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思い込みのキャンセル

“価値観”という言葉は正当化されているような聞こえだけど、こびりついて離れないという意味では思い込みにも似てるなと最近思います。結構やっかいだなと。


そもそも、本当にピュアな自分の選択によって形成された価値観ってどれだけあるのでしょうか。ほとんどないと思います。


良くも悪くも、外的要因に影響された価値観を、さも自分で選んだかの如く生活しているだけだと思うのです。


で、今最も伸ばしたいスキルのひとつが、一度思い込んだことをキャンセルする技術。


個人で思い込んだことも、集団で思い込んだことも。


できることは様々ありますが、いずれにせよ学ぶこと・学び直すことは必須です。そういう意味では、大人になってからの留学は、思い込みをキャンセルするために自分にとっては非常に良い機会でした。


ただ、続けることが肝なので、ここで安心してたらすぐ錆びるなと。


なので最新学習履歴を更新する日々にしていきたいなーとぼんやりと考えていたりします。


■なりたい自分の奴隷

この記事で以下のようなことを書きました。

植物って○○しなさすぎより○○しすぎで枯らすケースが圧倒的に多いらしいんですよ。水不足よりも水のあげすぎ、日光不足よりも直射日光のあてすぎ、肥料不足よりも肥料のあげすぎなどで植物は枯れると。

丁寧に一生懸命に植物を育てることは本来とても良いことだけど、『早く育ってほしい!大きく育ってほしい!綺麗に育ってほしい!』を押し付けて、やれ水だ肥料だ日光だをあげすぎると、枯れるきっかけに繋がると。

こう育ってほしいという気持ちが強すぎるあまり、あれこれ手をかけすぎる。そして期待通り育ってくれないことにがっかりしてしまう。

これは人間関係にも言えそうだし、子育てもそうかもしれない。自分自身との向き合い方として思い当たる人もいるかもしれません、『なりたい自分』があるから挫折するっていう。

『なりたい自分』ってのはかなり厄介だと思っていて、まさに刷り込まれた価値観で形成されている事が多いと思うんです。不純物がかなりの割合で混ざってそうだなっていう。


ぼくもそうです。自分のWillやWantは実際のところはどれだけピュアかと考えると、実はそのほとんどがキャンセルすべき対象なんだろうなと思います。


■事象に意味はない

本来、事象には意味はないです。


好きなことがある、好きなことがない。仕事が楽しい、仕事がつまらない。これ全部、特別な意味はないです。ただの事象です。


でもなりたい自分(もしくはならないといけないと勝手に思い込んでいる自分)の像があるから、それと乖離している事象に、自分が勝手にネガティブな意味を加えてしまう。


なので、最初の主張に戻りますが、いつのまにか刷り込まれてこびりついた価値観や、それによって知らぬ間に作られた『なりたい自分』から自由になることを考え続けると良いんじゃないかと思うんですよね。


ぼくの個人的なことを言うと、なりたい自分ではなく、作りたい作品に身を委ねている状態が、自分にとって良い状態です。


■とは言え、思い込みのキャンセルは難しい

ショックや衝撃のようなガツンと来る体験があれば、結構簡単ですが、そうではない限り、思い込みをキャンセルすることは難しいです。


自分の頭で考え続けながら、ぬるっとそれが出来る人は凄いと思う。


新しい環境に身を置くことは大きな効果がある(ような気がする)と実感しているので、バーチャルでもリアルでも、引き続き動いていきます。


また、ちゃんと時間をとって頭の中にあることを発酵させるという意味では、ブログで文章化する作業も役立つかもしれないと思ったりもしています。今回はそんな感じで。では。


作品の制作費に充てさせて頂きます!🙏