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天国に行くために…


先にお知らせ。1月26日(日)人生をひらくエネルギープログラム。残席5名ほどです。目に見えないエネルギーを体感し、繊細さに目覚める1日です。合同神社参拝あります。


さて、先日まで一人で旅行していた、タイの北部“チェンマイ”には少数民族が住んでいる。彼らは「タイ人」というより、実はミャンマーからの難民だ。難民キャンプとして、政府で保護しているが、土地から出ることはできず、昔ながらの暮らしをしながら、民芸品を作って売ったり、あとは観光客相手に、半分、自分たちを見世物にして、生活をしている。

ほとんどが村から出た事がなく、外の世界のことはまるで何も知らない。観光客がやってくることだけが、唯一の情報源だろう。テレビなどのメディアはもちろん、電化製品はなく、学校もない。男は7歳から軍事訓練を受けるために、軍隊に強制的に入れられる。なので村はほとんど女しかいない。

我々の人生は「選択の連続」だと思われるが、彼女たちには選択肢そのものがない。なぜなら、情報がないからだ。“知らない”、というのは、そう言うことだ。我々は、知らない世界は選択できない。

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仏教などでも「無知」は、罪だとも言われる。無知故に、自己成長できない。世界が拡大しない。我々は量子力学的見地においても、我々自身の意識が世界を、そして人生を作っているので、意識にないものは創造されない。『創造の前に、想像ありき』、なのだ。

ところで、youtubeでも、旅の様子をアップしている。

これは「その4」だが、後半に、この旅で感じた、受け取ったメッセージを伝えている。ちなみにページ説明を開くと、1〜3のリンクがある。

さて、この首長族に対して、案内してくれたガイドさんは「かわいそうだ」と言っていた。俺も、それは思うが、俺の思う“かわいそう”と、ガイドさんのそれとは、意味が違う。
彼女たちは、そもそも「他の世界」を知らないのだから、他と比べることもわからない。だから自分たちの現状を、幸福とは思えなくても、不幸だとも思えないのでは?
「〇〇になりたい、なのになれない!」という想いから、人は不幸や痛みを感じるが、その「〇〇」に相当するものがなければ、実は苦しみではなかったりする。

例えば今の時代に、日本で貧困になったら、それは辛いし、悲しい。
俺も中学生の頃に、本気で家にお金がなくて、食べるものに窮した時期があった。辛かった。でも、大人になってからそんな体験談を職場の先輩に話したら「戦後の日本なんてもっと大変だったんだよ?お前の貧乏なんて大したことないよ」と、したり顔で言われたことがある。
その男は今思っても哀れなほど無知だ。なぜなら、戦後は「全員貧しい」のだから、そんなに辛くないのだ。家族親戚友人教師。みんな食い物に窮して、ボロ切れ着てたら、「そんなもんだ」って思うに決まってるだろう。もちろん、「幸福」ではないだろうがね。なぜなら「お腹いっぱい」という体験は知ってるし、「お金持ち」という存在がいる事は知ってるから。でも、今の日本で味わう貧困と、戦後の貧困はまったく種類が違うということはおわかりいただけただろうか?

さて、首長族は有名だが、「耳長族」と呼ばれる人たちもいる。

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