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*完結*【小説】AI絵師が当たり前になった世界で:後編

前回のあらすじ:神絵師が遠くてつらい。



 *****

 

 愛は仕事でいつも通りAIに絵を吐き出させながら、胸の内がぐるぐるするのを抑えられなかった。なんで上手くかけないんだろう。同い年位に見える甲斐田はあんなに上手なのに。どれだけ描けば同じものが描けるようになるんだろう。目の前で見ても線一本すら真似できないのに。

 いつも通りコマンドを変えると、AIはまた新たなイラストを生成して見せる。いとも簡単に作られた作品は、私には丸一日かけたって一枚すら同じクオリティでは描けないだろう。

 何のために描くのだろう。
 私よりもよっぽど簡単に上手に描ける人が、私が描けなくたってAIがあるのに。ぽつんと落ちた疑問は、黒いシミのように胸に沈み込んだ。

 

「今日は、久し振りに映画でも見ようかな。この間話題になってたのが確か……」

 愛は珍しく映画館に訪れていた。古本屋ループは本日お休みだ。ここ一週間、愛は仕事以外で一切絵に触れなかった。絵を描くのは勿論、見ていても何だか苦しくなるばかりなので、こうなったらもう仕方が無いと距離を置いた。
 あれほど毎日見ていたスケッチブックの夢は、愛の本気の拒絶が届いたのか一切見なくなっていた。何だか拍子抜けだが、今まではやっぱり不思議な出来事への高揚感もあって本当の拒絶はしてこなかったのだろう。

 もうあの不思議な体験はできないかもしれないという一抹の不安はあるが、こればかりは愛にはどうしようもない。

 何だか諦めてばかりだ。

 がっくりしたような、空っぽになったかのような身のうちから目を背けるために、愛は延々と映画を見続けた。

 

 

「あ〜〜〜、面白かった!」

 愛は単純だった。良いものを見たら笑顔になるし、面白いものを見たら笑ってしまうし、悲しい話では泣いてしまう。そんな自分が好きだったりもする。だから愛は映画を選んだ。
 いつもはそういう時本に縋るのだが、映像を見たほうが少しでも糧になるんじゃないかという、お絵描き初心者なりに考えた結果だ。

 初めの一本はまだ頭に絵のことがチラついて、集中できなかった気がする。2本、3本と見続けるうち、いつものように作品にのめり込む自分を取り戻せた。今はもう映画のことしか頭にない。

「あ〜〜誰かと語りたい。今話したら絶対楽しいのに!」

 いつもだったら友人や会社経由で知り合ったフリーランスの人にでも話すのだが、あいにく本日は平日。仕事が手につかないと悩んで、急遽入れたお休みのため皆仕事だ。

 仕方が無いのでとりあえずSNSで同士を探すことにした。こんな良作絶対誰かが話してるはず!の思いで検索してみる。

「おー! やっぱみんなそうだよね!」

 出るわ出るわ感想の嵐。SNSなのでやはり賛否両論出てくるが、同じ意見の人を見つけて満足する。そのまま夢中になって探し回り、色んな人の感想を見ているうち、何人かがイラストを上げていた。ネタ的なAIで作ったコラ画像が主だったが、ビビビと頭に何かが通り抜けたような気がする。

 

 そうだ、こういった版権ジャンルのイラストは未だに手描きが多いと聞く。AIは雑な指示でも何かそれっぽく作ってくれるが、設定に忠実にしようとなると途端に難しくなる。だから人が描いたほうがむしろ早かったりする。
 その観点で探すと、仕事ではないが趣味で絵を描いているという人たちをちらほら見つけることができた。
 描きたいものってこういうのでいいんだ。

 

 あのキャラクターが笑っているのを見たい。あの三人が仲良く遊んでいる姿が見たい。あれもこれも、愛の頭にあっても現実には無い。
 でも今の愛なら。
 簡単なものはいつものようにAIに頼ったって良い。AIじゃ作れないものは描こう。描き方がわかんなくたって、AIで近いものを作って参考にすれば描けるはずだ。

 こうしてはいられない。
 愛は飛び込むように家へと帰り、パソコンを立ち上げ紙を取り出しお気に入りのシャーペンを握った。

 

 

「ということでいっぱい描いてきた!!」
『何が描いてきた、だ。俺の心配を返せ』

 数日ぶりに見た甲斐田は相変わらずアンニュイな風情で佇んでいた。最初に目が合ったとき少し探るような顔をしていたので、どうやら心配してくれたらしい。
 愛が夢を見ていない間、甲斐田がどう過ごしていたのかは謎だ。彼は本当にどこかに存在しているのだろうか? 疑問は尽きない。

 それでも愛は、またこの不思議な夢の共有空間に来れて安堵していた。

 ドヤ顔で紙束を掲げると心底呆れた顔をされた。それにしてもなんてことだ、あの甲斐田に心配されるなんて。何となくだが甲斐田は人と一定の距離というか、ある程度の距離感からしか関わらない人なんだと思っていたのに。

「や〜〜なんかすいませんねぇ。何だろうね。上手く描けないなんていつものことなのに妙にぐるぐるしちゃってさあ」
『……ま、すぐ近くに自分より上手いやつが居れば嫉妬もするだろ』
「うわ、嫌み〜! それ自分のことってわかって言ってる?」
『勿論』

 やっぱり甲斐田は甲斐田だ。それが当然のような顔をしやがってムカつく、と顔を歪めていたのに、紙を覗き込みながら『で、何を描いてきたって?』と聞かれると愛は途端に笑顔になった。

「今ハマってる映画のお気に入りのシーン!」
『急にでけー声出すじゃん……』

 のけぞった甲斐田に自慢のイラストを押し付ける。ちょっと嫌そうにしながらも受け取った甲斐田が一枚一枚、丁寧に捲りながら見るのを固唾を呑んで見守った。

「この間甲斐田と会った日からスランプ?ていうのかな。あんまり上手く描けないし、描く気にならなかったひたすら映画見てたの。これを見たのは偶然だったけど、すっごく面白くて!」

 そのままマシンガントークでこの映画の魅力について語っていくと、途中ふと顔を上げた甲斐田と目があった。ふ、と甲斐田がどこか嬉しそうな顔をして笑う。
 あまりに珍しい笑い方に愛が固まっていると、甲斐田はまた持っていた絵に視線を落とした。

『よく描けてるよ』
「ほぁ!?」
『やっぱ良いよ、お前の絵』

 なんか楽しそうでさ、と笑って返してくる甲斐田はやっぱり変だ。ちょっとドキドキしてる自分が恥ずかしくて視線が彷徨う。いやだって、憧れの絵描きに褒められたら嬉しいし!? 誰に言い訳するでもなく内心叫んでいると、甲斐田は小さく呟いた。

『お前も、やめるんじゃないかと思ったよ』
「え?」
『いつまで続くんだろうって思ってた。絵を描く熱ってさ、最初は描きたい気持ちだけだったはずなのに、段々色んなのが混じってくるだろ』

 じっとこちらを見つめる甲斐田と目が合う。これほど真っ直ぐ人から目を向けられることがあっただろうか。甲斐田は、愛の何かを確かめようとしているみたいだった。

『絵を描かなくなる理由なんていっぱいあるよな』

 『お前は凄いよ』と言いながらスケッチブックを捲る甲斐田は、どうにも自嘲しているような調子が取れない。納得できない愛は、考えても分からなかった疑問をストレートにぶつけることにした。

「甲斐田はそれでも描いてきたからこんなに上手いんでしょ?」

 愛の素直な疑問に、しかし甲斐田は目を上げなかった。開いたページの紙の端を折るようにして弄ぶ。そのまま顔を上げずに、『俺は諦めたから』と言った甲斐田はちょっとバツが悪そうだった。

「何……」
『一緒に描く奴が居るっていいよな。楽しそうに描いてるお前見てるとさ、俺も何だか描きたくなっちゃうんだよな』

 困惑と喜びがないまぜになった心境を抱えて、愛は黙って甲斐田を見る。

 『もうずっと描いてなかったのに』寂しそうにこぼした甲斐田は、静かにスケッチブックを閉じた。そのまま愛に差し出してくる。

『お前にやるよ』
「え、え!? いや、でも、これは甲斐田ので、返す代わりに絵を教えてもらってたわけだし、いやくれるんなら欲しいけど!」
『ほとんど白紙だろ、これ。お前が続き描いて埋めてくれ』

 俺はもう描けないから、と笑う甲斐田はどこか儚くすらあった。混乱した愛はとりあえずスケッチブックを掴みに行きながら、オロオロと視線を行ったり来たりする。

「か、返す、返しに行くよ。どこに住んでるの? 今度渡しに行くから」
『別にいい。俺はいらない』
「じゃあなんで最初に返せって言ったんだよ!」
『俺の描いた絵が他人の手に渡るのが嫌だった』 

 こんなの素材になるか分からないけど、という言葉は明らかにAIを意識していた。思わず甲斐田を凝視する。

『AI絵師なんて碌なもんじゃないと思ってたよ。お前のことも、絵を描いたことが無いやつだからそんなやり方出来るんだって馬鹿にしてた』
「な、ちょ……」
『でもお前が真面目に絵を練習してきて、AIを上手く使ってんのがわかって、ちょっと考え直した。便利なツールの一つなのに、順応できなかった俺が悪いんだよな』

 情緒がジェットコースターのように荒れ狂う愛を置いてけぼりに、甲斐田は得心がいったように頷く。なんだか長年の謎が解けたような、そんなスッキリな顔を一人でされては困る。

『スケッチブック全部埋めろ。自分でも買って沢山描け。描いた紙を積み重ねて身長ほどになれば一人前だ。まあそこまでしなくても、楽しく描けりゃそれが一番だ』

 冗談か本気かわからないことをつらつらと言い重ねて甲斐田は笑う。なぜそんな事を今言われるのか分からず愛は戸惑う。まるで、

「ちょっ、ちょ、ちょっと待って」
『お絵描き仲間、見つけろよ。探せばいるだろ、多分』
「どうしたの甲斐田? なんかそういうの」

 何だかまるで、

『絵を描くのが楽しい事だって、最後に思い出せて良かったよ』

 そんな綺麗な別れ話あるか!? と叫ぼうとした愛が目を見開いた先には、日の光が差し込む天井が広がっていた。

 

  

 *****

 

 

 思った通り、あれは別れ話だったらしい。
 あの日以来また夢を見なくなった愛は、スケッチブックを手に悩ましげに溜息をついていた。何度目かになるそれはただ愛の気持ちを重くしていくばかりで、ちっとも解決の兆しを見せない。

 しばらくはスケッチブックにガン垂れていた愛だが、やがて何かを決意したように慌ただしく立ち上がった。

 勢いのまま訪れた古本屋で、閑古鳥が鳴いてるのを良いことにカウンターに陣取る。

「あのっ、すみません」
「………」
「あの、こちらで買った本のことで聞きたいことが……」
「………」

 古本屋の店主は無言で愛を見るばかりだ。どことなく面倒臭そうにしている感じもする。とにかくまずは本題に入ろうと、肩から下げたトートバッグからスケッチブックを取り出す。

「これの持ち主を知ってますか? 甲斐田さんって名前らしいんですけど」

 カウンターに置いて一息に話すと、お爺さんはようやく聞く耳を持ったようだった。スケッチブックを手に取りパラパラと捲る。しばらくただ眺めるように滑っていた視線が、あるページで止まった。甲斐田の絵があるところだ。
 思わず息を呑んだ愛にはお構いなしに、検分するように真剣な手付きでページを捲りだす。時折表紙を確かめては、何かを探すように視線を彷徨わせる。

 その眉を顰めた真剣な表情は宝石鑑定人のようだ。思わず固唾を握った愛が、胸の前で手を組む。しばらくそうした時間を過ごしていると、お爺さんはようやく満足したのか愛に向き直った。

「これは多分、私の友人のノートだ」
「やっぱり……!」
「おそらく高校の同級生だ。絵が上手い奴でな、確か甲斐田って奴がいたよ。このノートは当時何かの拍子に紛れでもしたんだろう」

 それは突拍子もない話であったが、納得のいく話でもあった。明らかに合わない年代、時々出る不可解な単語、年上のような雰囲気。
 どういう訳か知らないが、甲斐田は違う年代を生きた人なのだろうとは思っていた。初めから夢の中での邂逅などというふざけた現実の話なのだ。今更実は遠い過去の人だったと言われても否定はしまい。

「今はどこに居るか分かりますか?」
「さあなあ……連絡を取り合ってたのも大学までで、お互い働き始めてからはめっきりだったからなあ……」

 長閑に話すお爺さんに、愛も思わず「そっかぁー」と間延びした相槌を打つ。愛も正直本当に返せるとは思っていなかった。どこまで辿れるか探ってみたいという探究心はあったが。
 きっとここまでなんだろうなあ、とさり気なくスケッチブックを回収しながら落ち込んだような気持ちになる。

 どこか呆然とした愛に罪悪感でも湧いたんだろうか、お爺さんはどこか慌てたように店の奥へと歩いて行った。不思議な思いで何となくそのまま待っていると、お爺さんは店の奥から何やら袋を手に持って出て来た。

「思い出した、思い出した。学祭でな、皆でポストカードを売ったことがあったのよ。私はとても売り物になるほど上手な絵は描けなかったから店員をしていたが、甲斐田は描くのも早かったから、何種類か出していたよ」

 「ほら、これこれ」と言いながらカウンターに広げるのは、少し色褪せたポストカード。愛には絵柄を判別できるほどの数の甲斐田の絵を見てはいなかったが、この流れで持ってくるとはそうなんだろう。

「これが甲斐田の絵……」

 それはAIが吐き出すような今時のトレンドを押さえた絵でもなければ、過去の画人のような特徴的な絵柄でもなかった。でもどこかひねくれた、けれども人を拒絶しきれない優しさのある甲斐田を思い起こさせる、特別な、きっと甲斐田にしか描けない絵だった。

 薄く黄ばんだ紙がどことなく今の甲斐田との距離を示しているようで、胸が苦しくなった愛はポストカードを手に取ったままじっと押し黙る。

 その様子にただならないものを感じたのか、お爺さんはポストカードを数枚分けてくれた。さすがに全部は貰えなかったので、特に気に入った絵を選んで有り難く頂戴する。

 家に帰る途中で手頃な額縁を購入してみた。簡素な額に収めたポストカードを机の上に置いて眺める。

 教室の窓から空を見上げる少年は、周囲の喧騒から隔絶された雰囲気が集中して絵を描く時の甲斐田に似ていた。そんなんだから絵描き友達が出来ないんだと笑った愛は、師匠と同じ轍を踏まないべく、まずは自分の自己紹介代わりの絵を描き始めた。

 


読了ありがとうございました。

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