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「肩書」や「フォロワー数」の力と、「SNS」や「自分との繋がり」について。

話題のSNS、clubhouse。

なんだかんだ言って、俺も観察がてら、知り合いのルームに入ったり、自分がroomを立ち上げたりしてる。本日も22時から、初めてスケジュールを組んでみた。

2月12日のオンライントークライブの前哨戦で、遊びがてら、clubhouseの実験がてら、二人で軽くおしゃべりしようと思う。こちらはアーカイブも残らないので、リアルタイムのみだが、お時間合えばぜひ。パートナーシップは、人間関係の要であり、奥義である。ぜひ、一緒に考えていこう。デジタルがどんなに進歩しても、我々は肉体を持つ自然物であり、アナログな関係というのは無くならないからだ。

明日もやる。

ラジオ感覚+α、って感じかな。

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clubhouseに参加している人で、「ただいろんな人の話が聞きたい「有名人の生の声が聞きたい」という人たちもいるが、自身が何らかの発信者や、発信者になりたいと思う人たちが、「フォロワー集め」を頑張っているのがわかる。

とにもかくにもフォロワーを増やしたい。「フォローするから、フォローしてね」と、相互でフォローし合い、知り合いでもなんでもないのに、フォローしまくり、フォローされまくる。

これは他のSNSでも同じで「フォロワーの数」は、一種のステータスになっている。いわば「肩書」のようなものだ。

話が少し逸れるが、肩書ってほんとにこの社会では強いなと思う。

いつだか、俺のイベントで「瞑想」のレクチャーを受けた方(50代くらいの男性)が、えらく感動し、共感してくれた。そして、

「こんなにわかりやすい瞑想を教えてもらったのは初めてです!ぜひこの指導を私が関わっている企業の研修に取り入れたいのですが、やっていただけますか?」

と、提案していただいた。

「もちろん、瞑想を広めるためならなんでもやりますよ」と俺は答えた。瞑想は、むしろそういう思考を使いまくる人たちにこそ必要だと思っていたし。

しかし、その後彼から連絡はなかった。後から、その男性と親しい友人に「そういうば、〇〇さんに以前企業研修で瞑想指導やらないかって言われたけど、どうなったんだろう?」と尋ねると、

「ああ、なんかね、言ってたんだけど、ほら、ケンスケさん、資格とか肩書とか、社会的信用とか、そういうのがないから難しいんだってさ」とのことだった。

確かに、俺はインドで修行もしていないし、権威のある認定や資格もない(スピリチュアルに認定書があるのがいまだに謎だが…)、その時はまだ本も出版していなかった。

当然といえば当然だが、確かに俺には権威も肩書もないので、企業研修とか、そういう場になると信用0だったのだろう。瞑想指導の知恵や、講師としての能力以前の問題だ。

実は予想はしていたので、さほど期待していなかったので何も思わなかったが、改めて、この世界のシステムを思い知らせられた出来事だった。

話を戻そう。

フォロワーは肩書になる、ということについて。

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