【小説】AI絵師が当たり前になった世界で:中編
前回のあらすじ:夢の中で会った絵描きに教えを乞いたら拒否られた。
「あ、あいつ……! 嫌な言い逃げしやがって!」
一方的に言いたいことを言い捨てて逃げるとは……! 小心者、ビビリ、口先だけ男! などと罵りながら寝起きの頭を掻きむしる。以前自分も似たようなことをしているなどは意識の外だ。
怒りが収まらなかった愛は、勢いよく身支度を整えると外へ飛び出した。目指すは図書館と文房具屋さん。
「まあこんなもんじゃない?」
満足気に頷く愛の前には、机に並んだ濃さの違う鉛筆、ペン、インク、万年筆、コピー用紙、そして図書館から適当に借りてきた『スケッチの描き方』『絵が上手くなるには』『鉛筆画のススメ』。これぞお絵描きラインナップである。
準備は万端だと鼻息荒く席についた愛は、意気揚々と万年筆を握った。なぜ万年筆かと言うと、格好良いからである。しかしあまりにも上手く描けないので、コイツ不良品か? という顔で鉛筆に持ち替えた。
しばらく静まり返る部屋にシャッシャッというドキュメンタリーでしか聞いたことがないような音が響く。
数時間後机に突っ伏した。深々と溜息をついたあと、例のスケッチブックを手に取ってパラパラ捲る。うーんうーんと悩んだ末、今日はそれを胸に抱いて眠ることにした。
リベンジだ。
*****
「私にきれいな線の引き方を教えてください」
土下座で現れた私が衝撃だったのだろう。私もまさかそんな想像通りにいくとは思わなかった。いつもより離れた位置でこちらを凝視する視線を感じる。
「絵の描き方は自分で考えるから、甲斐田……さん? にはその手伝いをお願いしたいなって」
『昨日の今日で切り替えが早すぎる……』
とりあえず警戒は溶けたらしい。野生動物よろしく徐々に近寄ってくる甲斐田に、愛はガバリと顔を上げた。
「何か私、全っ然描けないんですけど!?」
「ほんとにどうした」
何言ってるんだを通り越して心配気にすらなっている。しかし愛とてそれどころではない。
愛は絵が好きだ。好きなイラストレーターも居るし仕事にもしている。自分は描ける方だと自負があった。アマチュアのAI作家は山ほどいるが、それでも仕事にできる程度には普通の人より得意なつもりだった。
それがどうだ。愛はてんでお手本通りに描けなかった。人間は難しいからとりあえず物でもと思い、本に載っていたお手本のようにティッシュを置いて描いてみた。
結果は惨敗。
なぜだ。なぜこうも違和感があるのだ。なんだか線はよれよれだし陰影はきちんとついてないし机から浮いてるし手は真っ黒だし!
レタッチしたい。こんなの写真撮って加工したら鉛筆画風なんてすぐなのに。
ラフなら出来る。AIが吐き出した素材を組み合わせて調整しながら仕上げるなんてお手の物だ。しかしラフからどうすれば素材になるのか。
線一本引くのにこんなに時間がかかるとは思わなかった。
そんな心情を懇々と語っていると、甲斐田はしゃがんで未だにひざまずきする愛に目線を合わせた。
『お前、一体何が描きたいんだ』
「何……?」
『AIを使えば絵は作れるんだろう。だったら手描きでなんて何でそんな手間をわざわざ掛ける必要がある』
甲斐田は真剣に問い掛けていた。愛はしばらくぽかんとした後、弾かれたように叫んだ。
「私も描いてみたい!」
『あー、何を?』
「何でも!」
愛は真剣だった。完成まで手描きで描くなんて考えたことが無かった。しかし何時間も掛けて描いたティッシュ箱は、よれよれのガタガタで、とてもきちんとした箱の形になっていなかったが、それでもただの白紙だったそこに確かに存在していた。
自分が白紙のなかに空間を作っていく高揚感。
どんな角度でも、そこに何を描き足すも思いのまま。そこでは愛が神だった。
AIで作る作品が、神の作った空間を切り取ったツギハギなものだとしたら、手描きで作るものは隅々まで管理の行き届いた箱庭だ。
愛は自分の手が動く先から出来上がっていく世界に魅了されていた。
きょとりと目を瞬かせ、甲斐田はまるで珍妙な生き物を目にしたように愛を見た。その目が愛の顔を滑り、腕をなぞり、指先へと辿る。爪の間には落とし切れなかったのか鉛がついていた。
『何か描いてみたのか?』
「最初は甲斐田みたいにスケッチ?してみようと思ったけど、同じのばっかり描いてたら飽きてきて。甲斐田みたいに色々描いてみた。手とか、足とか」
『……描くの、楽しいか?』
「正直分かんない。全然思った通りにならないし、すぐ手は黒くなるし、鉛筆はすぐ折れるし、時間もかかるし大変だと思う」
でも、もう少し描いてみたい。
気がする、多分。それが楽しいかは分からないが、もっと上手になれば変わるだろうか。
今日も手に持っていたスケッチブックを眺める。厚さは1cmくらいある。昨日2、3枚描いただけでものすごく疲れたのに、これを全部埋める頃にはどれだけ上手くなっているのだろう。
下を向いている愛は、甲斐田が何かを確かめるように目を細めるのに気付かなかった。
『絵の描き方……いや、線の引き方、だったか? わかった、教えてやる』
「良いの?」
『良い。紙と鉛筆と、あとはモチーフか? ティッシュ箱でも良い。なんか出せ』
「えぇー……、どうすんの?」
『俺が知るか。気合だろ、気合』
適当だ。とりあえず目を瞑り、机の上に放置したお絵かきセット一式を思い浮かべてみる。出ろ〜、出ろ〜と念じていると『おっ出てきた。まじで夢の中なんだな』とやけに感心したような声がした。目を開けるとちゃんと想像した通りの一式だ。鉛筆の先すら愛が削った通りである。
「まだ信じてなかったの?」
『信じないだろ、普通』
どれどれ、と鉛筆を手に取る甲斐田は何故か上機嫌だ。にまにましながら鉛筆をくるりと回して濃さを確認している。本当に絵を描くのが好きなんだなと眺めていると、半笑いの甲斐田がこちらを見た。
『お前、鉛筆削るの下手すぎだろう』
「仕方ないじゃん! 初めてやったんだから」
『大体なんで鉛筆なんだ。こんなのシャーペンで良いだろう』
「えっ、そうなの」
『まあ、鉛筆でもいいけど。面倒くさいだろ』
あのしきりに折れる芯を、慣れないカッターで指を切らないよう怯えながら、ひたすら削る作業はなんだったのか。愕然とする愛と、妙に楽しそうな甲斐田はその後鉛筆の削り方を教えてくれたりシャーペンを取り出したりと、お絵描き道具の話で盛り上がった。その日は結局何も描かなかったが、愛はひどくわくわくしていた。
*****
愛はシャーペンを手に唸った。適当な所で仕事を切り上げ、眠りにつくまでの数時間。その最初にまずはこれをやれと言われた甲斐田の宿題。
延々と書き連ねたただの線と、その隙間を埋めるように大小様々に描かれた円。
「…………」
後半は眠気で酷いことになっているが、とりあえず言われた通り10枚分描いた。初めて絵を描いた時の喜びはどこへやら。眠気のまま突っ伏したい衝動に駆られたながら、愛はさっさと片付けベッドに入った。
「全然楽しくないんですけどぉ!?」
開口一番絶叫した愛だが、甲斐田は指で耳栓して何のそのだ。
『きれいな線を引きたいと言ったのはお前だろう』
「でも!何かもっと色々あるでしょ! 何か!」
『無いね。少なくとも俺は知らない』
憮然とした愛を冷めた目で見る。その顔は嘘をついている感じでは無かったので、正直適当な事を言われたんだと思っていた愛は若干トーンを落とした。
「こんなんマジで修行じゃん」
『まあ、絵を描くのも基本は腕の筋肉が必要だからな。筋トレみたいなもんだ』
「絵描きが筋トレ……」
違和感しかない言葉の組み合わせに愛が変な顔をしていると、甲斐田は笑った。
『お前、所詮インドアだと馬鹿にしてたろう。言っとくけど絵を描くのは筋肉がいるし、長時間の作品制作は集中力が必要な体力勝負だ。お前が思ってるよりかなり大変なことだぞ、絵を描くってのは』
愛は顔を顰めて唸った。したり顔の甲斐田が鬱陶しい。暫くもにょもにょと何か言いたそうに口を動かしてみたが、何も聞いてくれないので観念して口を開いた。
「もっと楽しい事から教えてください……」
『わがままなやつ。まあ、俺もそんなの滅多にやらないけど』
バッと勢いよく顔を向けた愛に苦笑して、どうどうと手のひらを向けてくる。馬鹿にしている。
『描いてりゃ自然と筋肉はつく。お前はお絵描き初心者だから、まずは普通に絵を描いてりゃ描いてるうちに線は段々綺麗になる』
言葉に出来ない愛が、餌を求める魚のようにはくはくと口を開け閉めする。『きれいな線の引き方を聞いてきたのはお前だろう?』にやりと笑う甲斐田が腹立たしい。
本気でムカついている愛に気づいたのだろう。甲斐田はふざけるのを止めて苦笑に変えた。
『絵を描き始めたばっかりなんだ。今は線の引き方がどうとか難しいこと考えなくていい。とにかく沢山描いて、なんでもやってみたら良い』
とりあえず今日はこれを描くか、と昨日の妙なハイテンションで出したモアイ像を二人の間に置いて、甲斐田も紙と鉛筆を拾った。促すようにこちらを見る目が妙に優しげで、何だかそわそわしてしまう。
それからは二人して取り留めもないことを話しながらモアイ像を描き続けた。最終的に顔からはみ出る程のゲジ眉になった甲斐田モアイと、何故か妙に口角が上がり微笑んでいる愛モアイが完成して、二人で腹がよじれるほどゲラゲラ笑った。
*****
「このペンすごい描きやすーい」
文房具屋の試し書きコーナーでぐるぐるとペンを動かす。ついでに妙に手に馴染んでしまったデフォルメしたゲジ眉モアイも描いておく。
最近の愛は古本屋を巡りながら文房具屋を見つけるとつい入っては、ペンやらノートやらを漁ってしまう癖がついていた。まだまだはじめに買ったコピー用紙すら無くならないが、スケッチブックというのは何だか憧れがあるのだ。絵を描く人っぽくてテンションが上がる。
「白黒ばっかりじゃなくてやっぱり色も塗りたいよね。水彩は何だか大変そうだから……カラーマーカー? これかな?」
片側が太めのブロック型で、もう片方の細いほうが筆のようにしなるカラーペンを手に取る。12本セットのそれは、マーカーにしては少し値が張るが、塗り絵用と描かれているのを見るに普通のマーカーとは違うのだろう。
色の種類もなんでこんなにというくらい色々あるが、よく分からなかったのでそのままセットにされたペンを手に取り、ついでに先程試し書きしたペンとお子様用の落書き帳を購入して家路についた。スケッチブックはもっと上手になってから買うのだ。
「先生! 今日は色を塗りたいです!」
『お前に先生って言われると小学校にいる気分になるから止めろ。そういえば色を塗るのも初めてか。道具は持ってるのか?』
「任せてくだせえ、兄貴!」
『ヤクザの下っ端かよ。兄貴も却下』
じゃじゃーんと今日買ったばかりのカラーマーカーを出してみる。
「これを買ってみました!」
『お前これ……ここに来る前に何か塗ってみたか?』
「いいえ! 師匠に教えてもらおうと描き心地だけ確認しました!」
『師匠は……もうなんか、いいか。他よりマシだ』
ちょっと微妙な顔をされたがお許しが出た。とりあえず何か描いてみようと、暇があれば出しているモチーフ候補の山から師匠が今日の分を見繕って戻ってくる。
「それは……! 弟から奪ってきたミニ四駆!」
『きょうだいがいるのかよ。しかもお前が上かよ』
「え? そんな意外?」
『1人っ子か上にいるなら分かるが、下がいるようには見えない』
「しっかりものの自慢の弟です!」
『なるほど理解した。弟君も可哀想に』
「会ったこともないのに憐れまれた!?」
今日も軽口を叩きながら二人の間にモチーフを置く。ついでにカラーマーカーはもう1セット出しておいた。夢の中万歳。
『あー、今回は横で描いてみるか? 色の塗り方がわからないなら、俺が描いてるのを見たほうが参考になるだろう』
「っ、是非!」
思わず大きな声が出る。甲斐田は何となく描いてる間人に見られるのが嫌いなような気がしていたので、なんの心変わりか知らないが嬉しかった。いそいそと隣に回り込むと、『何でそんな嬉しそうなんだ……』と少し引き攣った声がしてそっと間をあけられる。神絵師が遠くてつらい。
いざ尋常に、と勢い込んで描き始める。とはいえ暫くはいつも通り描くだけだ。初めの頃甲斐田に指摘された通り、紙とモチーフの間を忙しなく視線を動かす。そしてこっそり隣に目をやる。
正直言おう、甲斐田の描くところが気になって仕方がない。あんまり見るとさらに離れられそうな気がしたので、なるべく顔を向けないようにしながら横目に確認する。
シャッシャッシャッ
ス────ッ シャッシャッ
まるで何かをなぞるように、迷いなく線が引かれていく。ぴた、ぴた、と止まる手は線の端までコントロールしているのが見て取れた。あっという間に車のアウトラインを描き終えると、おもむろに甲斐田の手がカラーマーカーに伸びる。しばし指がさまよった。悩んだ末黄色とピンクのマーカーを手に取る。
紙の端っこにちょんちょんと色を付けて何かを確認すると、メリケンサックのように左手の指に2本とも挟んだ。あれが絵描きの標準装備なのか、甲斐田独特なのかは分からないが、正直ちょっと面白い。
パチ、と音を立ててキャップだけ指に挟んだまま黄色を抜くと迷いなく車体を塗り始めた。マーカーの太い方を使って全体的に塗っていく。塗り終えると、今度は黄色を戻してピンクを取る。スムーズに行われたスイッチに、一風変わった持ち方にも納得した。
今度は筆の方で、先程よりは少し慎重に塗っていく。端をほんの少し塗り残しているのはわざとなようだ。そこまで終えるとマーカーを置いてまたシャーペンを手に取る。アウトラインしか無かった絵にもう少し細かい部分を書き足していく。
いつの間にかバレないように見ていたのも忘れて、愛は思いっきりガン見していた。甲斐田は気付いているのかいないのか、なんの反応も返さず迷いなく手を動かす。顔はほとんど動かさず、目線だけ動かしているようだ。
しきりに動く目の動きを興味深く見ていると、一通り書き込みが終わったのか、今度はピンクと赤を手に取った。先程と同じように左手に2本はさみ、まず赤を抜く。
筆の方で繊細に、黄色よりピンクよりさらに内側を。凹凸をなぞるように時々細い線を引きながら。
そこにはいつの間にか光沢のある真っ赤な車が出来上がっていた。時々ピンクに持ち替えては境界を塗り込み赤の縁をぼかしていく。そうしてできたグラデーションが、複雑な車のなめらかなカーブを描いていた。
最後に青を手に取り、車体へほんの少しの陰と、床に落ちた影を塗っていく。愛が見惚れている間に、甲斐田の手の中であっという間に可愛らしくも立体感のある赤い車が描き上がっていた。
ふう、と一息ついた甲斐田と目が合う。
『見すぎ』
思ったより怒っていない声で、静かに甲斐田が言った。愛は何だか呆然として、甲斐田と赤い車を行ったり来たりしながら、今の気持ちに相応しい言葉を探していた。ちょっと疲れた顔の甲斐田が、たっぷり息を吐きながら体を後ろに傾けた。
「っ、すごい、すごいっ! もう一回! もう一回なにか描いて!」
『何でだよ。お前も描け』
何でか分からないがとてつもなく興奮している愛に、怒るでもなく軽く苦笑して宥める甲斐田は、今までで1番大人っぽく見えた。
名残惜しそうにもごもご何事か言いながらも、愛はシャーペンを握りなおす。気分が高揚して、今なら何でも描けそうな気がした。
わくわくしながら、先程見た甲斐田の描き方をイメージして手を動かす。
シャッ、シャー、 ごしごし
シャッシャッシャ、シャー………
思ってたんと違う。何がかは分からんがなんか違うのは分かる。違うのは分かるがどうしたら良いのか分からない。愛は甲斐田の真似をしてそのまま描き続けたが、はみ出さずに塗るのは思いの外難しく、意図してない色ムラでまだら模様が生まれていた。途中で塗った拍子に鉛筆の黒鉛が擦れてしまい、鮮やかだった赤が黒く汚れる。
「…………」
『そうそう、そんな感じで描くんだ』
色を塗るときは薄い色から──………甲斐田が何か説明しているが、愛の耳を右から左へ流れていく。全然違う。こんなものが描きたいんじゃないのに! じっと自分の描いた絵を見つめてぐるぐる考えていた愛は、話を無視されたのにも関わらず怒らなかった甲斐田の様子に気付かなかった。
上手い人が描く手元っていつまでも眺めていられますよね。
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