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男の性と、女の性

先にお知らせ。今日です。*終了しました。

そして、明日です。*終了しました。

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コラムスタート。

一つの“リンゴ”が在ったとしよう。形の整った、綺麗な形のリンゴを想像して欲しい。

それを、鋭利な刃物で、スパッと、ど真ん中を両断し、真っ二つに分けたとしよう。これで「一つのリンゴ」から、「二つの(切り分けられた)リンゴ」になった。

こうして「一つ」のものは「二つ」のものになった。

我々には性別がある。今、これを読んでいるあなたは、男かもしれないし、女かもしれない。つまり、片割れ、だ。本来、我々は一つの存在だったのだ…。

真っ二つに、綺麗に切り分けたリンゴを、元の形に合わせると、まるで、もともと存在していたかのような、一つのリンゴと、パッと見わからないだろう。二つが同じくらいの大きさで、同じくらいの重さで、切断面がはっきりしていれば、それは合わせやすいし、どちらがどちらかわからないだろう。

しかし、人間の男と女は、そうなっているだろうか?

あなたとパートナーや、彼氏、彼女、なんでもいいが、あなたという片割れと、対を為すはずの片割れが合わさって、一つになることはできるだろうか?綺麗に切り分けたリンゴのように行かない。

いびつな形に砕けて割れてしまったリンゴを想像してみるといい。その二つを合わせることって、なかなか難しい。そして、人間の男女は、いびつに割れたリンゴよりも、はるかにいびつだ。

肉体的な形状が違うのはもちろん、いろんな部分が違う。なんで違うのか?と、聞かれても、「ただ違う」として言えない。とにかく、違う形状、性質、性能、形態、用途、様相なのだ。

我々は、自分が「片割れ」だと知っている。だから、半身を求める。しかし、その半身と身を重ねても、一つになれたような気がしても、一つじゃないと知り、一人でいた時よりも、二人の「繋がり」を中途半端にしってしまったせいで、さらに激しい絶望感すら感じる。

さて、何が言いたいのかいうと、男と女は「違う」と言うことだ。今までも、なんどもこのテーマについて書いてきたが、知れば知るほど、違うということを知る。

今回のコラムのテーマは「性」。とにかく我々はこの「性」によって、ドラマを生み出し、時に喜び、時に苦しむ生き物だ。何千年も、こうして男女のドラマを演じてきた。

俺はけっこう早い段階だが、「女のことはわからない」という結論に至った。それまでは、「女のことを理解したい」と思った。しかし、それは不可能だった。俺は男である以上、女を理解できない。なぜなら、“違う”から。

しかし、この“違う”という事実を受け入れたからこそ、楽になったし、逆に見えるものがあった。

だから、まずはこの「違いを知ろう」と、俺は提案したいのだ。それも、できるだけ面白く、楽しく。人は、違いがあるからこそ楽しいのだから。

違いを知る事で、自分を知る。そして、男女関係も、アップデートする。

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