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探求文庫  20〜23

2021年の8月から始めたnoteサークル(現在はメンバーシップという名称に変更されたけど、サークル(輪)という言葉が気に入っている)、「探求クラブ」内での「探求文庫」。

探求クラブ内でも、「過去記事が全部掲示板をスクロールしてさかのぼるので読みづらいとご指摘をいただき、マガジンにまとめることにしました。(こんかいは12
〜15の4つです)

過去のもので、途中まではメンバーでない方も読めるようになっています。もしご興味ある方は、掲示板を読める「探求読書コース」もあります。

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探求文庫 20 手の感性を磨く

我々はついつい「何ができるか?」を重視しますが、その前に「何を受け取るか?」です。
以前もどこかで「センス(感覚)」の話をしましたが、まずは受信です。受信機の精度が低いと、どんな膨大な情報がこちらに向けられていたとしても、それをキャッチしなければ、何も入ってこないのです。すべて素通りしてしまいます。

なので自己探求をするためには、感性を開いて行く必要があります。
これは「超能力」の類ではなく、本来なら誰しも持っている感覚機能です。現代社会はこれらの感覚を閉ざす教育であり、閉ざすことにメリットがある社会構造なので、多くの人がこの感性を閉ざしています。

感性を磨き、感覚を開く方法は色々あります。それこそ「アート(芸術)」的なものを味わうのも感性を磨く方法ですし、実はなんでもいいのです。「何をやるか?」ではなく、「どんな意識でやるか?」「どんな風にやるか?」「どれくらいやるか?」です。
それともう一つ大事なポイントとして「人と比べない」です。他の人の進捗具合を知ったところで、ほとんど意味はないどころか、そちらに意識を奪われたり、嫉妬したり、逆に優越感を持つのならば、むしろ探求の歯止めとなるでしょう。

簡単なワークを紹介します。僕がよくやる「感覚解放」のためのワークの一つです。先に言っておきますが、かなりマニアック&意味不明だと思います(笑)。しかし、「分かりやすさ」ではなく「分かりにくい」ものに自分の心をアプローチすることって、自分の感覚を研磨している時です。

ではまず、体の正面で合掌。両手を合わせます。
つぎに、目を閉じてから、2、30センチ、その手を離します。
そしてゆっくりと、手を合わせに、両手をまた体の正面で出合わせようとします。

しかし、右手と左手が、触れてはいけません。2センチほど手前で手を止めます。
それくらい手が近づくと、両方の手それぞれが、それぞれの気配や存在感、温度を感じると思います。
では、次の今の距離の半分の距離に詰めます。1センチほど。目を閉じているので、あくまでも感覚です。
そしてさらに半分の距離を詰めます。ここまで来るとかなり手と手は接近します。
目を瞑ったまま、体の距離感覚と、右手左手それぞれが感じる感覚だけで、ギリギリの部分で、手と手が触れ合わない場所で寸止めするのです。
しばらくその状態をキープします。深い呼吸をしながら、その距離がしっくりくるまで続けてください。

ここが肝心です。ギリギリの手と手の感覚に集中しながら、寸止め。

しばらくしたらさらにその半分、距離を詰めます。
もう、触れるか触れないかギリギリです。そしてまた、その距離をキープ。しっくりくるまで続けてください。何分でも、何十分でも、何秒でも構いません。しっくりくるまで、です。
そしてまた、手を近づける…

もしもどこかで手と手が(もしくは指と指が)触れてしまったら、またやり直します。
手と手の距離を離し、またゆっくりと近づけて、1センチで止める。
そしてまた、半分に詰める…。

これは必ず手と手が出会います。数学的パラドックスとして、半分を半分、そのまた半分、半分、と、永遠に出会わないこともできるのですが、現実は違います。

このワークで大事なことはなんだと思いますか?どうしてこんなことやると思いますか?

僕がここで「このワークをやると〇〇になります」と言うのは簡単ですが、それではただの「マニュアル」であり「テキスト」です。それでは“探求”ではなく、「設問と回答」を見せてもらっただけです。それはなんの探求でもなく、自分を越える、意識を突破する要素はそこに何一つありません。(残念ながら、世の中の自己啓発やスピリチュアルのほとんどが、テキスト形式なのですが…)。

手と手を合わせながら、ぜひぜひ感じてみてください。考える、そして感じる、味わう、また考える…。その中で、ご自身の中の答えが生まれます。ぜひやってみてからシェアしてください。シェアすると、またしばらくしてからその答えは変化します。でも、それでいいのです。

手と手。この感覚を鍛えることで、様々な感情が磨かれるとだけ言っておきましょう。手は「神の御手(みて)」なのです。本日のオンライン瞑想会の「手のひら瞑想」と共に、神の御手を心がけましょう。


探求文庫 21 “感動”について

感動していますか?僕は最近毎日映画を見に行っていて、様々な感動があります。今のところ、良い映画ばかりに当っています。

人生には「感動」が必要です。我々はある意味この世界に、感動するために生まれた、とも言えます。

しかし、感動の度合いやポイントは人それぞれです。しかし我々は「感動の感覚」ですら、与えられたもの、植え付けられたもの、刷り込まれたものの可能性が高く、以前も話しましたが「この夏一番泣ける映画!」という広告されるように、感動を煽られ、心理トリックのような感情のギャップと揺さぶりを「感動」とさせてしまうことは少なくありません。

この感動も、確かに感動なのですが、一体それは“本当の感動”なのでしょうか?自分のハートからやってきたものなのでしょうか?

世の遊び人の男で、女達者というか、プレイボーイの男の常套手段でも、
「はじめにちょっと怒らせたり、嫌なことを言った後に優しくする」
という口説きテクニックがあります。(僕は使ってませんよ!笑)

これって要するに「ギャップ」です。
数値化してみましょう。

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