探求文庫 #144 「わからない」って素晴らしい
先週、京都で「vision 2」のセミナーでも話したんですが、とにかく「わからない」ってことは悪いことじゃないんです。
今日は「わからない」ってことの重要性について書いていこう。
何か新しいことを学んだり、新しい情報に触れると、しばしば「わからない…」という感覚が出てきます。
セミナーやワークショップなら、講師の言うことが理解できない、ってことですね。学校の授業なら、わからないなら先生が「答え」を教えてくれるかもしれないけど、「心」とか「精神」「人生」となると、明確な正解なんてないですから、「わからない」のが当然と言えます。
ちなみに講師たるべき人は、自分の中で、自分自身の指針や答えは持っているでしょう(じゃないと人に伝えれない)。でも、精神的なもの、内的なものはセンシティブだから、人それぞれであり、各々が見つけ出すものですから、いくつかのアイディアや実証例を示すことはあれど、答えは教えることはできっこありません。
同じように、書籍でも、芸術鑑賞でもそうですね。
その作品が良いとか悪いとか、正しい間違ってるとか、それ以前に「わからない」って感覚ってあると思います。
そんな当たり前の「わからない」なんですが、いかんせん人は“わからないと不安”になるんです。人は「解りたい」んです。理解したいんです。納得したいんです。そして不安を失くし、安心したいんです。
で、ここで大雑把に2つのタイプに分かれるようです。
・わからないからこそ、理解しようと模索してみる。
or
・わからないってことは、自分には必要ないと判断する。
後者は、それで終わりです。しかし、その人の人間性や性格によっては「わかりずらいものは品質が悪い」と決めつけて、批判をしてしまうケースも多々あります。
芸術なんてそうですね。自分が「わからない」作品に出会うと、それを「良くないもの」と思ってしまい、むしろ批判的になる人っています。
僕もかつて、ロックミュージックしか聞かなかった頃は、
「クラシック? モーツァルト? はぁ?カビの生えた音楽だろ?」って時期もありました(笑)。
ジャズとかクラシックとか、まるで良さが理解できず、自分のモノサシで測れないものは、「悪くないにしろ、対して”良くないもの”なんだろう」くらいに思ってました。
もちろん、そんなはずなく、後にその良さを理解し、かつての自身の見識の無さ、つまり自分のモノサシが小さかったことを恥じる始末です。そしていまだに、全てを理解してないということを理解しています。
でも、「わからない」から「わかる」に移行する時に何が起きたのでしょう?
ちなみに、僕の例で例えると、「クラシックを理解しよう!探究しよう!」という気持ちはなかったんです。でも、「音楽全般」としては探求していたし、色んな音楽に触れて、広さと共に、ひとつひとつに「深さ」を求めていった。
その深さがある段階に行った時でしょうか? クラシックに限らず、音楽全般の聞こえ方が変わりました。モノサシが大きくなったのです。
音楽だけでなく、色んな物事に対しての見方や理解が変わりました。
少なくとも「わからない=悪い」というような、安易な結論は出さなくなりました。誰かが一生懸命表現したもの、歴史的に残っているものは、必ず「何かある」ということを知ったので、興味があれば調べたり、何度も確かめようとしてみました。
ここで重要なポイントがあって、僕は「わからない」ということを許したし、認めたってことです。
「開いた」という表現がぴったりかもしれない。良いとか悪いとか決めつけたりせず、わからない対象に対してオープンになったのです。
批判して決めつけると、それはシャットアウトなんです。それ以上の情報は入ってこないし、別の表現で例えると、仮に情報は雪崩のように降り注いでいても、それを掬い上げる器が、目の粗いザルのようなもので、網の目を全部素通りして、自分には何も残らない。
だから「繊細になること」です。繊細さは、網の目を細かくする作業で、素通りしていた情報(エネルギー)を掬い、自分の内面に入れることです。
「わからない」って感覚はとても大事です。初めからなにもかもわかってしまう人なんていません。初めはわからない。でも、それと向き合ううちに、段々と掬いとれるようになってくるんです。
だから、まずは「わからない自分」を認めるってことです。わかった気になって判断しないことです。そしてその「わからない」に対してオープンでいましょう。
「わからないから、入ってくる」
というのが真理です。わかってる人には、それ以上入りません。
物事は何事も突き詰めれば繊細だし、深いものです。だから「俺はもうわかったよん」なんて言ったらそこで終わりで、常に好奇心と、素直な心を開いているといいですね。
さて、ここからはさらに具体的な話です。
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