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「力を抜く」「癖を取る」 ー山と瞑想の日々ー

先日、21日に、
『声』 女性性をひらく、巡る音楽“音体験”
という、「声」と「唄」「音楽」のイベントを行いました。

アコースティックの弾き語りLiveというスタイルだけど、ゆったりと、お話しをしたり、無伴奏で「カタカムナ」を詠唱したり、日本の伝統的な音階の唄や、

この会場はピアノもあったので、ピアノで「アヴェ・マリア」などの弾き語りもしました。

参加された「探求クラブ」のメンバーからの感想のブログもぜひお読みください。

また定期的に行いますが、次回は27日(土)大阪です。2名、キャンセルがあったのでまだお席あります。10月に、都内でまたやると思います。

さて、「山と瞑想の日々」なのに、なに音楽の話してついで自分の宣伝してんだこのやろー!と思った方もいるかもしれません、どうぞそういう時はコメント欄に容赦無く罵詈雑言を書いていただいて構いませんが(無視すると思いますが笑)、僕にとって「歌う」という行為は、「山」ととてもつながっているんです。

それがタイトルにもある「力を抜く」ってことです。そして「癖を取る」ってこと。

歩く、という行為には非常に大きな意味がある。そもそも、人間が人間たる理由のひとつとして「二足歩行」がある。

まともに考えればわかるけど、バランスを取るには3本以上の足がないとならない。2本脚の椅子とかはないし、自転車やバイクのような二輪の乗り物も、走っていると慣性の法則やジャイロ効果などの物理法則が働くから倒れないのであって、人間の2本脚で「歩く」、そして「立つ」って、これってすごいことだ。

「歩く」という行為は奥深いけど、もしも惰性だけでの運動ではなく、本当に「歩く」ことをやるのなら、我々は、歩けば歩くほど、人間になる、と言っても過言ではない。

特に山で歩くって、平地を歩くのとまったく勝手が違うのはもちろん、舗装されたアスファルトや、コンクリートの床より、剥き出しの大地を歩く方が何かと注意が必要になる。

どうして街が舗装され、家の中はフラットな床を造られているのか?答えは簡単です。

便利だから!

だって、ガタガタの道より、平の道の方が移動が歩きやすいし、特に車輪などは平地でなんぼでしょう。家の中だって傾いているより、真っ直ぐがいいでしょう。

それは素晴らしいことだと思います。人間の生活を便利にして、効率を上げ、生産性を高める。

しかし、僕は気づいたことがある。

人間って、楽をすると「」がつく。

これは、体の癖、感情の癖、思考の癖、すべてだ。楽をして、いつも一辺倒になったり、過去のデータでやりくりしたり、要領良くやればやるほど、固定されてしまうものがある。それが「癖」だ。

なくて七癖、なんて諺があるように、我々は「癖でできている」と言ってもいい。

「人は習慣でできた織物だ」と、スイス人の詩人の名言があるが、この「習慣」も、そのまま「癖」と言える。

癖はその人の個性にもなりうるけど、その個性が往々にして、自分の可能性を狭めている。不自由にしている。

僕らが本当にエネルギッシュに、宇宙の一体となって生きるには、「本来の自己」であればあるほど、生まれ持った、魂からの自分で生きて輝けるけど、物心ついてからずっと、「生活」があり、その「やり方」重視で生きてきたので、癖そのものが「わたし」だと思ってしまってる。

しかし、その「わたし」では、宇宙と一つになんてなれっこない。

魂を生きれないから、何をやっても満足感がなかったり、充実感がなかったり、不足感が付きまとう。

だから、癖は一つの個性として持っていてもいいけど、自分を阻害する癖はできるだけとった方がいい。

もちろん、思考や感情は「気づき」が最も重要。だから「瞑想」や「内観」によって、心の癖に気づき、気づいたら手放していく作業に入れる。

しかし、体の使い方の癖を取ることで、心と体は連動しているから、体の癖がとれると、思考や感情の癖が自然ととれるようになる。

単純に、骨盤周辺に無駄な力が入りやすい癖を持つ人は、骨盤がしまっている体になり、頭蓋骨も締まってイライラしやすい。でも、骨盤が緩むと頭蓋骨が緩み、思考が穏やかになり、感情の飲まれる前に、自分の瞬間的な変化に気づけたりするようになる。

だから、体の癖を取るって、とても大事だ。

ここで冒頭の「歌」の話になるんだけど、どうしてそれが「歌」とつながるかと言うと、発声とは、いかに「癖を取るか」ってことが重要になる。

僕はかつて、ゴリゴリに力入れまくって歌っていた。だから、歌を歌うと体力的にとても疲れていた。筋トレするようなものだから。しかし、それが逆に自分の声を詰まらせていたと気づいてからは、いかに「抜く」かを重視している。

力を抜けば抜くほど、声は出るようになった。しかも疲れなくなった。

だから歌うこと自体は、僕にとってちっとも体力的には疲れる作業ではない。小さな子供を見ればわかる。もっと言えば赤ちゃんとか、1日中大声で、しかもびっくりするくらい通る声で泣いても、喉がれしたりすることはない。

本来、僕らの「声」ってそういうものだ。

探求クラブメンバーにしか提供してないけど「調う」というヒーリングのようなものがあって、90分間、少人数を「音」を使って浄化し、調えるんだけど、60分は休みなく声を出し続ける。でも疲れるどころか、声を出せば出すほど生命力が湧き、自分自身も調う。

癖がある、というのは、無駄な動きをしているということでもあるので、本来の自己である、宇宙から生まれた自分の動きや、声ではなくなるので、癖をとり、宇宙から生まれたまんまの自分として表現することこそ、良い表現になるし、それが目の前の人の宇宙にも届くと、僕は思っている。

歩く話に戻るけど、山を歩くと、登ったり降りたりしていると、クセのある動きをしてたら、とても疲れる。無駄な力が入ってるからだ。

膝とか腰、股関節を痛めるのは、体の癖だ。あとは右半身、左半身と、あまりに偏った疲労を感じるもの癖だ。

だから、そうならないように、常に自分の体の声を聞きながら歩く。

もちろん、1日やったからと言ってとれるもんではない。癖って「何十年」もかけてつけたものなので、取るためには年単位でやる覚悟がないと無理だろう。

だけど、その一歩が確実に、あなたの人生を自由にする。

歩くという行為の中に、それは発声する時の体の使い方はもちろん、日常のあらゆる所作や動作、もっと言えば生き方そのものが現れてるので、歩くことで癖をとり、力を抜き、宇宙から生まれた自分を体現することができてくる。

だから、歩こう。できるなら、土の上を。そしてできるなら、山道を。


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☆ LIVE予定。
8月27日(土) 『声』 女性性をひらく、巡る音楽“音体験”  大阪 残2名

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☆ Youtube アーティスト・チャンネル 新曲「八月の夜」


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