのはわかる。しかし、俺も一緒に捨てた。恨んでない、とは言い切れないが、ただその事実は悲しかったし、今思い出しても悲しい出来事だ。
その分、親父を恨んだ。親父も親父で、まるでその八つ当たりのように、俺に暴力を振るった。
しかし高校生の頃に初めて親父を殴り返したら、一発で打ちのめしてしまって、それ以来親父はなんだか弱弱くしくなって、情けなくなった。それからむしろ俺にビクビクするようになった。
その姿を見て、恨みや怒りより、こんな男の血を引いてるということに嫌気がさした。
俺はヒップホップが好きだった。ヒップホップには、そういう荒れた生活から、人生を成功に導いた話がたくさんある。だから俺もそれを夢見て、ラッパーになりたかった。
バイトして金を貯めて東京に来て、ラップしながら、フリーター生活をしていた。
しかし、夢よりも、目の前の自堕落な現実にひきづり込まれて、気がつくとこんな状態だ…。時々、クラブのイベントに顔を出すが、ヒップホップよりも、悪い仲間と遊び呆けて、陰でこそこそと煙を吸い、それらを売り買いし、店の用心棒気取りになっている。
わかってる。自分がクズで、クソだって。あのクソ親父の息子だ。
だがそんな俺にも、神様がいるのか?
俺は一体、なにをやってんだ…
こんなはずじゃなかった。こんな生き方をするはずじゃなかった。もっとちゃんとした夢があった。目的もあったはずなのに。
まだ、やり直せるのか…。
俺は涙を拭うが、いくらでも涙が溢れる。駅前は人が多いので、俺はそこから足速に離れた。その間も、ひっきりなしに涙が溢れて、視界がぼやける。そして言葉にならない声が込み上げ、しゃくり上げながら泣いた。
(ガキみてえじゃん…)
駅から少し離れた路地にある、ガード下のコンクリートの柱にもたれかかり、俺は泣いていた。
いい歳こいた男が、わんわんと泣いてる自分を、冷静に俯瞰している自分もいる。こんな風に思い切り泣くのなんて、いつ以来だろう?
「母さん…」
思わず、泣きながらそんな言葉が漏れる。
(母さんが、幸せで暮らしていますように…)
俺は、胸に手を当てて、母のために祈っていた。祈ろうと思ったわけではない。自然に、そんな想いと、その想いにふさわしい言葉が溢れでた。
初詣で行った神社で、自分のお願い事くらいはしたことあるが、人のために祈ったのは初めてだし、母に対してこんな気持ちになったのも初めてだった。
気分は悪くない。祈りの中で、呼吸は落ち着いていき、涙は止まった。
俺が助けたんじゃない。助けられたんだとそこで気づく。そして「神様って、本当にいるのかもな…」と、コンクリートでできた、壁のような大きな柱を見上げて、そう思った。
終わり
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