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穴あきチーズに憧れて

昔、「アルプスの少女ハイジ」というテレビアニメに出てくる“パン”が、とても美味しそうだといつも思っていた。多分、ハイジを知ってる世代なら、なんとなく共感していただけると思うが、いかがだろうか?

そのパンと似たような形状のコッペパンが、近所のパン屋で売られていたので「ハイジパン」と呼んでいた。(ひょっとして意識していたのかもしれない…)

テレビアニメや小説もそうだが「食べ物」が美味しそうに見える、感じるって、それがアニメや文学として優れている作品の決め手とまでは言わないが、極めて“重要な要素”だと、俺は思っている。

食べ物の描写って、誰しもの日常に根ざしていることだからなのか、とてもリアリティがある。だから、食べ物や食べるシーンの描写が上手いと、自然とその世界に入り込める。

ハイジのパンの他にも色々あるが、取り立て『ジブリアニメ』シリーズは食べ物の描写が上手いと思う。

『天空の城ラピュタ』で、パズーがシータと洞窟で食べる目玉焼きと食パンとか、『ハウルの動く城』のベーコンエッグ。それらは、ありふれた、なんでもないものだからこそ、リアリティが生まれた。

いや、ありふれた食材でなくても、やはり「食」が、我々の日常にあるからだろう。ラピュタで、ドーラがむさぼり食らう肉の塊や、シータの作るシチュー(なのかな?)、『千と千尋の神隠し』で、千尋の両親が豚になるまで食べ続けた中華料理(あのブヨブヨしたなぞの食材はなんだ?)や、またハイジの話になるが、暖炉で炙るチーズとかも美味そうだった。

とにかく見ているだけで唾液が込み上げるような…。あなたはアニメを観て、そんな経験がないだろうか?

ハイジのパンや、ラピュタの目玉焼きやらは、手に入るものだったが、俺の中で忘れられないのが『トムとジェリー』に出てくる、“穴だらけのチーズ”だ。

ジェリーの大好物の穴あきチーズ。トムとの争いの要因の多くに、ジェリーが盗んだ穴あきチーズの存在があった。

俺が子供の頃は、チーズといえばベビーチーズかスライスチーズしかなくて、カマンベールチーズすら見たことがなかった。なのであの穴だらけのチーズは「チーズ」とアニメの設定上は心得ているものの、未知なる食材であった。

「ねえ、なんでジェリー食べるのチーズは穴が開いているの?」

ある時、あまりに普段見慣れたチーズと見た目が違う事から、そう親に尋ねると、

「発酵しているからだよ。外国のチーズで、そういう種類があるんだ」

と説明された。

そのチーズを食べてみたかった。いや、見るだけでもよかった。しかし『外国のチーズ』という言葉の響きに、幼い俺は諦めるしかなかった。でも「大人になったら絶対に食べるんだ!」と、思っていた。

しかし、俺は42歳になった今でも、時々、熟成したチーズの中に、ぽつっと穴が空いてるチーズを見たことは何度かあるが、トムとジェリーに出てくる、まるで“虫食い被害”でも受けたかのような穴だらけのチーズには、ついぞお目にかかったことがない。そして、あの時説明してくれた両親も、そのチーズを見たこともないだろう。

(ちなみに、これを書くにあたりググってみたところ「エメンタールチーズ」という種類が、一番それに近い。その穴を「チーズアイ」と呼ぶそうな。でも、やはり見たことないなぁ…)

チーズの話ばかりだったが、俺は『トムとジェリー』のアニメは大好きだった。主に再放送の番組を見ていたが、いつも観ていた。

面白いし、笑えるシーンも多いし、毎日のように観ていたが、実はいつも俺はこう思っていた。

「ちょっと…、やりすぎだよ…」

もちろん、トムがいつも悪い、というか、悪役だ。ジェリーは、最初は被害者であるが、狡猾な知恵を使って、悪者のトムを懲らしめる。

面白おかしく懲らしめるのと、あくまでもトムの「自業自得」という話なので、ジェリーに大義名分はあり、トムを弁護することはできない。

しかし、過剰防衛すれすれだ。アニメじゃなかったら確実に殺している。猫殺しのジェリーだ。

だから、俺はいつもどこか釈然としない、なんだかいたたまれない、胸が苦しくなるような、不快な気持ちも覚えていた。

で、あなたはトムとジェリーを知っているかな?あなたは俺の意見を聞いてどう思うか?

幼い頃に、兄に「トムがかわいそうじゃない?」と聞いたら、

「は?なんで?」と返された。まったく俺の気持ちを理解できないようだった。母に同じことを言っても「だってトムが悪いからねぇ。仕方ないのかもね」と言われた。

(あれ?俺の方がおかしいのか?)

と、そう思ったが、いつだか妻に聞いたら、

「私もやりすぎだと思う。だから時々嫌になった」

と言っていた。なるほど、同じように思う人もいるわけだ。

これは大人になってから観たのだけどれど、ディズニー・アニメの『チップとディール』の「ドナルドダック」に対する仕打ちも同じようなもので、過剰防衛すれすれだった。仕返しにも程があると思ったし、中にはドナルドは何もしていないのに、一方的にイタズラを仕掛ける話もあり、かなり不快な気持ちになった。

多分だけど、俺の兄や母はともかく、「悪いやつ相手に何をやってもいい!」という、勧善懲悪の世界観って、欧米的なのかもしれない。

古来から宗教戦争があるように、神の名の下なら戦争でも人殺しでもやっちゃう価値観。

それに対して「まあ、彼も反省するだろうから勘弁してあげよう」なんて言うのが、日本人的なのだろう。「甘い!」と欧米人は思うのだろうか?

ひょっとして、欧米的価値観を日本人に植え付けるためにしつこく報道していたのでは?なんて今では思うし、正直なところ、和洋問わず、子供にそういう勧善懲悪な価値観を浸透させるって、あまり教育上良くないような気がするが、どうなんだろうね。

まあ、うちの息子も小さいときは結構好きで、我が家もDVD借りて見ていたから、俺に今更、トムとジェリーで教育がどうのこうの言う権利はないがね…。

気分が悪くなりつつも、どこか「爽快」な部分も感じていたのは事実だ。やはり、悪が打ちのめされるというのは見ててスカッとする何かはある。おそらく、そうやって人は何かに自分の欲求を代弁させて、自分の正統性のようなものを感じることで快感を得る生き物なのかもしれない。

ただ、あのアニメの非常の優れた点があった。それは「無声」だったということ。

言葉がないのだ。叫び声と、たまに出てくるトムの飼い主が喋るくらいで、あとは全部動きと仕草で、視聴者に「想像」させながら物語が進む。

あれって、すごく想像力を鍛えるのに役立つと思った。

しかし、息子に見せていたと上記したが、その「優れた点」が、今はないのだ…。

10数年前から、トムもジェリーも“声を出して喋る”ようになってしまった…。驚いた。喋る二人の争いは、観ていて全然面白いと思えなかった。

ちなみに、ウルトラマンですら今は喋る時代だ。それもショックだった。俺の知ってるウルトラマンは「しゅわっ!」とか「シャー!」とか「ぐわっ!」くらいしか音声を発しなかったのだ。

今の時代は、動きや仕草やストーリーで理解し楽しむのではなく、1〜10まで説明しないとわからないのだろうか?無言の中で、彼らの心理描写を想像しながら楽しむことはできないのだろうか?

こうなると、まさしくただの勧善懲悪ストーリーそのもので「悪人に対しては、善は何をやっても良い」という価値観が優先しそうで、やはり途中から息子にも見せるのが嫌になった。

今、567騒動から、陰謀論と言われてきたものが、陰謀ではなくなり、現実感をまして、黒歴史が明るみになってきたが、ほとんどの都市伝説や陰謀論系のメッセンジャーが、「悪い奴らを叩きのめせ!」的な考えになっていると思う。

これって、何度も書いているけど危険なことだ。なぜなら、与えたものが還ってくるからだ。戦いは戦いを呼ぶ。

上にも書いたが、自分が正義と化して、悪を懲らしめることに「快感」を見出す心理を、人は持っている。しかし、その心理の底の動きを悟らないと、ものすごく危険な事だと思う。

もちろん、自分が何らかの不当を被っていることに対して、ただ指を加えてなんでも大人しく言うこと利けってわけじゃなくて、意思を明確にしたり、意見を言うのは大事だ。でも、戦いはやめよう。

優しい時代を作っていこう。作るのは、我々だ。誰かがやってくれるのではない。自分たちでやる。まずは、自分から始める。

平和な気持ちで、穴あきチーズを楽しめる日が来ることを祈っている。そして今も、穴あきチーズに密かな憧れが、少しだけある。



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言葉の力で、「言葉で伝えられないものを伝える」ことを、いつも考えています。作家であり、アーティスト、瞑想家、スピリチュアルメッセンジャーのケンスケの紡ぐ言葉で、感性を活性化し、深みと面白みのある生き方へのヒントと気づきが生まれます。1記事ごとの購入より、マガジン購読がお得です。

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