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「恋愛教」に盲信した世代

⭐︎お知らせ

11月13日(土)心と体が出会うワークショップ「Seed」 京都 → 残席5名
11月14日(日)歩く瞑想の会 比叡山 → 満席

11月21日(日)心と体が出会うワークショップ「Seed」 東京 →残席1名

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「私は無宗教です」

と日本人の多くが言うが、タイトルにある「恋愛教」に、現代人の多くがハマり、貴重な時間と労力と財力を注ぎ込んだ人は多いと思う。

我々人間にとって10代や20代という、いわば「若者」と呼ばれる青春時代。

この時代に多くが恋愛教に陥り、自己実現や自己成長、スキルアップ、キャリアアップよりも、多くが異性(LGの人は同性もね)への関心が生活の中心になりがちで、あたかもそれが“人生で一番大事なもの”のように熱を上げます。

これは差別発言ではないが、恋愛教にハマるのは女性の方が多い。男の方がまだ「目標」とか「夢」とか、「自分のやりたいこと」に向かう性質が強いと思います(あくまでも平均値)。

この恋愛盲信教は我々の親くらいの、高度成長経済時代から始まったのでは?と推測します。

流行する歌謡曲やテレビドラマ、映画でこぞって、愛や恋がテーマになり、異性の関心を引くためのファッションや、きらびやかで、お姫様になれる結婚式、そして理想の結婚生活を、マスメディアがこれでもかと情報を垂れ流し続けた結果でしょう。

これはアメリカの「3S政策」の、スポーツ、スクリーン(映画・テレビ)、そしてセックスの部分。若者の関心や興味は異性問題に集中し、政治やら、自分の人生やらを考えさせないための政策です。

これは陰謀論ではないのです。れっきとした事実だ。明るみになっている。つまり「陰謀」であって、“論”ではありません。

陰謀は、明るみになるまではそれを指摘すると「陰謀論者」と呼ばれるのです。もちろん、明らかにおかしな陰謀論もありますが、戦後だけでもアメリカ中心に数々の陰謀が明るみになっています。

恋愛教は、若年層の貴重な時間を、自分の人生の大切なことを考えるのではなく、異性に関心を向けさせました。

結果、自己成長のないままお熱を上げた頭のおばかさんの二人が結婚して、子供が生まれ、一軒家に住んで「まあ、これが幸せなんだろう」と、違和感を抱えながら何十年も過ごしつつ、熟年離婚なんて多いですよね。

これはそもそもがお互いが自分の人生や、自分自身を考えてこなかった結果です。自分を見てもいないのに、人をきちんと見るのは難しいでしょう。

年々、傾向は変化しています。女性も自立している時代ですし、最近の十代はさらに傾向が違って、恋愛教にハマってない若者が多いです。だから「恋愛教に盲信した世代」というタイトルを書きました。

しかしその代わり、若者は他の宗教に映ってますね。「SNS教」「ゲーム教」「アニメ教」「スマホ教」。あと、ちょっと広い世代にいるけど「ジャニーズ教」「韓流教」とか…

これらは「趣味」と「宗教レベルの盲信」の線引きは難しいですが、確実に趣味の領域を超えた人々は多いです。ゲーム一つにしろ、「本当に好きでワクワクしてる」人もいれば、日々の仕事の「ストレス発散」や、はてまた「現実逃避」というレベルもあります。現実逃避レベルになると、それは「〜教」と言われてもおかしくない段階です。

恋愛教の話に戻りますが、平均的に、女性はとても恋愛話が大好きで、ゴシック話を含むロマンチック物語が大好きなのは、古今東西、あらゆる国で、あらゆる年齢層でそうなっています。

だからもうこれは遺伝子レベルの問題なので、どうしても恋愛教に陥りやすいのは仕方ないのかもしれません。あなたが「私は違う!」と否定しても、何十万年分ものDNAやエネルギーの蓄積があるので、あなた一人のたかだか数十年の人生では、そうそう太刀打ちできないでしょう。

しかし、それでも現代は「恋愛教」まだまだが蔓延していると思います。これは「結婚」への願望とか、配偶者への過度の期待も含みます。多くのパートナーシップのつまづきが、期待ばかりして、要求はすれど対話をしないから起こるのです。

例えばかつては日本の「結婚」って、かなりの率でお見合いが多く、親同士取り決めたものでした。つまり、当事者の二人は結婚するまで相手の顔や性格がまるでわからないのです。

「選択の自由」がある現代は素晴らしいですが、過去のそんな時代が必ずしも間違いと言い切れるでしょうか?「出会った人を受け入れ、愛する」ということをやって、元に子々孫々続いてきたわけです。

「運命の出会い!」なんて、目をキラキラさせるような話に憧れる恋愛教徒は多いですが、まさしく昔の制度なんて、運命の出会い以外何者でもありません。なんせ自分のエゴの介在する余地がないのです。選択権がないのですから。

もちろんその中でも自由な選択を、つまり恋愛に生きた人たちもいます。ただお見合いはかなり多かった、ということです。

さて、こっからが本題ですが、

恋愛って人生においてそれほど重要なものか?

若い人、そしてかつて若かった人(笑)、考えていただきたい。

理想の異性と結ばれることが、人生の「質」を決めたり、「幸福」の度合いを上げるものなのか?パートナーとラブラブで過ごす事が、人生の重要なことなのだろうか?

恋愛教にハマる人たちは、おそらくそんなことすら考えたことありません。それが「当たり前」の価値観として植え付けられ、すっかりと洗脳完了状態です。

もちろん、自分のことも考えますし、自分の夢とか目標とかも考えるでしょ。それらを持っている人もいるでしょう。でも恋愛教にハマると、優先度が「夢の実現」よりも、性的関心の方が高くなってしまう。

だからスキルアップとか、内観するとか、そういう時間が削られてしまう。

おかしな話で、もしも本当にモテたいのならば、自分を高めることが一番です。だって魅力的になればなるほど、異性は放っておけません。

さらに言えば自らが知的になればなるほど、同じような知的な異性と親しくなれます。精神的、人格を高めると、高い精神性と人格を持った人間と引き合います。

なのに、自分を知的に、精神的に磨くよりも、顔や体型、SNS映え、アピール方法を工夫して、男は男でキャリアや肩書き、財産を得て理想のパートナーをゲットしようとする。

仕方ありませんね。恋愛教に盲信していると、思考能力が奪われますから。

「私はもう結婚したから関係ないわ」と思ったそこのあなた。関係なくはありません。恋愛教にハマった人はそのまま「結婚教」でもある可能性が高いので、結婚という「制度」や「配偶者」に依存してるかもしれない。

それと、かつて恋愛教にハマっていたのなら、貴重な時間を無駄にしていたかもしれません。もちろん人生は「もう遅い」なんてことはあまりないです。今からでも色々と間に合います。

でも、やはり若いうちにしかできなかったことってありますからね。

恋愛教にハマった人は、もっとも脳の活動が盛んだった時期に、思考力を使っていなかったた可能性があります。だから「思考能力が低下」「エゴの欲求に弱い」ということにつながります。これは恋愛教に限らず、ですけどね。

そうなるととにかく「後回し」「先延ばし」にする習慣がつきます。集中力や継続力、根気や能動的な忍耐(嫌なことの我慢ではない)を磨いていないからです。これらのトレーニングは、圧倒的に十代二十代の頃に行った方が有利です。

もちろん、今からでも間に合います。僕も偉そうなこと言っておきながら、確かに若い頃は夢を追っていましたが、頭の中はエロいことでいっぱいでしたからね(笑)。だから大人になってから、メンタルとか、精神世界をあれこれ探求しつつ、男磨きをしているのでございます。

恋愛教に限らず、とにかく大事なことは、
・自分の人生を考える
・自分に必要なものを考える
・自分に今できることを考える

その上で、
・自分が本当にやりたいことを考える。
・自分の思う「理想の自分」を描く

ことです。

理想の自分、というところまでイメージがたどり着けば、あとはそのためにやるべきことは自ずから見えて来ますし、そこに向かう途中のすべての「失敗」や「困難」は、ただの“過程”になります。あくまでも、理想の自分を実現させるためのプロセスだと割り切れば、反省はあれど、落ち込みにくくなります。

自分のことを徹底的に考える。「内観」することがとても大事です。

僕もサークル「探求クラブ」において、「瞑想」「祈り」「内観」を柱に立てています。それほど自分のことを考える時間が必要なのです。悩んでもくよくよしてもいいです。ただ、徹底的に自分のことを考えた方がいい。

特に現代人の多くがSNS教、スマホ教となり、思考をそれらに明け渡している状態なので、まずは自分を取り戻すことから始めましょう。自分で自分のことを考えてみるのです。

思考、肉体、そしてハート。我々はこの三つできています。

しかし、今後は肉体はロボットが担うようになり、思考がAIが担うようになり、ハートという「感情」も、誰かから与えられた価値観を刷り込まれてしまったら、

あなたという人間はなんなのですか?

すでにその計画は始まっていますよ?あなたは人間として、生命として生きますか?誰かに生かされますか?

〇〇教にハマってる場合ではございません。まずは「自分教」におなりなさい、ということです。

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